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DX研修で「頭にヘルメットを埋め込む」と真顔で発表した話

2年ほど前、会社でDX推進のメンバーに選ばれた。

色々な部署から人を集めて、ITの知識を勉強し、会社のDXを進めていきましょう、というような活動だった。

たぶん、会社としてもかなり真面目な取り組みだったと思う。

私も最初は、かなり真面目に参加していた。

ITの基礎やデータ活用、業務改善、デザイン思考などを学ぶ研修だった。

普段の生産技術の仕事とは違う内容も多く、勉強になることも多かった。

参加していたのは、同じ会社の人が12人くらい。

部署も年齢も職種もバラバラだった。

最初の頃は、みんな少しよそよそしかった。

そりゃそうである。

普段あまり関わらない部署の人たちが集められて、

「はい、これからDXを学びましょう」

と言われている。

急に仲良くなれる方がおかしい。

最初はみんな、それなりに社会人の顔をしていた。

真面目に聞く。
真面目にメモを取る。
真面目に演習をする。
真面目に発表する。

大人である。

ただ、研修は1回で終わりではなかった。

1年くらいかけて、何度も研修に参加した。

そうすると、だんだん距離が縮まってくる。

最初は名字にさん付けだった人たちが、少しずつ雑に話すようになる。

休憩中にどうでもいい話をする。

グループ演習で、軽い冗談が出る。

誰かが少しふざける。

別の誰かが、それに乗る。

そして、少しずつ全員が気づき始める。

このメンバー、意外とふざけていい。

そこから、グループ演習の空気が少し変わった。

もちろん、研修なので真面目にはやっている。

ただ、真面目にやることと、真面目な顔でふざけることは両立する。

たぶん、私たちはそのことに気づいてしまった。

ある時、デザイン思考の研修があった。

デザイン思考。

いかにもそれっぽい言葉である。

ユーザーの困りごとを見つける。
共感する。
課題を定義する。
アイデアを広げる。
試作する。
検証する。

ざっくり言えば、そんな感じだったと思う。

その研修で、あるテーマについて考えることになった。

ヘルメットを被りたくない問題。

工場や現場で使うヘルメットである。

安全のために必要なのは分かる。

ただ、被りたくない人もいる。

暑い。
蒸れる。
髪型が崩れる。
重い。
面倒くさい。
忘れる。
似合わない。

色々な理由がある。

普通なら、ここで考える解決策はこうだと思う。

軽くする。
通気性をよくする。
デザインをよくする。
被り心地をよくする。
センサーをつける。
着用状況を管理する。
収納場所を工夫する。

たぶん、現実的にはこのあたりが正しい。

しかし、私たちのグループは、すでに少し仕上がっていた。

真面目な顔で、バカな案を出しても許される空気になっていた。

そこで誰かが言った。

「頭にヘルメット埋め込めばよくない?」

一瞬、沈黙した。

そして、全員が理解した。

その手があったか。

ヘルメットを被りたくない。
なら、被らなければいい。

でも、安全は必要である。
なら、常に頭を守ればいい。

常に頭を守るにはどうするか。

頭にヘルメットを埋め込めばいい。

論理としては、通っている。

人間としては、かなりおかしい。

でも、論理としては通っている。

ここが大事である。

私たちは、その案を真面目に育てることにした。

ヘルメットを被るという行為がなくなる。
着脱の手間がない。
置き忘れもない。
誰が被っていないか管理する必要もない。
朝礼で「ヘルメット被ってください」と言わなくていい。
一体化しているので、現場に入った瞬間から安全である。

すごい。

問題がすべて解決している。

ただし、人権以外は。

それでも私たちは、真剣にプレゼン資料を作った。

研修である。

デザイン思考である。

ユーザーの課題を解決しなければならない。

ユーザーはヘルメットを被りたくない。
会社は安全を守りたい。
現場は管理の手間を減らしたい。

では、頭に埋め込む。

解決である。

発表の時間になった。

私は、できるだけ真面目な顔をした。

こういう時、笑ってはいけない。

ふざけた案ほど、真面目に発表した方がいい。

「今回、私たちはヘルメットを被りたくないという問題に着目しました」

普通の入りである。

「現場では、安全のためにヘルメットが必要です。しかし一方で、暑い、蒸れる、面倒くさい、忘れるといった課題があります」

まだ普通である。

「そこで私たちは、そもそもヘルメットを被るという行為自体をなくせないかと考えました」

少し怪しくなってきた。

「提案するのは、頭部一体型ヘルメットです」

もうダメである。

でも顔は真面目である。

たぶん私は、その時かなり真剣な顔で、

「頭にヘルメットを埋め込みます」

と言った。

その瞬間、会議室の空気が一度だけ止まった。

そして次の瞬間、全員が笑った。

言ってしまった。

会社のDX研修で。

デザイン思考の発表で。

各部署から集められたメンバーの前で。

頭にヘルメットを埋め込むと、真顔で言った。

結果、かなりウケた。

少なくとも、メンバーからはかなり評価された。

「あれは良かった」
「真面目な顔で言うのがずるい」
「ちゃんと筋が通ってるのが腹立つ」
「発想としては間違ってない」

そんな感じだったと思う。

もちろん、本当に頭にヘルメットを埋め込むべきではない。

念のため書いておく。

本当にやってはいけない。

安全以前に、だいぶ問題がある。

ただ、あの時の発表は、ただの悪ふざけではなかったと思っている。

いや、かなり悪ふざけではあった。

それは認める。

でも、完全な無意味ではなかった。

デザイン思考やアイデア出しでは、最初から現実的な案だけを出そうとすると、だいたい似たような結論になる。

軽くしましょう。
通気性をよくしましょう。
デザインを改善しましょう。
管理方法を変えましょう。

もちろん、それらは大事である。

実際に仕事で使えるのは、そういう現実的な案だ。

でも、それだけだと予定調和になる。

すでに誰かが考えていそうな案に、少し名前をつけ直しただけになる。

一度、ありえないところまで振り切る。

すると、前提が見える。

ヘルメットを被るのが面倒なのではない。
もしかすると、「被る」という工程そのものが負担なのかもしれない。

忘れることが問題なのではない。
もしかすると、「持ち物として管理する」ことが負担なのかもしれない。

安全具が嫌なのではない。
もしかすると、「つけさせられている感」が嫌なのかもしれない。

バカな案は、そのまま採用するためにあるのではない。

前提を壊すためにある。

頭にヘルメットを埋め込むという案は、さすがに採用できない。

たぶん稟議も通らない。

通ったら逆に怖い。

ただ、その案を一回出すことで、

「そもそも、なぜ人はヘルメットを嫌がるのか」
「被るという行為のどこが負担なのか」
「安全と快適性をどう両立するのか」
「管理されている感をどう減らすのか」

という問いには進める。

そう考えると、あの悪ふざけは、デザイン思考として完全に間違っていたわけではない。

むしろ、かなり入口には立っていた気がする。

出口は人体改造だったが。

仕事では、真面目な場ほど、真面目な顔をしなければいけない。

会議。
研修。
報告。
改善提案。
プロジェクト。

全部、真面目である。

もちろん、ふざけすぎてはいけない。

場を壊してはいけない。

相手の時間を無駄にしてはいけない。

ただ、真面目すぎると、思考が狭くなることがある。

「これは言ってもいいのか」
「変な案だと思われないか」
「現実的じゃないからやめておこう」
「どうせ無理だから出さないでおこう」

そうやって削っていくと、最後に残るのは、無難な案ばかりになる。

無難な案は、怒られにくい。

でも、広がりにくい。

一方で、バカな案は危ない。

空気を間違えると、ただのふざけた人になる。

上司が真顔だと終わる。

研修講師が真顔だと、もっと終わる。

でも、関係性ができていて、場の目的が「アイデアを広げること」なら、一回くらいバカな案を出した方がいいこともある。

もちろん、最後は現実に戻す必要がある。

頭にヘルメットを埋め込む案を、そのまま設備投資計画に入れてはいけない。

「人体改造費」とかで予算申請してはいけない。

購買部も困る。

経理部も困る。

本人も困る。

ただ、一回そこまで行ったあとに戻ってくると、現実案の見え方が少し変わる。

ヘルメットを軽くするだけでいいのか。
被るタイミングを変えられないか。
置き場所を変えられないか。
帽子感覚にできないか。
着用確認を注意ではなく仕組みにできないか。
被りたくなる理由を作れないか。

そうやって、少しだけ発想の幅が広がる。

たぶん、真面目な仕事にも、こういう時間が必要なのだと思う。

正解を出す前に、一回だけ正解から離れる。

現実案に戻る前に、一回だけ現実を壊す。

会議室の中でだけ、頭にヘルメットを埋め込んでみる。

もちろん、比喩である。

本当に埋め込んではいけない。

私は昔から、真顔で冗談を言うことがある。

しかも、ただ変なことを言うのではなく、あまりにもありえないことを、まるで筋が通っているかのように言うのが好きなのだと思う。

相手からすると、少し迷惑かもしれない。

「本気で言ってるのか?」と思われることもある。

でも、その一瞬の迷いも含めて面白いと思っているところがある。

たぶん性格が悪い。

ただ、その性格の悪さが、たまに場をほぐすこともある。

真面目な場に、少しだけ余白を作ることがある。

みんなが同じ方向を見ている時に、少しだけ斜めから光を当てることがある。

それが毎回うまくいくわけではない。

外すこともある。

空気を読んで、やめることもある。

言ったあとで、

「あ、今の違ったな」

と思うこともある。

でも、あのDX研修では、たぶんうまくいった。

真面目な顔で、頭にヘルメットを埋め込むと言った。

みんなが笑った。

そして、少しだけ発想の前提が外れた。

あれは、かなり良い時間だったと思う。

DXというと、どうしても難しく聞こえる。

IT。
データ。
システム。
自動化。
効率化。
業務改革。

もちろん、それらは大事である。

でも、たぶんその手前に、

「今の当たり前を一回疑ってみる」

という感覚がある。

ヘルメットは被るもの。

それは当たり前である。

でも、その当たり前を一回だけ疑う。

被るのが嫌なら、被らないで済む方法はないか。

そこで出てきた答えが、

頭に埋め込む。

かなり間違っている。

でも、間違い方としては嫌いではない。

仕事では、正解だけを出そうとすると、たまに発想が固まる。

だから、たまには間違った方向に全力で走ってみてもいいのかもしれない。

もちろん、戻ってこられる範囲で。

そして、できれば研修の中で。

現場で本当に走ると危ない。

正解を出す前に、一度だけ正解を壊してみる。

たぶん、その余白がDXの入口なのだと思う。

安全第一である。

ヘルメットは、ちゃんと被った方がいい。

埋め込まずに。

※この記事は当時の研修での一場面をもとにしたエッセイです。会社や個人の特定を意図したものではありません。もし心当たりのある方がいても、どうかそっと心の中で「ヘルメットの人だ」と思うだけにしていただけると助かります。

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