個人路程⑬祝福前後の拉致監禁
今回は1995年の祝福式前後、拉致監禁され離教した兄弟姉妹たちのことを書いてみます。
U姉妹
U姉妹は、家族に韓国人と祝福受けることを告げに実家に帰った時に拉致監禁されて離教しました。
U姉妹は東京で、大きな組織の会長の秘書をしていました。結婚を前提に付き合っていた人と別れて、仕事しながら精力的に伝道活動している、青年部の中でも頼れるお姉さん的な存在でした。
韓国の農村でスイカ農家の人とマッチングをうけたとき「祖父母もスイカ農家だったのよね。縁があるな~」と喜んでいました。
秘書として外的にはバリバリ働いている娘が、突然韓国の田舎でスイカ作ってるところにお嫁に行くと言ったら、当然家族は心配するでしょう。
U姉妹は濃いメークにミニスカートといういで立ちで、ホーム(教会員たちが共同生活している家のこと)に荷物を取りに来たとのこと。
その後、U姉妹は兄弟姉妹たち宛に手紙を送ってきました。その内容は「家族のもとに戻れて私は幸せです。みんなもよく考えて行動してほしい」というような内容でした。
その時、マザー(ホームの中で母親的な役割の女性スタッフのこと)が放った一言
「Uちゃん、献金の会計報告のお手伝いしてたから、反対派にまわったら厄介なことになるかもしれない。心配だな。」
母親の立ち位置の女性が娘の心配よりも組織の心配しているのが衝撃でした。
K兄弟
K兄弟は、大学を卒業して新卒で働いていた兄弟で、日本人女性と祝福を受けました。
祝福式後、その女性が拉致監禁され、連絡が途絶えたのです。
教会内は祝福受けたメンバーが多かったので、そんな彼にどう接すればいいのかわからなかったのでしょう。うきうきムード充満のなかK兄弟は孤独に耐えていました。
ある朝、仕事に行くときたまたまK兄弟と同じ電車に乗り合わせたことがありました。K兄弟が寂しそうに「Kさん、みんな冷たいよね」と言って電車を降りて行ったことが忘れられません。
その後、K兄弟も拉致監禁され離教しました。
風の噂ではK兄弟は、祝福を受けて拉致監禁して離教した女性と別れることなく教会抜きでお付き合いを続け結婚したときいてます。
E兄弟
E兄弟はK兄弟と同じ年で、祝福を受けることを親に報告するため実家に帰省した時に拉致監禁されました。
偽装脱会ということで家族には完全に辞めたことになってるというので、活動はしないで時々ホームに遊びに来てるだけとなりました。
1996年に私が世界宣教に行くことを決意した時、E兄弟は泣きそうな顔で「ホントに行くの?大丈夫?わかってるよね?」と何度も聞いてきたことが忘れられません。
拉致監禁された時に私以上に信仰歴があったE兄弟は、私以上にいろんなことを聞かされたのでしょう。
祝福式で同じ部屋の姉妹
名前は忘れましたが、同じ部屋の姉妹が祝福式後拉致監禁されて離教したという連絡がありました。
その姉妹は、家族が反対している中韓国人男性と祝福を受け、幸せいっぱいで部屋の中でものろけていたくらい舞い上がっていました。
同じ部屋のメンバーで住所交換をして、姉妹の手帳に私の名前と連絡先があったのでその姉妹の所属教会が連絡してきたのでした。
その姉妹が私の名前と連絡先が書かれた手帳を返してほしいと言われているのだけど、そのまま渡していいか?名前と住所を黒く塗りつぶした方がいいか?と聞かれたので
黒く塗りつぶしてくださいと答えました。
こういう風に拉致監禁者のターゲットを集めているのだと知りました。
最後に
あんなに祝福を喜んでいた人が、1か月程度の監禁説得でここまで変わるものか?未だに理解できない。
それだけの力があるのなら、対立を煽るのではなく、日本や世界平和のために役立ててもらいたいものであります。
