個人路程㉖コーヒーマイクロに乗ってみて
本来40日のところを人員不足のおかげで途中から乗って、途中で降りるという特別待遇でマイクロに乗ることになった。
私が乗った隊は大分が任地であった。神奈川から出発したマイクロ部隊が兵庫の芦屋に来た時に合流することになった。(芦屋までは新幹線で個人的に移動となった)
マイクロの隊のメンバー
隊長は教会内の世界しか知らないような純粋な青年だった。同じボリビアの宣教師の姉妹の主体者(合同結婚式での男性のマッチング相手)だった。
姉妹から、彼は教会内でしか生きてこなかったので頼りにならないという話をきいたことがあったので、なるほど、極と極だな~と思った次第だった。
マザーと呼ばれている隊長の補佐の立ち位置の女性は韓国にお嫁に行ったものの経済的な理由で幼い子供を韓国に残して稼ぎに来ていた。平均1日5万くらい稼いでいる強者であった。
ドライバーさんのほかにメンバーは私を入れて4人。3人は韓国にお嫁に行く準備金稼ぎのため。もう一人はハワイに宣教と家庭出発のための準備金稼ぎが目的であった。
アフリカに学校を建てるためにコーヒー売ってますというのが販売トークとなっている。
アフリカの兄弟も途中一緒に活動した記憶がある。
アフリカに学校を建てるというトーク故、販売促進にはうってつけであった。
マザーの女性は以前アフリカのケニアに宣教に行った経験があり、そこで撮った写真をトークの時に見せていた。
もともと強者のマザーがこの写真も手伝い、とんでもない実績をあげていた。
売り上げのうち経費を差し引いたものが40日路程がおわったら口座に振り込まれるという仕組みになっている。
本当にコーヒー売ったお金でアフリカに学校を建てているのか?というのは定かでない。
マイクロ生活あれこれ
マイクロでの生活は朝はドライバーさんが朝ご飯(パン)を準備してくれ、昼は各自コンビニで買ったものを食べ、夜はドライバーさんが作ってくれた夕飯を車の中で食べるというものだった。
食べ物はインスタント、レトルト、パンだった。
こういう食生活を何年も続けていると体壊すだろうと漠然と感じた。
寝るのは女性は車の中。男性はテント張って外で寝ていたか?同じ車の中で寝ていたかは記憶がない。サービスエリアなどの駐車場で寝泊まりをしていた。
お風呂は週2日か3日に銭湯に行った。銭湯にいったついでにコインランドリーで洗濯もしていた。
日本では銭湯やコインランドリーという設備が整っている上、インスタント食品やレトルト食品が充実しているからマイクロなんていう経済活動ができたのかもしれない。
毎日毎日訪問活動だけしているわけではなく、1日だけ「心霊復興」というテーマパークのようなところに行って遊んだ記憶がある。
私はもともと万物復帰は得意ではないので、大きな実績は出ず低空飛行でとりあえず決められた日数を全うした。
楽しいというよりも、こういう世界があったのか?という驚きが大きかった。
2人ほどマイクロ生活楽しいと言ってる人がいたが、理解できなかった。
10年近くマイクロ生活をしていたという女性がボリビア宣教師にいたが、正直私がこういう生活数年続けたらメンタル崩壊していただろう。たった30日でよかった。
最後の任地は、95年祝福を受けたYさんの実家のある市だったのは何かの因縁だったのか?
同じ苗字の家が多かったので、親戚かな?と思いながら販売訪問し、新幹線に乗って私の初めてので最後のマイクロ路程は終わったのだった。
次は修練会。そして渡韓だ。
