気象庁の数字が説明できない「昔は涼しかった」の正体
「昔は涼しかった」と誰かが言うと、必ず気象庁のデータを持ち出して黙らせようとする人が現れる。日本の年平均気温は1898年の統計開始以来、100年あたり1.44℃しか上がっていない。2025年の平均気温は平年より1.23℃高く、これは統計開始以降で3番目の高さにすぎない——1位は2024年の+1.48℃、2位は2023年の+1.29℃。つまり記録的な暑さはここ数年の話であって、それより前まで遡って「昔は涼しかった」と言うのは、ただの記憶違いだ、という理屈だ。 数字は正しい。ロジックは間違っている。
データを突きつける側も、突きつけられて黙る側も、実は同じ勘違いを共有している。両者とも「記憶は過去の気温を記録したものだ」という前提で戦っている。だが記憶は温度計ではない。記録装置ですらない。

記憶は「平均」を保存しない
心理学には「バラ色の回顧」と呼ばれる、非常に頑健な現象がある。1997年、ミッチェル・トンプソン・ピーターソン・クロンクの研究グループは、ヨーロッパ旅行、感謝祭の帰省、カリフォルニアでの3週間の自転車旅行という3種類の体験を対象に、参加者に体験の「前」「最中」「後」でそれぞれ評価をつけさせた。 結果は一貫していた。体験の最中にリアルタイムでつけた評価より、終わった後に振り返ってつけた評価の方が、常に高くなる。
ここで重要なのは、これが「辛かったことを忘れて楽になる」という単純な話ではない、という点だ。純粋に楽しかった旅行についてさえ、後から振り返った評価は体験している最中の評価を上回った。記憶は、体験を保存した後になって、勝手に採点をかさ上げする装置だということになる。
あなたが「あの頃の夏」として思い出しているものも、同じ処理を受けている。真夏日が何日続いたかのログではなく、扇風機の前で麦茶を飲んでいた一瞬や、プールから上がった直後の風の涼しさといった、後から編集されたハイライトだ。しかも編集は一度きりでは終わらない。思い出すたびに、その時点でもう一段、心地よい方向へ採点し直される。
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