個人路程㉑再びボリビアへ
再祝福の面接の前にボリビア行のチケットをとったことを面接官に伝えたら、
アメリカ宣教の摂理の話が来てるわよ。チケット変更しなくてはいけないかもしれないから確認したらいいわね。
ボリビア宣教師たちのアメリカ任地はコロラド、デンバーだった。
任地ってどうやって決めるのか?アンデス山脈とロッキー山脈。海のないというところで共通点アリアリの任地だった。
宣教師のリーダーのお姉さんに連絡したところ、
チケットとっちゃったんでしょ?。Kさんは長いことボリビアで活動してきたからボリビアに行ったらいいわ。
あっさりボリビア任地となった。
日本人の国家メシアからコチャバンバに行くように言われたが、最後の宣教活動。まだ活動したことないサンタクルスにしてほしいとお願いして、参加クルスに行くことになった。
サンタクルスはラパスのやコチャバンバのように高山ではなく、低地なので暑いところで、埃っぽいという話は聞いていた。
成田空港には千葉のメンバー数人と、コチャバンバで一緒だった宣教師と合流し、千葉のメンバーのお子さんたち、フィリピン、韓国にお嫁に行く準備中の姉妹たち、まだ祝福を受けていない私が伝道したMちゃんに見送られ出発した。(1999年9月末)
ラパスで
まずはラパス到着。ラパス人事のお姉さんと懐かしいラパス教会に行った。
私はサンタクルス人事なのでラパスによる必要はなかったが、以前ラパスにいた時に、食材買い出しにメルカド(市場)にったときすりに合ってとられたお金を返しに行ったのであった。
ラパスの責任者されているお姉さんは「何しに来たの?」冷たい対応だった。
実は、私は1998年の祝福で日本人女性と祝福をうけたラパスの青年の世話をよくしていた。彼とは年も誕生日も近いということで親しくしていたのだが、日本人と祝福受けたということで通訳や日本の状況とかを話したり、相談にのったりもしていた。
彼は何かの面接で私のことを好きになったみたいなことを言ってしまったことで、私はラパス出禁となったのであった。
コチャバンバ人事の後にこのことが判明し、それ以降私のラパス人事は永遠になくなったのであった。
かつての問題を起こしてしまって駆け落ちするところまでは行ってないのだから、そんなに目くじらたてることもないのに、過去いろんな事件があったので周囲の目は厳しいものである。
彼もそれを承知で、誰もいないのを確認して、私が日本にいた時に日本人相対者(祝福の女性の相手)がボリビアに来て撮った写真と手紙を私にくれた。
その時サンタクルス在住の国家メシアの娘さんたちと撮った写真を娘さんたちに渡してほしいと言ってきた。
写真と手紙を受け取って、長距離バスでコチャバンバに向かった。
コチャバンバで
コチャバンバでは日本に帰国するために借りたお金と、歯の治療で借りたお金もあったので、それも併せて返して、サンタクルス人事の同じ青年部出身の姉妹と2人でサンタクルスに向かった。
サンタクルスで
サンタクルスに到着したのが10月2日だった。翌日の10月3日は開天日という教会内で名節日だった。
再出発にふさわしい日をサンタクルスで迎えることができたのだった。
サンタクルスは学生の内部メンバーが結構いて、活気のある教会だった。
国家メシアは、ユダヤ人(国籍はイギリス)で奥さんは日本人。娘さん3人で、香港、ロシア宣教後、ボリビアにこられた根っからの宣教師一家。
祝福式は2月13日。それまでに今までの宣教生活を清算する決意を胸にサンタクルスでの宣教生活が始まったのであった。
