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観音寺城再チャレンジ

 2026/1/31 観音寺城(近江八幡市)

 3年前に一度登城したが、積雪の為頂上より西側の登城を断念。今回性懲りもなく積雪の中再チャレンジ。

 [略歴]

 1335年以前 六角氏頼により築城。

 1351年 氏頼、佐々木道誉ら足利直義に攻められ観音寺城に籠城。

 1468年 六角高頼の配下の伊庭行隆、京極勢に攻められ開城。京極勢は占領を続けなかった模様。

 同年 京極勢が再度攻め、再び開城。京極勢は占領を続けなかった模様。

 1489年 九代将軍足利義尚に攻められ開城。高頼は後に奪回。

 1491年 十代将軍足利義植に攻められ開城。高頼は後に奪回。

 1502年 伊庭行隆ら高頼に反乱し観音寺城を攻める。

 1516年 行隆ら再度観音寺城を攻める。

 1525年 伊庭氏が三度観音寺城を攻める。

 1563年 後藤賢豊の遺臣が観音寺城を攻める。

 1568年 織田信長が観音寺城を攻め開城。以降六角氏は奪回ならず。その後はしばらく織田領の詰城として機能しやがて廃城。

 この開城(落城)の多さは何だ!籠城しようと思えばいくらでも出来る巨城だが六角氏は代々籠城する気はないのだろう。自分達より巨大な勢力に攻められたら甲賀方面に逃げ、その勢力がいなくなったら奪回、を2世紀繰り返して来た。信長によって年貢の納め時、六角氏は守護の座を失う。この弱腰が信長の恨みを買わず(相手にされず)戦国時代を生き抜いたのは「負けるが勝ち」の処世術か?

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