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千年後も浮遊するお釈迦さまを作りたい! 大谷寺の石仏に見えた仏師の熱い思い

この記事ではひょんなことから始めた自転車旅で出会った石仏を分析しています。お時間あればお付き合いください。


先日、宇都宮を旅行しました。普段、ロードバイクに乗っていることから、自転車旅に興味深々。以前、ひょんなことから宇都宮を訪問したところ、駅前のモニュメントなどから、宇都宮は自転車のまちと知りました。

しかも宮サイクルステーションという施設で、自転車をお借りできると判明。ぜひ自転車で大谷資料館に行ってみたい。そう考えて今回、出かけた次第です。

宇都宮駅に着くとほどなく自転車を借りて、いざ大谷資料館へ。大谷資料館では、涼みながら巨大な地下空間を堪能しました。

大谷資料館は涼しく広くとても楽しかったです。暑い日の自転車漕ぎにとってオアシスのようでした

ある石仏を見て「なぜだ?」

その帰路に大谷寺へお参りに向かいました。初めての訪問でしたが、そこで私は思いがけず心を奪われる石仏を見ました。

大谷寺本堂の軒下もすごかったです。斗(ます)が何重にも伸びていて素晴らしい建築でした。葵の紋は徳川家康公の長女、亀姫さまのご支援があったことからのようです

それは脇堂の中の右手、オーバーハングした大谷石の壁に彫られた釈迦三尊像。平安時代に彫られたという重要文化財に指定されている石仏です。大谷石を彫った仏像を塑芯にした上で粘土などで成形、その上に色を塗るといった技法が特徴的。この技術は中国の石像で採用されている技法のようで、当時としてはとても珍しい仏像だったようです。

大谷寺さんのパンフレットに掲載されている釈迦三尊像。私が驚いたのは写真の一番右側で大きく写っているお釈迦さまの石像です。この記事の主人公です

そうした特徴的な石仏なのですが、この像をよくよく見ると、なんとも変なのです。

お釈迦さまの胸の上側から肩にかけて異様に盛り上がっている。しかもお釈迦さまの頭はさらに反り上がって上へと向いているのです。

それだけではありません。このお釈迦さまが座っている蓮華座の下に台がない。宙に浮いとるのです。

なぜだ?

この釈迦三尊像を見てから疑問が沸々と湧いてきました。お寺を後にして駅近くに戻り、自転車の返却を済ませて宿で休んでいるときも考え続けました。その結果、ある結論に達しました。

平安時代の作とされるこの石仏は、ただ古いだけではない。「当時の仏師たちの戦略的で冒険的な創作性があるぞ」と気づいたのです。

それもただの創作ではない。「1000年後も残る“浮遊したお釈迦さま”を表現しよう」という大胆なアイデアを形にしたのではないかと思うのです。

今回はこのことを深く掘り下げてみたいと思います。

浮遊する仏像という“仏師の夢”

木や鋳物で作られた仏像は必ず台座に乗ります。重力の問題があり、宙に浮かせることは不可能。浮遊を表現できるのは、せいぜい光背の天女くらい。奈良の大仏さまの光背であれば、化仏と言われる小さな仏さまを宙に浮かせることができます。

しかし大谷寺の釈迦三尊像を彫った仏師たちは、「石仏なら大きなお釈迦さまを浮かせられる」と気づいてしまった。そう考えています。

浮かせるといって思い出したのがお寺の近くにある「天狗の投げ石」。やわらかい大谷石の特徴もあって投げ石がちょこんと乗ったように見えます

岩壁を彫り込んでいき、お釈迦さまが座る蓮華座の脚をあえて彫らないようにすれば、巨大なお釈迦さまを蓮華座ごと浮かせることができる。そんなアイデアを得たのではないかと推測できます。

これはまさに、石仏が持つ構造的自由度を最大限に活かした創造と言えそうです。

「オーバーハング大谷石」が浮遊感を生み出す

大谷石は乳白色で光を柔らかく散らす素材。その素材からできたオーバーハングは直射光を遮り、散乱光だけが回り込む。

つまり、ふんわりやわらかい印象を持ったお釈迦さまを作れる。この雰囲気は大きなお釈迦さまを浮かせるのにピッタリ。仏師たちはそんな狙い・思いを持ったのかもしれません。

この組み合わせが生むのは:

• 影ができにくい
• 輪郭が空気に溶ける
• 蓮華座の丸みが浮かび上がる

以上を踏まえると、仏師たちはここを「浮遊感を作るための天然のスタジオ」だと感じたのではないかと思っています。

仏師たちはこの地形を見た瞬間、「ここなら浮かせられる」と確信したはずです。

“奥へ彫らない”というベストな判断

石仏は奥へ深く彫り込むこともできると思います。

しかしこの釈迦三尊像を彫った仏師たちはそれをしなかった。

奥へ彫れば影が強くなり、像が沈むから。浮遊感が消えてしまうのです。

それでは「ふんわりやわらかいお釈迦さま」という計画が台無しです。

だから仏師たちは、彫りの深さを1m以内に制限した。そう考えています。

オーバーハングゆえの問題とは

しかもその制約の中で、ある問題を解決しなければならなかった。

それは「オーバーハングに普通に仏像を彫ると、お釈迦さまがうつむいてしまう」という問題です。

これは深刻です。だって真下から見上げると覆いかぶさるような印象になります。言い換えると襲われている印象を、お参りしている人たちに与えてしまうのですから。

これではご利益もへったくれもありません。「ふんわりやわらか」の効果も帳消しになってしまう。そこで仏師たちはある工夫をしています。

それはお釈迦さまの胸を大きく張り出したように彫ること、そしてお釈迦さまの頭を上へ向くように彫ることです。

こうするとお参りした人が近くから見上げたとき、お釈迦さまが天に向かっているように見える。お参りする人たちに圧迫感を与えないばかりか、希望を与える効果が見込めます。

さらに釈迦三尊像から少し離れたところからお参りする人から見て、違和感なく受け入れてもらえます。

つまり遠くから見ておかしくないように、お釈迦さまのプロポーションを計算して、「胸を張り出す」「頭は上向き」という彫り方を選んだわけです。

これは仏師たちの緻密な検討と計算によるものと考えざるを得ません。

• 頭を上向きに
• 胸を前に張り出し
• 蓮華座を丸く柔らかく

という視覚補正を駆使し、浅彫りで浮遊感を成立させた。

専門家でもないですけど、これは石仏制作史上でも極めて高度な技法と言えるのではないでしょうか?

1000年後を見据えた“保存設計”

しかも彫り進めたらリスクもあった。それは「岩の色合いが乳白色ではなくなり、悪くなる恐れ」です。

大谷石にはミソと呼ぶ、乳白色ではない色をした点状の「石としての弱点」があります。深く彫り進めてそれが出ると「お釈迦さまのふんわりやわらか計画」が崩れてしまう。何としても避ける必要がありました。

浅く彫った理由は美観だけではないと考えています。1000年後の姿も踏まえた備えもしたと考えざるを得ません。

腕を突き出すように彫り出すためにはオーバーハングを深く彫らなければなりません。でも一生懸命彫って腕を突き出すようにできても、大谷石はやわらかいので、腕が折れる恐れがある。

特にオーバーハングの場合、壁から離して腕を作ると、建物の梁のように地面と水平に近い形になる。重力が壁から離れた腕全体にかかるので、壁との接合部に大きな力が加わりやすい。やわらかい大谷石だと折れやすいリスクがさらに増します。

これでは1000年後にまで原型を伝えることができません。だからお釈迦さまの手は身体に密着させるように彫ったと考えています。

この釈迦三尊像は岩を彫ったあと、粘土などを上に塗り成形。さらに彩色していたかもしれません。

でも仏師たちは「今は彩色までしてきれいだが、いずれはげていく。成形したものも取れて最後は岩だけになってしまう」。こう見通していたと思います。

だから塑芯である岩だけになっても形がきれいに残るよう、岩を丁寧に彫ったのではないか。そう考えています。

実際に今の釈迦三尊像をみると、きれいに衣の曲線が彫り込んであります。成形や色に頼らない仏師たちの設計思想を強く感じます。

仏師たちは未来の姿まで計算していた。

だからこそ、釈迦三尊像は今も残っている。そして技術の高さも相まって、重要文化財に指定されている。こう言えそうです。

蓮華座は“雲”として設計された

お釈迦さまが座っている蓮華座は全体的に丸みを帯びていると気づきました。これも「浮遊感の鍵」と、私はみています。

• 角を立てると影が強くなる
• でも丸くすると光が回り込む
• 丸くすれば大谷石の乳白色によってより柔らかく光る

こうした理由で、蓮華座はまるで雲のように彫られ、その上にお釈迦さまを載せて、ふわっと浮かぶ感じを含ませる。

そんなイメージを、ふんわりやわらかい印象を持つオーバーハングの大谷石で表現したい。釈迦三尊像を彫った仏師たちはそう考えていたに違いありません。

ふんわりやわらかい雰囲気を出したかった理由

ではなぜふんわりやわらかいお釈迦さまを彫る必要があったのか。それは平安時代に末法思想が広がっていて、みんなの心がふさぎがちだったから。

そんなみんなに向けて、智慧と修行によって不安や悩み、苦しみから離れて安らいだお釈迦さまを彫りたかった。そしてそれを見てもらいたかった。

「ほら、見てください!お釈迦さまはふんわりやわらかい雰囲気の中では浮いていらっしゃって安らいでおられますよ。みなさんもこれを見て安らいでくださいね」。そんな仏師たちの願いが、釈迦三尊像に込められている気がします。

ちなみにお釈迦さまは、右手を挙げ、その手のひらをこちらに向ける形で彫られています。この形は施無畏印と呼ぶようで、「心配しないで」という意味があるそうです。こうしたお釈迦さまのポーズも踏まえると、私の推測は大外れとは言えない気がします。

立地そのものが“最適解”だった

そもそもですが、仏師たちはこの場所を見たとき、すぐに「宙に浮く巨大なお釈迦さまのここに彫りたい」と感じたのではないかと思います。

というのも、かつて大手建築設計会社のベテラン建築家さんに取材したとき、「建物の立地に立つと、ここが入り口、この方向が風の通り道、ここはみんなの憩いの場にする」といった建築プランが頭に自然と浮かぶと言っていたからです。

時代は違えど石仏のプロだってそんな見立てはパッとできたのではないか。私はそう見ています。

釈迦三尊像が彫られた岩場はオーバーハングになっています。さらにオーバーハングの先は長い庇(ルーフ)になっているようです。壁からの水漏れがなければ雨を防げます。開眼後の長期保存にも向きます。

さらに、オーバーハングやルーフの下は広場があるので、法要に最適。広場は道に面しているので参詣もしやすい。「多くの人たちにお参りしてもらう場所としてうってつけ!」。仏師たちはそう考えていたに違いありません。

仏師たちは間違いなく、「ここでなければダメだ」と確信していたはずです。

芸術家として高みに到達?

釈迦三尊像を完成させた時、仏師たちは大きな充実感をたと思います。

巨大で、ふわっと浮遊する仏像を、形にできたからです。「自分たちが磨いてきた技術を総動員してついに実現した」。そんな瞬間だったと察しています。

おそらく仏師たちは、仏師として「一つ上の高みに来た」と感じたに違いありません。生涯を通して誇れる作品と感じたのではないかと思います。

参詣者も驚いたはずです。「お釈迦さまが浮いとる」 と。近づけば「お釈迦さまが空へと伸び上がっとる」と。今で言えば VR のような体験。没入感がたまらなかったのではないかと考えています。

仏師たちを身近に感じられた理由

大谷寺を訪れたあと、以上のようなことに思いを巡らせることができました。なんだかとても良い気分になり、とても楽しかったです。

仏師たちがどんな思いで大谷寺のオーバーハングの岩場を前に立ち、どんな未来を見据えて彫ったのか。それを身近に感じ取ることができたからです。

1000年先も見据えて彫ったと感じさせる釈迦三尊像。仏師たちはきっとプロトタイプを作って、綿密に設計や計画を練り上げたに違いありません。

もし今、仏師たちに会えるなら、これまでここにまとめた私の考えが合っているのか。プロトタイプを作ったのか。どんな経緯や議論をしたのか。こうしたことを、聞いてみたいと思いました。

まとめ:大谷寺の釈迦三尊像は“創造者の思想”が見える仏像

この石仏は、単なる信仰の対象ではありません。

• 光
• 素材
• 空間
• 保存性
• 動線
• 祈り
• 浮遊感
• 視覚補正
• 末法思想

これらすべてを統合し、「ふんわりやわらかく宙に浮かぶお釈迦さま」 を実現した、創造者たちの思想そのものです。

大谷寺を訪れたことで、私は仏師たちの息遣いを感じ、1000年前の創造の現場に立ち会ったような気持ちになりました。

とても良い経験ができました。自転車旅は侮れないな。ありがとうございました。

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