個人路程㉓2000年2月13日の韓国での祝福式
祝福式準備
日本に帰国して、国家メシアの家で祝福式(合同結婚式)の準備。
まずは、教会でマッチングの写真をもらう。
韓国人教会長から
柔道の山下選手に似ているね。
彼をを伝道した日本人女性から、彼は今は合気道の道場をしているが、大学では柔道をしていたと聞いていた。
運動とは無縁の私とは正反対。やせ形の私とは正反対の体格。祝福のマッチングであるあるの極と極なのだろう。
荷物は同じ宣教師のお姉さんの家に置いていたので、取りに行き、荷物の整理と祝福式参加の荷造りをした。
韓国へ向かう飛行機で
飛行機の便は教会の付き添い役の再祝福の時の面接官の婦人と韓国語が堪能な男性職員と今回3回目の祝福だという女性の4人といっしょだった。
3回目だという女性は今回も難しいかも?という感じで、憂鬱そうだった。
韓国で
2回目の私はというと、前回のような初々しい気持ちはなかった。正反対に相手の韓国人主体者は初めてということで偉く舞い上がっていていた。
後で聞いた話によると、彼は宿所で仕切りやのなり同部屋のメンバーたちからお金を集めて、若いメンバーにお酒を買い行かせ、部屋で飲み会を行っていたらしい。。
彼は大学時代、宿所である龍仁に住んでいたのでよく知ってるからということで、空いてる時間を見計らって民俗村にいったり、ご飯を食べに連れ出された。
宿所のスタッフの方が「以前の祝福式にくらべて、男性たちのレベルは高い」と言っていた。
祝福式の宿所で酒盛りしてでもレベルが高いって、もともと低基準の韓国人男性たちっていうことか?
彼は日本語はしゃべれないが、簡単な日本語の単語と漢字で、私は韓国語はしゃべれないが、付け焼刃で覚えた単語でなんとかコミュニケーションをとり、どうしても伝えたいことは日本語韓国語しゃべれる人にお願いしたりした。付き添いできた韓国語が堪能な男性職員からも、彼はとてもいい人だとお墨付きをもらった。
以前受けた祝福式は夏だったので、韓国人たちは家族を動員して会場のスタジアムのあちこちで宴会を開いていたが、今回は冬だということで以前に比べて静かなものだった。
私は彼の家族がくるものだと思っていたが、寒いし、年だから断ったということだった。
一連の行事が終わり、彼は仕事があるからと帰っていった。
合気道の道場しているときいていたが、コンクリートミキサー車の運転をしているようだった。
これも後でわかったのだけど、合気道の道場での稼ぎでは家庭を持つには経済的に厳しいということで、急遽仕事を変えたということだった。
私は仕事していない状態だったので、ソウル観光ツアーに誘われ観光にいったりして過ごした。
帰国
帰りの飛行機も行きと同じメンバーだった。
3回目の祝福の彼女は、この期間に相手の所属教会で家族と会ったようだった。それでも紋々と悩んでいた。その後、どうなったのかはわからない。
私は、相手の人柄もいい人だとわかり、自分のことを喜んで受け入れてくれたので、渡韓意欲は急上昇した。
次は渡韓準備だ。
