個人路程㉒韓日マッチング、そして帰国
ボリビア全体ではボリビア復帰のため、時間はかかるけど青年を伝道し教育していこうという方針で活動していた。
サンタクルスでは、教会の前で声をかけ、10分くらいの講義を聞いてほしいとお願いし連れてきた人に簡単な原理講義をするというものだった。
講義は内部メンバーの大学生のボリビア人の兄弟がやってくれる。
声をかける人は基本若いので、若者同士話が弾んで10分の講義が1時間ということもざらにあった。
講義の後は、日曜日の午後のセミナーに動員。
そのセミナーでも講義は青年がする。国家メシアの奥さんがケーキを焼いて、セミナー後はお祝いし、ケーキを食べながら次の講義の約束をするというのが教育の流れとなっている。
最後は祝福(合同結婚式)の話をして、祝福に導くようにする。
教会前で講義に動員した青年が友達を連れてセミナーに参加すると約束してくれた。
その日は、死者の日といって、町中のバスが路線を変え墓地行きになり、教会の周りは歩行者天国状態となる。
その日来る約束した青年はみんな来ないだろうと諦めていたところに、青年がともだちと自転車に乗ってきてくれた。
講義を聞き、ケーキを食べ、喜んで次の講義の約束もし、2人で通うようになったが、最初に声をかけた青年は彼女がいるというので、そのまま講義を最後まで聞くと彼女と別れさせられると思ったのか?来なくなり、友だちの方は最後まで講義を聞き、祝福を受けることになった。
国内マッチング
国家メシアに、マッチングの権限が与えられたということで、国内でマッチングを行い、基盤を固めようということになり、私が参加クルス滞在中、2回ほど国内マッチングが行われた。
マッチングは韓国人の国家メシアがしてくださることになった。
かつて、公金持ち逃げと日本人宣教師に手を出した韓国の国家メシアがいなくなり、しばらくの間韓国人の国家メシアがいなかったのだが、ブラジルのジャルディンで行われている40日修練会の責任者をされている方が、ボリビアの国家メシアとなった。
国家メシアになる前にも何度か訪問されていて、あれやこれや指示していた。私たち日本人の宣教師たちは韓国人の責任者に振り回されていた経験から、適当にあしらっていた。
正式にお父様(文鮮明総裁)から人事の指示がきたと言っておられたが、正直本当に連絡があり正式な人事なのか?疑ってる人もいた。
コチャバンバでのマッチング
最初の国内マッチングはコチャバンバで行われた。
私も再祝福のマッチング前だからという理由で、引率もかねてお手伝いにかりだされた。
もし、再祝福の手続きしなかったら、私もその中でマッチングされていたと思うと、手続しておいてよかったと思ってしまった。
マッチング
朝の祈祷会の途中で、国家メシアの婦人から
韓国から電話よ
呼ばれて電話をとったら
韓国在住の日本人女性からだった。伝道した人とのことだった。
断らないでください。40日間毎日伝道して出会った人なんです。見た目は太っているけどかわいくて、いい人なんです。
心を尽くして伝道された人だと感じ、安心したのを覚えている。
写真は千葉の教会に届けられていて、後日メールで写真だけ送られてきた。
年末修練会
ボリビアでは年末に盛大な修練会を行っていた。ただ講義を聞くだけでなく、7日断食、万物復帰(モノ売り)も行い、そのまんま祝福に向けた修練会でもあった。
ボリビアは南米でも貧しい国なので、他の南米の国に比べ祝福献金は難しい額となっている。
市場で安くボールペンやキーホールだーなどを仕入れて、歩きながら販売する。売る文句は学生たちなので「田舎から出てきてる大学生です。生活費、学費のために売ってます。買ってください。」祝福献金に使いますということは言わないけれど、生活費、学費のためにも使われるので、嘘ではない。南米の人たちは深く物事を感げないので、お金があれば買ってくれるので、コツコツ続けていれば必ず完納できるのであった。
サンタクルスでのマッチング
2回目のマッチングはサンタクルスだった。
修練会を受け、断食をし、万物復帰をした後、2回目の国内マッチングは行われた。
修練会がサンタクルスで行われているので、2回目の国内マッチングはサンタクルスだった。
私が伝道した青年のお友だちは、同じサンタクルス所属の内向的で人見知りの酷い学生とマッチングを受けた。
帰国
今までボリビアで伝道活動してきたが、1人は祝福献金で躓き去り、1人はマッチングまでいったが本人も年なのに相手の女性も年齢が高く子供が産めないからと去り、やっとマッチングを受け、祝福式まで参加できる人ができ、帰国となった。
ある意味すがすがしい気持ちでボリビアをさることができた。
サンタクルスでお別れ会をしてくれた。短い期間だったけれど共に活動した宣教師たち、現地のメンバーに別れの挨拶をしコチャバンバに向かった。コチャバンバでも短い期間だったけど、宣教師のお姉さんたち、現地のメンバーにも別れの挨拶をし、想い出の場所を写真に収め、ラパスに向かった。
ラパスで
一番長い期間滞在し活動してきたラパス。日曜日だったので礼拝に参加し、現地のメンバーとも別れの挨拶ができた。
日本人女性と祝福を受けたラパスの兄弟とは周囲の監視の目により、以前のように親しく交流できない状態だったが、軽く挨拶でき、今までの気持ちをしたためた手紙を渡すことができた。彼は手紙を受け取ってすぐトイレに籠って手紙を読んだうえで、簡単な手紙の返事を書いてくれた。
礼拝後はセンスのある宣教師のお姉さん2人と市場にでかけ、祝福式で使うベールを見立ててもらった。その後は1人で別の市場に出かけ、韓国人主体者(祝福の相手の男性のこと)とその家族へのプレゼントを買い、懐かしいラパスの町々を目に焼き付け、カメラに収めながら教会に戻り、夜は宣教師のお姉さんたちといろんな話をしながら過ごした。
翌朝、宣教師のお姉さん2人が空港まで見送ってくれた。
最後のラパス空港で
最後残念だったのが、残ったお金をドルに換金したときに、何もわからなさそうな日本人観光客だと思われ、ぼられたこと。(気づくのが遅かった。。)
ビザが切れていたので数日分の罰金を払うときに2日ほど多く請求されたので、換金でぼられたのでこのときは「違うだろ!!」と指摘して必要日数分の罰金だけ払って出国した。
思い残すことなくやり切った感があり、すがすがしい気持ちでボリビアを出ることができた。
次は韓国だ!!
