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自分を信じてあげられなかった話──26歳、全てが更地になった日

辛い日が続けば、まるでその苦しみがずっと続くような気がする。


自分以外が何事もなく生きているように思えてしまう。


幸せな日が続けば、まるで苦しみがなかったかのように、今ならなんでもできる気がしてならない。


私も、みんなも、幸せでいてほしいと願う。


大学を卒業してから26歳のある日まで、ずっと苦しかった。

それはそれは地獄の日々だった。
これがずっと続くと思っていた。


でもそれは間違いだった。


ある日、どうでもよくなった。
全てが更地になった。


そして、自分の気持ちを信じられるようになった。


26歳になってしばらく経った3月、一度ガクッとメンタルが落ちた。

セクハラが原因だった。


会社も誰も味方してくれなかった。


『それはセクハラではない』
『仕事に支障をきたすな』
『プロとして意識しろ』
というような言葉が私の心を激しく突き刺した。


親にもわかってもらえなかった。


一回り以上年上の39歳の同僚と2泊3日の出張中、ずっと付きまとわれるような感覚で、
寝る時間以外拘束されているような気分だったのに。


限界だった。

だけど、何よりも自分のことを信じてあげられなかったのが苦しかった。


周りにわかってもらえないし、自分のこの感情はおかしいのではないか。

自意識過剰なのではないか。

なぜこんなにメンタルがやられるのか。
情けない。
でも苦しくて仕方がない。


それでも、なんとか運動をして、映画を観た。

それでもストレスが爆発して、心拍数が終日上がりっぱなしだった。

またバセドウ病が再発するのではないかと、それも不安だった。


だけど、限界だったその日、上司からの冷たいメッセージが届いて、思わず口から出た。



「なんでやねん!おかしいやろ」


人間の耳はすごいのかもしれない。
自分から出たとっさのツッコミで、完全に目が覚めた。


そうだ、上司がおかしいんだ。私のこの気持ちは本物なんだ。あれは明らかにセクハラで、私は何も悪くない。悪いのはあいつだ。


それに気づいて、涙が溢れた。


親にもとっさに連絡した。
「もう大丈夫」


返ってきたのは、意外な言葉だった。


「ようやく〇〇の気持ちがわかった。AIに聞いてみたら、腑に落ちたよ」



救われた気がした。
そして、これだと思った。


誰にもわかってもらえなくてもいい。今後、わかろうとしてくれる人だけにわかってもらえれば良いだけ。

会社にわかってもらえなくていい。
もう、どうでもいい。

もちろん戦うことも大切。だけど、自分を犠牲にしなくても良い。諦めても良い。



それに気づいた。

どんなときも、自分の気持ちだけは信じてあげようと思えた瞬間だった。


それからというもの、
苦手な人と話せるようになった。


職場では、いい意味で感情がフラットになった。

関係性ができていない人にも、おじけずかずに、堂々と話せるようになった。


いい意味で空気を読まなくなった。

境界線が明確に引かれた感覚がした。
分かり合えなくてもいい。
人はそれぞれ違うから。

ネガティブ思考が、ポジティブ思考になった。

もちろんネガティブ思考も大切だが、
気にしなくてもいいところは気にしなくなった。

とても前向きになったと思う。



──夜は明ける。


個人差はあると思うが、苦しい時期が結果的に自分を成長させることもあると思う。
(でも、本来は避けていい苦しみも確実にある。社会は理不尽だらけだ)


とはいえ、みんなできるだけ
傷ついてほしくない。


なぜこの考えになったのか書くことで、
誰かの力になれるかもしれないと思い、書き記した。



みんな幸せになれる。
その第一歩は、自分の気持ちを信じてあげることだ。

これからも辛いことが沢山あると思う。
それでも私は自分を信じて立ち上がりたい。

時には逃げよう。諦めよう。


大丈夫だから

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