出来ないことの中に、出来ることを見つけていく──小林正観さんに学んだ“心の自由”
左手はもう、思うようには動かない。
けれど、右手で世界をつかみ直すたびに、
私は少しずつ、心まで動けるようになってきた。
小林正観さんは言う。
「出来ないことがあっても、出来ることを喜んでみる。
その喜びの波動が、“出来ないこと”まで動かしてくれる。」
この言葉は、私のリハビリの支えであり、
“心のリハビリ”でもある。
出来ないことを嘆くより、出来ることを数えてみる。
その小さな習慣が、いつのまにか生きる力になっていた。
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右手で世界をつかむ
エスカレーターに乗るときは、右手に杖を持つ。
左手は使えないから、手すりをつかむことはできない。
足元を確かめながら、ゆっくりと一段ずつ乗る。
たったそれだけの動作にも、全身の神経を使う。
体が安定すると、ほっと息が漏れる。
かつては何も考えずに上り下りしていた場所が、
いまは、慎重に呼吸を合わせる儀式のようになった。
右手の杖が、世界と私をつないでくれる。
その一本が、私の「出来ること」の証であり、
体の奥で小さく灯る、確かな命の感触だ。
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「出来ること」を拾い集めていく
リハビリの帰り道。
右手で交通系カードをかざすたびに、
ピッという音が心にしみる。
かつては急いでいた。
並んでいる人の視線が気になり、焦ってばかりだった。
いまは違う。
その音を聞くたびに、今日も出かけられたことを思う。
「不自由な中にも“ありがとう”を見つける人が、自由を手に入れる。」
小林正観さんのこの言葉は、
リハビリよりも深く、私を立ち直らせてくれる。
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動かない手が教えてくれたこと
動かない左手を見ていると、
ふと、穏やかな気持ちになる日がある。
あぁ、この手も、
かつてはたくさんのものを掴んできたんだなと思う。
誰かの手を握り、
ノートをめくり、
カップを支えた。
いまは動かないけれど、
この手が覚えている記憶は、
ちゃんと私の中に残っている。
だからもう、責めるのはやめた。
この手が動かなくても、
右手がその続きを生きてくれているのだから。
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受け取り方を変えるだけで、世界は変わる
「起きたことは変えられない。
でも、“受け取り方”なら今すぐ変えられる。」
その一文を、何度もノートに書いた。
世界が冷たく見える日は、
その言葉の上に指を置いて、深呼吸する。
動かないものを無理に動かすのではなく、
見方を少しだけ動かしてみる。
それだけで、
世界はすこし柔らかくなった。
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結び──心の自由をもう一度
「出来ないこと」を数えるより、
「出来ること」をひとつずつ拾い集めていく。
それは、
生きるというより、
“生かされている”と気づくための作業なのかもしれない。
今日も、右手でカーテンを開ける。
外の光が部屋に入ってくる。
それだけで、もう充分だ。
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