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個人路程⑭Yさんのこと

今回は95年8月25日に祝福(合同結婚式)を受けたYさんについて書きます。

Yさんの家族の宗教路程

家族は両親と1歳下の弟の4人家族。お母さんがいろんな宗教を渡り、その度に家族全員を改宗。

Yさんが高校の時、統一教会にたどり着きそれ以降他の宗教にはいかなかったとのこと。

Yさん自身も高校生で統一原理を聞き、卒業したら献身することを決意したものの、将来のために大学はいったらいいという周囲のすすめで1年浪人して京都の大学に入学。浪人中から教会で活動していて大学にはいるとカープ(原理研究会)に入り授業は必要最低限出席し、活動に専念していた。

88年の6500双の祝福を勧められたものの、学生の分際で受けられないというので見送った。

大学を卒業し献身し名古屋で活動。印鑑販売、講義などをしていたと聞いている。92年の3万双の祝福で韓国人女性と祝福を受け渡韓。

1歳下の弟は日本の教会と折が合わず教会を離れ渡米。渡米先で再伝動されそのまま献身。

お母さんは婦人部長など献身的に活動してきたものの、献金で借金返済のため95年の祝福の頃から婦人部長の役職を降り、仕事することに。

お父さんは教会には特に反対はなく、お母さんの勧めで既成祝福(結婚している相手と合同結婚式を受けること)を受けた。

家族の反対の中祝福を受けた私とは正反対の家庭環境だった。

Yさんの家庭に氏族大反対の重荷をせをわせて申し訳ないという思いより、私の家族の反対をひっくり返せるかもしれないという希望の方が大きかった。

Yさんの祝福後の韓国での状況

Yさんは韓国で92年の3万双の祝福受けたメンバーたちと世界日報という新聞の配達をしていた。

日本所属の私と祝福を受けたので、韓国にいる意味がないので日本に帰国すると部署の長に申し出たところ

代わりの人が渡韓して引継ぎが終わるまではダメだと説得されたそうだった。いつ帰国できるか見通しがつかない時、Yさんから「せっかくなら韓国で活動したらどうか?韓国語も覚えられるしいいんじゃない?」と提案されたことがあった。

当時教会内では韓国語を覚えるように言われていて、青年部でも今後の韓国人との祝福に向けて韓国語学習を始めようという気運が高まったいる時でもあった。さらに活動家になっていた私は韓国での活動がどういうものか?気になっていたので、支部長に「私、韓国に行きます‼」宣言をしたところ、

「Kさんは日日家庭だから韓国に行くことはできない」とバッサリ切られた。

当時36万双で韓国人男性と祝福を受けた日本人姉妹たちの渡韓準備で大忙しだった。韓国人男性や韓国の教会から早く韓国に送れと騒がれ、姉妹たちが韓国にお嫁に行ってしまった後のことを考えると責任者たちの悩みは尽きないようだった。

Yさんとは電話でやり取りをしていて、韓国での状況を知ることができた。

その中で最近渡韓した日本人の姉妹たちは家族に祝福のことを話していない人が多くてびっくりした。信じられないと言われ、私自身もその立場の信じられない人なんだと寂しく感じたのだった。

後、Yさんはカープという大学での原理研究会出身で、ビデオセンターからつながった青年部体制とは違う路程で、教会内の価値観の食い違いなどもあり、同じ日本の中の組織での違いを知ったのであった。

Yさんの帰国

Yさんが帰国したのが96年の1月だった。

帰国後は韓国に行く前の所属地、名古屋のホームを拠点にアルバイト生活をすることになった。その後世一観光という教会内の旅行会社の社員となった。

当時、日本人同士のカップルは女性が33歳で家庭を持つといわれていた。ほとんどの日日家庭(日本人同士のカップルのこと)は女性が年上だった。私たちの場合、男性のYさんが3歳年上というので、私は当時27歳だったので家庭を持つにはまだまだ時間があった。

そんなとき、北米&中南米への宣教の摂理が始まった。



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