#16. : 脳出血するまで働いた女のキャリアふんわり棚卸し【脳出血片麻痺】
1. 水引と筆耕と、和の香りに包まれて
大学(MARCHの端くれ)を卒業して最初に入ったのは、和文具とお香を扱う会社だった。
就活生の頃の私よ、どうしてそこを選んだのか、あとで10回くらい尋問したい。でも、働いてみると案外居心地は悪くなかった。
私の担当は、お香、水引、そして筆耕。
いわゆる「和のたしなみ三点セット」である。
朝から晩まで筆ペンで名入れをし、水引をくるくる結び、お香の香りに包まれながら三年を過ごした。まるで現代の女職人。気分はすっかり文房具の巫女である。
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2. ネットチラシとコードと、ECの夜明け
その後転職したのが、当時としてはまだ珍しかった大手TV通販会社。
今でこそ「ECサイト」なんて当たり前の言葉だけど、当時は「ネットで何か買うなんて!」と眉をひそめられていた。
私はひたすらコードを書く係。
HTMLやCSSをカチャカチャ打ち込み、PhotoshopとIllustratorを駆使して画像加工。Webチラシのデザインをしていた。
気づけばUI/UXの設計や、セール企画の立案も任されるようになり、
「これがWebデザインという仕事だったのか」と、あとから知るという流れ。
なんという後追いキャリア。
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3. 毎日終電、そして梯子酒 〜IT営業サバイバル〜
調子に乗って、次はIT企業の営業兼営業事務へ。
主な仕事は、入札対応と資料作成、デモ資材づくり。
入ったのはパッケージソフトの会社で、競合はバリバリの大手。
営業成績に胃をやられながらも、2割の市場シェアを死守すべく戦った。
この時に初級シスアドを取得。
よく取れたと思う。
毎日終電。帰宅して歯を磨く体力もない。
そんなある日、入札で大きな案件を取った。
テンションがバグって、朝まで梯子酒した。
仕事帰りに飲んだくれていたあの日の自分に、今こそ言いたい。
「肝臓より先に脳がやられるぞ」
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4. 製薬会社派遣でTOEIC英語と出会う
限界を迎え、しばしの休息。
その後、派遣で入ったのが大手製薬会社の臨床開発部だった。
データ出力や解析チェックの仕事をしていたある日、上司の恵面さん(仮名)に聞かれた。
「英語できる?」
「TOEIC600点台ですけど…」
「全然問題ないよ」
その一言で、突然CTDやCSRの翻訳チェックを任される。
「いや、翻訳ってもっと英語できる人がやるんじゃないの?」という疑問を胸に、同僚に帰国子女マウントを取られながら真顔で淡々とこなす日々。
気づけば5年が過ぎていた。
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5. ケーキフィルムと部長と、地獄のCRO戦記
派遣から業務委託へと形を変え、そして気がつけばCRO(受託機関)へ転職していた。流れるままに仕事をこなしていた私は、ある日、とんでもない人物に出会ってしまった。
その名も、大多部長(仮名)。女性上司である。
一見すると上品なマダムに見えるが、
この大多部長、パワハラ・モラハラ・スメハラの三拍子そろった、“迷惑行為の百貨店”とでも言うべき存在で、まさか現代日本にこんなコンプリート型がいるとは思わなかった。いや、いるんだな、これが。
毎日のように洗っていないお弁当の空き容器を、当然のように私のデスク横のゴミ箱へポン。いや、もはやゴミ箱という名の“私専用の生ゴミステーション”。極めつけは、ケーキを食べ終えたあと、生クリームのこびりついたフィルムを、ふん、と無造作に私の机の脇に投げ捨てるという謎の儀式。
何その、食後の供養ですか?と心の中でツッコミつつ、私は毎回、給湯室に猛ダッシュし、フィルムや容器を洗っていた。なんで私が台所係なんだ。
それだけでも十分サバイバルだったのに、ある日、クライアントとの会議中、突如として地獄の本番が訪れた。
申請資料について、クライアントがややご立腹の様子で文句を言い始めたその瞬間。大多部長、真顔でこう言い放ったのだ。
「このSTED(申請資料)、全部彼女が勝手にやりましたから」
……え?
みんなで手分けして作った資料だったのに。むしろあなたも直前まで口出してたでしょうに。なぜに今、満を持して“全責任押しつけプレイ”を発動するのか。私は頭の中で何度も再生されたその瞬間のセリフを、心のデッキに焼き付けた。
こうして私は、社畜という生き物の定義を、身をもって知ることになったのである。
6. スナックとマウントとPrincessⅡ 〜副作用と精神力〜
その後、縁あって再び内資の大手製薬会社へ派遣されることになった。今度の職場はファーマコビジランス部。国内外の副作用情報を集めては評価し、報告書をまとめる、という地道ながら責任の重い仕事を任された。
担当製剤は六つ。日々舞い込んでくる案件は山ほどあって、忙しかったけれど、不思議と苦ではなかった。というより、むしろやりがいがあった。ああ、こういうのが“働いてる感”ってやつか、と思ったりもした。
だが、天は二物を与えないのか。私の隣の席には、なかなか手強い人物が鎮座していた。
その名も加東さん(仮名)。旧帝大出身、
モラハラ体質、スナック菓子愛好家、 そしてインスリン常備。
彼は出勤から退勤まで、ほとんど仕事らしいことはせず、ひたすらお菓子を食べてはガサガサと袋の音を鳴らし、
時おり独り言で自分の優秀さをアピールするという新種の社内音声ガジェットのような存在だった。
「そんな書き方じゃダメだよ〜。僕だったらもっとスマートにやるけどね〜」
……じゃあやってみてくれ、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだのは、何度目だろう。
そして、忘れてはならない強烈な同僚の存在も、ここに記しておきたい。
彼女は“自称・医者の娘”。
一見、物腰柔らかく育ちも良さそうに見えた。
が、ある日、私の実家近くの業スー(業務用スーパー)で、甥っ子と一緒に買い物をした帰りのことだった。スーパーの隣に建つ、「PrincessⅡ」から出てきた女性と、ばっちり目が合った。
えっ、え? と思って二度見。いや、三度見。だって、その人、見覚えがある……というか、同僚の“自称・医者の娘”じゃないですか!
なぜかお爺ちゃんと手をつなぎながら出てきた彼女。ああ……なるほど。そういうことか、と私は無言で納得した。うちの実家は歓楽街のど真ん中なのでね、説明されずとも、察するスキルには自信がある。
それ以来、彼女からの風当たりが急に強くなった。いやいや、私、何も言ってませんけど? 見た、けど言ってませんけど?
にもかかわらず、そこから私は理不尽な言いがかりの標的となり、言葉という名の棘の数々を全身で受ける日々が始まった。
それが、七年も続いた。
もはや苦行である。だが、私は耐えた。粘った。ここまでくると、もう修行僧の域である。涅槃とは、きっとこういうところにあるのかもしれない――などと考えながら、私は働いていた。
7. TOEIC930点の無力さと、スクショ英会話の日々
ついに外資系CROへ転職。
副作用業務に加え、クライアント企業に向けたWeb・動画資材の提案・企画・作成・社内評価なども行うように。
英語は35歳から再学習。TOEICは930点まで上がった。
でも、外資は、TOEIC点数では測れない暴力だった。
全く通じません!!!
時効ですが、メールでわからない表現があると、こっそり英会話の先生にスクショ送信。
授業の時に「これはどういう意味ですか…?」と質問攻め。
結局は、数こなさないとニッチもサッチもいかなかった。TOEIC全く通用せず。
“習うより慣れろ!”
マジこれに尽きる。
リスポンスは、孫さん方式で中学生英語を駆使。結局、伝わることがすべてだと思っている。
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8. 働きすぎて脳が出血した話
怒涛のような働き方を20数年。
気づけば、ブラック企業、パワハラ、モラハラ、スメハラ、すべてを制覇。
不安障害、鬱(現在は寛解)も経験。
そしてある日、突然倒れる。脳出血だった。
ああ、ついに来たか。
体の方が先に「やめたい」と言ってきた。
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9. 在庫一掃セールでは終わらせない私のこれから
こうして棚卸しをしてみると、
「えっ、私…がんばってたじゃん?」という気持ちと、
「いや、もっと早く逃げても良かったのでは?」というツッコミが交錯する。
でも、
水引と筆耕も、Webデザインも、薬事申請、副作用業務も、営業も、翻訳も、忍耐力、企画提案力、柔軟性、共感力
全部わたしの在庫で、棚にしっかり残っている。
このキャリア、腐ってない。
むしろ、いい感じに発酵してる気さえする。
これからは、
誰にもゴミを投げ込まれず、
自分の香りを焚いて生きていきたい。
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