「殴られる私が悪い」からの脱出ー働くことで取り戻した“100倍幸せな私”
離婚ノートは、離婚を経験した方々に結婚から離婚に至る経緯、そしてその後の暮らしまでを語っていただいた実録ストーリー集です。法律や制度の前に、まずは生活のリアルを。等身大の体験を通じて、具体的なヒントを届けます。
未熟児で生まれた長女の育児に必死な中、「殴られる私が悪い」と自己否定に沈んでいたかおりさん。転機は、美容師として社会に出て、認められたことでした。長女の「離婚して幸せになって」という言葉が決心を後押しします。
とにかくがむしゃらに働き、「今の方が100倍幸せ」と言えるようになった彼女の再出発の物語です。
未熟児の出産から11回の入退院ー育児をめぐって悪化した夫婦関係
離婚ノート:元夫との出会いから結婚に至るまでのお話を教えていただけますか?
かおり:元夫とは中学校の同級生でした。中学校の3年間は友達として過ごし、高校は別でした。高校卒業後、社会人になってまた会うようになり、交際に至りました。地元は結構な田舎で、社会人になってから都会に出てきた感じだったのですが、そういう状況で、お互いにすべてのことを知っている相手が楽だったというのもあり、わりと安易に22歳の若さで結婚しました。
離婚ノート:ご結婚、ご出産を経て、ご夫婦の生活はどんな感じでしたか?
かおり:結婚の翌年に長女が生まれました。若くて未熟ながらも、女性は妊娠期間や出産、つわりなどを経て、母親になっていくところがあると思います。特に私は、切迫流産があったり、8ヶ月の未熟児で長女を出産したこともあり、母として子どもを育てなければならないという思いがありました。
離婚ノート:母親として、意識が変わっていったのですね。
かおり:はい。一方で、まだ23歳だった元夫は、一気にそれを現実として受け止められませんでした。元夫も父親として何もしていなかったわけではないのですが、子育てに関する価値観がどんどんずれていきました。育った環境の違いもあったと思います。
離婚ノート:どのような環境の違いがあったのでしょうか?
かおり:長女は未熟児で、幼稚園に入るまでに11回ぐらい入退院を繰り返すくらい体が弱かったので、私は神経質になりがちでした。洋服の袖が濡れたり、寒いと感じるとすぐに風邪をひき、急性肺炎で入院という状況でした。そのため、私は洋服を汚さない、濡らさない、寒くさせないという環境で子育てをしていました。
離婚ノート: 大変なご苦労をされたのですね。
かおり: 一方、元夫は4人兄弟で、良くも悪くも「ごちゃごちゃした家庭」で育ったようです。なので、私の神経質な子育ての感覚が、義母にも鼻につくところがあったのだと思います。私の実家は初孫だったこともあり、私と同じように、手を洗ったり消毒したりしてから赤ちゃんを抱くといった接し方でした。この違いをすべて正面から受け止めてしまい、お互いの子育てに対する不満が生まれてきたのが夫婦不仲のスタートだった気がします。
離婚ノート:そんななか、次女さんがお生まれになる経緯を教えていただけますか?
かおり: 長女の出産後から夫婦仲はギクシャクしていましたが、二人目は、子作りのためだけという感覚で妊娠・出産しました。長女を一人っ子にしておくことに申し訳ない気持ちがありました。子作りをするためだけに、基礎体温をつけて「この日」という日に、なんとかうまく誘って子作りをしました。屈辱でもありました。でも、長女にとって兄弟姉妹がいるべきだという思いがありました。
仕事で認められることで初めて気づいたDV、そして離婚への決意
離婚ノート:当時、お仕事はどうされていましたか?
かおり:もともと美容師だったので、子どもを保育園に預けて仕事に復帰しました。自分が元夫に比べて立場が弱いので、夫婦関係がうまくいかないのかな、とも思いましたし、経済的に楽になりたいという思いもありました。
離婚ノート: 仕事は順調でしたか?
かおり:子どもの体調不良などで休まざるを得ないことも多く、会社でも一人前として見てもらえていなかったと思います。ただ、講習に出るなどして、技術を上げて努力していくと、会社は売上で見てくれるようになります。それまでは中途半端なパート扱いでしたが、お客様がついて指名が増え、売上が上がると会社は認めてくれるようになりました。
離婚ノート:会社での評価が、精神的な支えになったのでしょうか?
かおり:はい。子連れでもいいからミーティングに出てほしいとか、子連れで懇親会に来てもいいよと言ってくれて、会社から認められた気がしました。今まで元夫に認めてもらえず、ひどいことを言われていましたが、会社や世間が認めてくれるようになった時に、元夫のモラハラ的な呪縛から一気に解放された気がしました。
離婚ノート:元夫からどのようなことを言われていたのですか?
かおり:当時、私は体が弱く食も細かったので、家族で外食しても一人前を食べきることができませんでした。元夫は「食事を残すような女が、どうやって母親として子どもを教育するんだ」みたいなことを言ってきたんです。私は「確かに、言ってることは間違ってない。私はダメな母親なんだ」と受け止めていました。
離婚ノート:ご自身を責めていらっしゃったのですね。
かおり:はい。だから、ちゃんと働きたい、社会を見たいという思いもありました。一人前のご飯が食べられなくても、こんなに会社はちゃんと私を認めてくれるんだというにふうになると、元夫が言っていることがバカバカしくなってきました。給与も上がり、自分の収入が元夫を越えることもありました。そうなると、元夫に暴言を吐かれるごとに、自然と反発する気持ちが出てきて、「何を言ってるんだろう。この人は人間が小さいな」と思うようになっていました。ただ、逆に、家事も育児もすべて私がするということに対する不満が芽生えました。
離婚ノート:育児方針や心無い言葉を離婚理由として挙げていただきましたが、他に何か離婚理由はありますか?
かおり:DVがあります。私、元夫に殴られたことが原因で、左の耳の鼓膜が2回破れています。ですので、今でも聞こえづらさが残っています。救急車で運ばれたこともあります。それでも、その時はまだ自分に何もなかったので、「殴られる自分も悪いのかな」、「自分がちゃんとできてないから、怒られても仕方ない」と考えていました。
離婚ノート:ご自身を責めていたのですね。
かおり:はい。ですので、暴力を振るわれたから離婚というよりも、自分が社会と繋がったことで、離婚を決意できました。あのまま社会に出ていなければ、どんなに殴られ、罵声を浴びせられたとしても、耐えていたのではないかと思います。
最後に背中を押したのは長女の言葉ーお金と自信を貯めた3年間の離婚準備
離婚ノート:離婚を決意してから、元夫に伝えるまではどのように準備しましたか。
かおり:次女が3歳ぐらいの時、もう一緒にいたくないという気持ちが抑えられなくなり、離婚を決意しました。そこから、3年くらい準備をしました。
離婚ノート:どのような準備をされたのですか?
かおり:美容師として働いていましたが、より自分に自信をつけたいと思い、メイクのスクールに通いました。また、そういうスクールに通うお金や、何があっても当面は生活できるようにお金も貯めました。
離婚ノート:離婚を切り出したときの状況を教えてください。
かおり:当時、ほぼ会話もなく、元夫は帰ってきたりこなかったり、という生活が1年くらい続いていました。ですので、元夫もある程度私の気持ちを察しているところがあったと思いますが、私は暴力のトラウマがあったので、なかなか怖くて離婚を切り出せませんでした。何ヶ月間も「今日言おう」、「一週間以内に絶対言おう」と繰り返していました。
離婚ノート:そんな中、離婚に踏み切れたのは何かきっかけがありましたか?
かおり:当時小学校6年生の長女に「パパと離婚して幸せになって」と言われたんです。
離婚ノート:それは大きな一押しですね。実際にはどのように進めたのでしょうか?
かおり:次女の幼稚園のお迎えの10分前に、離婚届を差し出し、「名前を書いてハンコを押してほしい。もう耐えられない」と伝えました。元夫が逆上して、また殴られるようなことがあったら、「バッグ1個持って出よう」と決めていました。
離婚ノート:元夫の反応はどうでしたか?
かおり:元夫も覚悟していたのか、逆上することはなく、「話し合いがしたい」と、ひと言言われました。しかし、私は話し合う気は一切なかったので「一分でも一秒でも早くあなたとの縁を切りたい」と伝えました。その結果、離婚届にサインをして、静かに出て行ってくれました。
離婚ノート:離婚に際し、養育費など、何か取り決めをされましたか?
かおり:何も決めていません。とにかく、養育費も慰謝料も1円もいらないので、すぐにでも離婚届を出したいと伝えました。なので、条件に関する話し合いは一切していません。
離婚ノート:面会交流は取り決めましたか?
かおり:特に取り決めてはいませんでしたが、元夫と子どもたちはよく会っていたと思います。私としては、「自由に会ってもらっていい」と伝えていました。
離婚ノート:養育費等も何もないでなかで、「自由に会ってもらってもいい」と思えたのはなぜでしょうか?
かおり:離婚届を提出したとたん、目の前の闇がパーッと晴れたような気持ちになりました。なので、娘たちが自由に連絡を取れるよう、携帯電話も買いましたし、お互いに自由に連絡を取り合ってもらえばいいと思っていました。
離婚ノート:その後、「自由に」会っていた感じでしょうか?
かおり:はい、しょっちゅう会っていたと思います。元夫は離婚後に転居したのですが、娘たちのお誕生日の時には来て、食事にいくとか、プレゼントを買うということをしてくれていました。
離婚ノート:元夫はお子さんに愛情があったということでしょうか?
かおり:離れて初めて、そういう感情が出てきたのかもしれません。
離婚ノート:元夫はその後どうしているかご存知ですか?
かおり:3年ぐらい前に、再婚したというのを本人から聞きました。そのことを娘たちに伝えていいかと相談されたので、「おめでとう」と言って、伝えるも伝えないも好きにしていいと話しました。
努力と自信で不安を払拭ー仕事と子どもに全力で向き合った日々
離婚ノート:離婚後に、何も決めずに離婚して何か困ったこととかはありましたか?
かおり:ありました。離婚後、美容室で働いていたのですが、子育てはもちろん一生懸命しますが、「自分の人生を生きたい」という気持ちでフリーランスとして独立しました。そうすると、収入に波があり、全然収入がない月は本当に大変でした。
離婚ノート:金銭的に困って「離婚しなければよかった」みたいなことはなかったですか?
かおり:ないです。離婚に対しての後悔は、私は本当に1ミリもないですね。ただ不安はありました。旦那さんばかりが悪いわけではないし、私の責任も半分あっての離婚だったので。娘二人と私と三人で、もう一度ちゃんと家庭を作っていくことに責任がある、という不安はありました。
離婚ノート:その不安をどのように乗り越えられましたか?
かおり:この子たちが父親がいないことに対して寂しくなってしまった時に、その寂しさを私一人でちゃんと埋めてあげられるんだろうか、と考えた時に不安で。「よし、ワンちゃんを買おう」と思って、家族を一人増やしました。ワンちゃんの力も借りながら行けたらいいな、というのがありました。犬を買うのは子どもにとっても良い影響だったと思います。
離婚ノート:離婚の際、6年生の長女さんから「離婚して幸せになってほしい」という言葉があったとのことですが、当時、長女さんは両親の関係をどのように見ていたのでしょうか?
かおり:不仲をなるべく見せないようにしていましたが、年齢的にも状況はわかっていたのかなと思います。このまま両親が仲が悪く、私が娘の部屋で寝るような生活が続いていく方が、娘たちにとって良くないのかなと思いました。長女のひと言がなければ、決断するのにもう少し時間がかかったかもしれません。
離婚ノート:離婚に関し、お子さんにはどのように説明しましたか?
かおり:長女は、もともと勘が鋭い子だったので、すぐに気づいて、「パパ、もう二度と帰ってこないでしょ」と言われました。それで「実は離婚したいって言って離婚届を出したんだよね」という話をしました。
離婚ノート:長女さんは納得されましたか?
かおり:長女は、「離婚していいよ」と言っていたわけですが、やはり、そこはまだ子どもなので、ほんとうにパパと縁が切れたと思うと悲しかったのだと思います。ポロポロと泣き出してしまいました。なので、パパと二度と会えないということはないし、お互いに会いたいときはいつでも会えるよ、と説明をしたら、わかったという感じでした。
離婚ノート:次女さんはいかがでしたか?
かおり:下の子はまだ小さかったので、離婚という説明をしてもわからないだろうと思い、仕事の関係で転居したと説明しました。ただ、1年半ぐらい経ってから、下の子が「あれ、そういえばパパ帰ってきてない」言い出したんです。それまで、パパの不在に気付いていなかったわけではないと思うのですが、それだけ関わりがなかったんだと思いました。小学校か中学年ぐらいのときにしっかり話しましたが、そのときには「知ってたよ」という感じでした。
電気を止められても笑顔でーぶれない「お金教育」で育った子どもの自覚
離婚ノート:振り返ってみて、お子さんの幸福度を上げたもの、下げたものはありますか?
かおり:経済的に苦しい時もありましたが、「今は大変でも、私は自分の人生を生きている」という確信があったので、どん底だった時も、わりと生き生きできていたのかなと思います。苦しくて泣く時もありましたが、「笑って生きよう」と思っていました。
離婚ノート:すべてを笑いに変えられたのですね。
かおり:はい。日本で電気が止まる家ってあるんだ、というような経験もしましたが、たくさんろうそくをつけて、「キャンプみたいだね」と言ってみたりとか。本当に明るく育ってくれたので、やはり離婚して良かったとしか思いません。あのままの環境だったとしたら、今の娘たちの人生はなかったと自信をもって言えます。
離婚ノート:貧しい経験も、明るく乗り越えられたのですね。
かおり:はい。貧乏な時もありましたし、裕福な時もありました。どん底の時もすべてそうですが、私は、「あなたたちの人生は夢だらけだよ」って言って育ててきました。本当に夢しかない。やりたいことを全部やりなさいと。それに掛かるお金は、ママは土方でもゴミ拾いでも何でもしてお金を稼いで必ず叶えてあげると。その代わり、一生懸命やってないものに対しては、お金を出さないよ、と厳しくもしました。
離婚ノート:お嬢さんは夢を叶えられたのですか?
かおり:はい。それを言い続けてきたからなのか、長女は高校卒業して海外に行くと言って、もう10年間ロサンゼルスに住んでいます。長女は幼い頃からダンスを頑張っていたので、「どんなことがあったってダンスを応援するし、あなたがやりたいことをやらせてあげられるように頑張って働く」と伝えました。
離婚ノート:お子さんを海外に行かせるのは並大抵のことではないですよね。
かおり:長女自身も頑張りました。長女は、経済的に困難な時期も知っているので、高校3年間でアルバイトを三つ掛け持ちし、「100万円貯めて、自分のお金で海外に行く」と頑張っていました。苦労は見せないようにしてきたつもりですが、ちゃんと見ててくれたんだなと感じました。
母子家庭になったからこそ、お金に対しては厳しく言ってきました。長女が縁を繋いでくれて、今、私は海外でも仕事をするチャンスがあります。私がやってきたことに意味があったのかなと感じます。
幸せのために何より大切なのは「自分の人生」を生きること
離婚ノート:ご自身の幸福度を上げたものはありますか?
かおり:自分が一人の人間として見てもらえるようになった、というのが一番幸せかもしれないです。苦労や大変な経験もあったけれど、ちゃんと自分軸で自分の人生を生きていると。何があっても自分のことは自分で責任を取ろうと思えるようになりました。
離婚ノート:以前は違いましたか?
かおり:当時は、元夫に言われたことで左右されて、「自分はダメな人間だ」、「母親失格なんだ」と思って生きていました。離婚してからは、すべて私の責任ですが、できたことも自分のおかげ、ということになります。ですので、娘たちが幸せそうに成長している姿を見て、自分の自己肯定感が上がりましたし、娘たちのことも「天才だ!」と言って育ててきました。
離婚ノート:ちなみに、離婚後、ご両親を頼ったりはされましたか?
かおり:うちの両親は夫婦仲がいいので、離婚に反対でした。下の子も小さかったし、父親が間に入って、「あいつの根性を叩き直してやるから離婚はするな」という感じでした。なので、親には頼れない状況だったのですが、私がダウンした時に娘が両親に電話をすると飛んできてくれたこともありました。離婚後、1、2年は責められましたが、私がはっきりと「あのときよりも今の方が100倍幸せだ」と伝えたところ、何も言わなくなりました。
離婚ノート:「今の方が100倍幸せ」と思えるのはすごいですね。
かおり: はい。娘たちのおかげも大きいです。まだ幼かった娘たちですが、下の子が「今日が一番楽しかった」って毎日言ってくれたんですよ。それを聞くと、他に何もいらないなと思いました。娘が毎日楽しんでるんだったら、それ以上必要なものって何もないと思えました。
離婚をしてもしなくてもいい、大切なのは自分で選ぶこと
離婚ノート:今、離婚を考えている人にアドバイスはありますか?
かおり:離婚してもしなくても、どっちの人生だったとしても、良い生き方をするべきだと思います。そして、どちらの選択肢を取るのか、迷いながらの人生ではなく、明確に選択して生きていくことが大切だと思います。嫌だけど逃げられない、離婚したいけどできないと言っていたら、あっという間に50年とか経ってしまうと思うので。ただ、今本当に苦しいんだったら、何をしたって働いて生きていけるので、行動せずにずっと文句を言っているよりは、苦労したとしても、行動を起こすしかないんじゃないかなと思います。
離婚ノート: 離婚条件やお金の面で何かアドバイスはありますか?
かおり: 今、無料で弁護士さんの相談ができたりもしますので、一刻も早く離婚したいと思ったとしても、養育費などお金のことはしっかり決めたほうがいいと思います。やっぱり、お金は味方になってくれるので。もらえる権利があるものは、しっかりと権利を主張してほしいなと思います。
離婚ノート: 最後に、DVや暴力に悩む方へメッセージはありますか?
かおり: 暴力を受けている人とかは、本当に逃げてほしいなと思います。「ここから逃げても生きていけない、逃げる場所がない」と思うかもしれませんが、いろんな人が助けてくれるので、逃げる勇気を持ってもらいたいです。なんとかなります。私もカバン1個で出ようと思って、それでなんとかここまできました。自分の命を守る、自分の身を守るということを一番優先してほしいなと思います。
離婚ノート: 本日は貴重なお話をありがとうございました。
