個人路程⑮ホームチャーチ活動をしているIさんについて
今回は当時の私に多大な影響を当ててくださったIさんについて書いてみようと思う。
95年8月25日の祝福(合同結婚式)を終えてから、社金返済のため伝道機動隊から勤労青年部に移動し、アルバイトと伝道活動にいそしんでいた。
マッチング決まるまでH姉妹のアパートに引きこもっていた時、H姉妹から「KさんにIさんを紹介したい」と言ってきたことがあった。
外に出るのを禁止されていたのでそのときは話だけ終わった。晴れて祝福を受け、同じ青年部の所属になった私たちは、活動がお休みであった月曜日にH姉妹の霊の祖父にあたるというIさんに会うことになった。
Iさんとの出会い
Iさんは医学部を退学した後、教会に伝道され、精力的に活動をしていた方だった。とにかく伝道に対する意欲は半端なく、ビデオセンターのセンター長をされていたときも時間があれば声をかけていてビデオセンターに動員していたくらい活動的な人だったそうだ。
ある日、突然体が動けなくなり寝たきり状態になってしまった。このままでは教会に迷惑がかかるというので自ら教会を出て、できるだけ安く住める場所を探し、望んだような場所を引き寄せた。体が回復したら、教会には戻らず、そこを拠点に独自に伝道活動を始めた強者であった。今後ホームチャーチの摂理がくると実感していたからであった。
ホームチャーチ(家庭教会)のことは教会でも話だけはきいたことはあり、私自身も祝福を受けるにあたってホームチャーチを意識していた。
周りは韓国人との祝福が願われ、韓国人とならどんな人でも喜んで受けるべきだという教会内風潮の中、私は家庭教会を作って行ける人と祝福を受けさせてくださいと祈ってきたので、ホームチャーチ活動をされているIさんの話にスパークしてしまったのであった。
ちなみにこのIさん、1988年に6500双の祝福を受けていて、ホームチャーチ活動をしていても家庭はまだ持っていない方だった。
Iさんは次から次へと出版される教会関係の書物はすべて目を通すようにするため、速読の技術も独自で学んでいた。
Iさんと関わる人たちは拉致監禁される人が多いようで、ちょうどこの時にもH姉妹の霊の姉妹も監禁されていた。私自身も拉致監禁当事者にあたるというので何らかの因縁みたいなものも感じたし、Iさん自身に大きな使命があるように思われた。
組織に属さないで独自に伝道活動しているのに、教会側からはブラックリストに載っているというので、H姉妹からも「教会には内緒にしようね」と念をおされた。
Iさんのされている活動が、天が願うものであり、自分が目指しているものであると確信した。
Iさんのアドバイス
青年部での活動が陳腐なものに感じてしまった。私はIさんに祝福の相手Yさんから韓国で活動しようと誘われて、渡韓する旨を支部長に伝えたら反対されたことを伝え、どうしたらいいか相談した。
Iさんは、「環境を無理やり変えても同じ壁にぶち当たる。変えたければ今ある環境でやるべきことをやれば自然と扉が開くんだ」と言われた。
支部長の反対を押し切って渡韓に行くべきではないということはわかった。では、何をすればいいのか?
まずは霊の子(伝道し教会につなげた人のこと)3人たてること。その次はほかの人が霊の子たてれるように導いてあげること。と言われた。
Iさんに言われたことを、いつも意識しながら教会生活していたおかげで
伝道対象者が3人が教会につながり始め出した。
次は人を勝利させる段階だ。青年部で基台長という役割を与えられていた私は、副基台長の姉妹に霊の子ができるように断食などをしながらサポートし、副基台長の姉妹に霊の子ができるようになった。
4200名の南米摂理の始まり
そんなとき北米&中南米に4200名の宣教師を送る摂理の話がまいこんできたのであった。
拉致監禁現場から偽装脱会で出てこれた後に1600名の世界宣教の摂理がきた時、支部長から「大学卒業者が対象でKさんも候補に入ってるけどどうする?」と聞かれたことがあった。
正直宣教に行きたかったが、監禁現場からできた直後ということもあり、「時ではない」と思い断った。
強く説得されることなくそのままだったのだけど今回は「今がその時だ」という直感が働いた。
Iさんが言っていた自動的に扉が開いた感覚があったからだ。
まずは教区で南米摂理の決意集会があるから行くようにと言われた。その後、南米宣教の摂理にのる決意のある人は済州島での修練会に参加するように言われ、押し出されるように済州島に向かったのであった。
