大風呂敷の広げ過ぎはJARO案件じゃろ?
表現の世界っていうのは、正解が無い世界です。コレが絶対に正解なんてものがあったならばそれはもはやAIがやればいい話って事にもなります。
しかしながら、何故か正解を作りたがるような声優も多く「私の表現こそが正解」とばかりに神の金言みたいな事を仰る声優もいたりいなかったりするので「あぁ、あの人はアッチの世界に行ってしまったんだな」と物悲しくなったりならなかったりします。
「台詞とは〇〇である!」「ナレーションとは〇〇だ!」みたいな呟きを見る度に、何とも言えない気持ちになります。そんなふうに思えたらどれだけ気が楽か。羨ましくもなります。いつもいつも同じような内容の仕事が来て、同じような表現を求められる人はそういう感覚になるのかもしれませんね。
そこそこのキャリアがある声優が「〇〇である!」なんて断定的な言葉を使うと、その世界を知らない人にとっては「そうなんだ!凄い!」と刺さる言葉になるのでしょう。
知らない人に刺さる言葉をどう扱うか。僕の中では結構センシティブな事だと思っていて、簡単な方法として「大風呂敷を広げる」という方法がありますが、僕は好きではありません。よくいるじゃないですか、自分の武勇伝ばっかり話したがる人。僕は性格が悪いので、そういう人と話す時は「そうなんだ!凄いね!天才じゃん!」みたいな適当な言葉を吐きながら違う事を考えて時を過ごしますが、時間の無駄なのでやめて欲しいです。
武勇伝を語らないとヘッポコ声優、語ればそれなりの声優として見られるわけで、自分語りが上手い声優は出世も早いんじゃないですかね。まぁ、いくら大風呂敷を広げてもある程度の経験がある同業者には色々透けて見えちゃうので通用しませんし逆効果だと思いますが、素人を騙すには大風呂敷を広げて、断定的な言葉を盛り込むのが手っ取り早い方法なのでしょう。
僕は大風呂敷を広げる事に抵抗があるので、人に不快感を与えないような小洒落た小風呂敷を広げてアピールしたいなとは思っているのですが、アピール自体が好きでは無いという致命的な性格なので、なかなか難しいです。何かお洒落な良い小風呂敷がありましたら教えて下さい。
「大風呂敷を広げないと金にならんだろ!」という声も聞こえてきそうではありますが、正解が無いものに正解があるような言い方をするのはもはや詐欺師のやり口ですよ。最近のSNSなんて開けば詐欺みたいな人達の言葉ばかりで辟易としてしまいますが、声優までそのような人達と同じように思われてしまうと個人的には悲しいので、程々の風呂敷で留めて欲しいものです。そもそもお下品です。
コレもまぁ、今となっては古い考え方なのかもしれませんけどね。何となく浅ましい感じがするので僕はやらないだけです。
広げた風呂敷は自分で畳める位の大きさにしておきたいものですね。
では、また来週!
