朝から幼稚園で泣くような親。でも、だからこそ書ける文章がある。
「子どもが登園拒否しても、親は毅然とした態度でいるべき」
とは、いったいいつ誰に植えつけられた価値観だろうか。
わかるよ、わかる。子どもの不安定に親が引きずられちゃダメよね。よけいに不安にさせちゃうもん。親の毅然とした態度が、安心感を与えることはよくわかる。
「いやだーいやだー」
と幼稚園の玄関で泣きながら抵抗する我が子に、しかし私は毅然の「キ」も見せられない。……どころか、もはや自分ももらい泣きしている。
昔から、私は「1」聞けば「10」想像を膨らませ、たびたび感情をパンクさせてきた。
「いやだー」と聞けば、そのうらがわにある我が子の心情に想いがめぐる。この子の不安や憂鬱に。あったはずの理想と期待に。本当は頑張りたいのにうまくいかないやるせなさに。わけのわからない感情の起伏に。周りの声に……
やがて涙になって、溢れてしまう。
子どもの前ではギリギリ我慢。離れた瞬間、泣いている。すれ違う親子たちはギョッとするだろう。
どうしても涙が止められない。それは赤面したり、手汗をかいたりするのと似ている。コントロールできなくて、そんな自分に落ち込んでしまう。
……と同時に、「でも、だからこそ書ける文章がある」とも思う。
子どもを幼稚園に送り届けた私は、その足でカフェへと向かった。地下にある薄暗いプロントは、私のお気に入りの”仕事場”だ。
ブラックコーヒーと、おかわり自由のレモン水。
テーブルについたら、おもむろにパソコンと紙とペンを置く。そして、鞄から取り出す一冊の本。
太宰治。
今度はこっちの世界で涙を流す。本の中の人の心に。感情を揺さぶられ、泣きながら紙に文字を書き殴る。すごい世界だ! これをあっちに伝えなければ……と。
その時期、私はライターとして、いくつか本の紹介文を書いていた。
原稿の多くは、泣きながら書いたものだ。本の世界で想像を膨らませ、動揺し、感情をパンクさせてメモしたものからできている。
そのときの私の姿といったら……。でも、書いた文章は輝いていた。
自分で自分に失望するとき、私はいつもこうつぶやく。
「でも、だからこそ書ける文章がある」
幼稚園で泣くような親。でも、だからこそ書ける文章がある。
感情のコントロールができない。でも、だからこそ書ける文章がある。
苦手なことが多く、落ち込んでばかり。でも、だからこそ書ける文章がある。
私の欠点に見えるものすべて、ライターとしては素晴らしい。
誰になんと言われたって、私はライターを”言い訳”にして前向きに生きていく。
▼私の自己紹介▼
今回、みくまゆたんさんの「自分語り企画」に乗っかって記事を書きました。
みくまゆたんさん、素晴らしい企画をありがとうございます!
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