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【短編小説】羊が一匹、夜が明ける。

いつからか、眠り方を忘れてしまった。
布団に入り、目を瞑っても、世界が閉じない。

寝返りをうつ。
アロマオイルを焚く。
お酒を飲む。

焦るほどに頭が冴え、目を瞑っていることが
苦痛になる。

眠りの精は、わたしを見放したみたいだ。

だから、この夜を抜け出し、
静寂しじまをひとり散歩する。

フード付きのパーカーを羽織って、
ひんやりとした空気の中へ足を踏み入れた。

忙しなく通る車や、行き交う人々。
自転車のベルの音が気忙しい昼間。

そんな昼間の喧騒から遮断された街は、
ひっそりと別世界を作っている。

コンビニの明かりだけが、
ぼうっと道標のように光っていた。

夜露をお供に、わたしは歩く。

「羊が一匹、羊が二匹〜♫」

歌うように口ずさみながら歩く夜道は、
ふわふわした夢の中みたいだ。

公園に着いて、
コンビニで買った缶チューハイをプシュリ。

プルトップの内側から弾けるレモンチューハイが
わたしの顔に飛び込んでくる。

「仲間ですね」

顔を向けると、一人の男性が立っていた。
コンビニの袋から缶ビールを取り出して、
わたしに向けて見せた。

「隣、いいですか?」
「あ、どーぞ」

ベンチの少し右にお尻をずらして、左側を空けた。
彼は左隣に座って、ビールを空けた。

「眠れないんですよね〜」
そんなに困っていなさそうな声で言う。

「あ、お仲間ですね〜」
わたしも、同じトーンで返す。

小さな虫の声が、
静かなメロディーを奏でている。

「家に着くと、
玄関の上にリングピローが置いてあるんです」
と、彼は言った。

「ふたつあったはずの場所が、
ひとつだけ凹んで、だんだん埃を被っていく」

彼は缶ビールをひと口飲んで、遠い目をした。

「それを見ていたら、
なんだか眠れなくなってきてしまったんです」

わたしは、ただ頷いた。
夜の静寂に、ふたつの缶が乾いた音を立てる。

まるで夜の共犯者みたいだ。

「こんばんは〜」
「やぁ、今日も」

今日もこの公園で。
あれからたまに会う。

名前も知らない。年齢も、素性も。
ただ、ベンチに座ってお酒を飲むだけ。

「最近、全く眠れなくなってしまって」
缶ビールの本数は、日に日に増えていく。

わたしはチータラをつまみながら、頷いた。

「羊を数えるって言いますよね?
数えながら、わたし、そんなおまじない効くもんかって思うんです。

くだらない、くだらないって思いながら、
ひたすら数える。
そのうちに、
いつの間にか外が白み始めているんです」

彼は穏やかに微笑んで耳を傾けていた。
目の下のクマが、最初より濃い。

「でもね。そんな風にくだらなくても、
夜が明けたことにホッとしたりするんです」

ポツ、ポツと顔に水滴が当たった。

「あ、雨……。降ってきました」

ざぁっと雨足が強くなる。
走って軒下へ移動した。

酸性雨とか、最近ニュースにならないけれど、
地球が良くなってる訳ないし、
どこかで何かが傷ついているんだろう。

夕立のように強い雨は、やがて止み、
同時に空が白み始めていた。

「じゃあ、帰りましょうか」
そう言って帰ろうとする彼の背中を、
ふと、引き止めた。

「羊、数えてください。
何かあっても、くだらないって思えますから。
そんなくだらなさが、ちょっと暖かかったりしますから」

言いながら、なんでこんなに必死なんだろう、
と思った。

でも今伝えないと、きっとわたしは後悔する。
それは、流れ星のようなスピードで、
わたしを突き動かしたのだった。

とにかく今目の前で震えている人に、
何か届けばいいと思った。

彼は静かに微笑んだ。
雨粒に、流されてしまいそうな笑顔だった。

あれから彼は現れなかった。
入れ替わるように、わたしは少しずつ
眠れるようになってきた。

わたしもこの静寂から、卒業が近い。

夢を見た。

羊が一匹ずつ現れて、
だんだんと上へ積み上がっていく。
わたしはそれを数えている。

やがて積み上がった羊がほどけて、
一枚のセーターになった。

「わ!ふっかふか!」
思わずそう言うと、

『確かに、くだらない』
どこからか、微笑むような声が聞こえた。

羊毛のセーターが、いつかどこかで
彼を包んでいればいいと思う。

東の空に残る明けの明星を、
わたしは祈るように見つめた。

羊が一匹、夜の静寂に溶けるように跳ねた。





■セリフ
「わ!ふっかふか!」
■三題
・酸性
・夕立
・リングピロー



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