【人の話】第6話「棟梁と親方」ー あの船は、お父ちゃんが造ったんや!
あれは二十一世紀に入って間もない頃――
鍋の恋しくなる季節だった。
夕食を終え、テレビを見ながら、この後のニュースを見たら寝ようと思っていた、その時だった。
突然、携帯電話が鳴った。
現場を任せている棟梁からだった。時計は十時を過ぎている。
「棟梁――どうしました?」
問いかけても返事がない。電話は繋がっている。
やがて――
「もう……全部引き連れて神戸へ戻ります」
棟梁は酔っていた。言葉も覚束ないほどの泥酔だった。
二十数年の付き合いになる船大工の棟梁。神戸港に入る商船の内装や家具の修理を、いつも頼んでいた人である。
七十をいくつか越えていたはずだが、現場では誰よりも頼りになる存在だった。
その彼が、泥酔して電話をかけてきた。
事情を聞けば、彼らが施工したカーペットを、地場の業者にすべて剥がされたという。
そんな話は、これまで聞いたことがない。
今回の仕事は、戦後初めて欧州の大型客船を建造する造船所からの緊急要請だった。
購買から「できるだけ多くのカーペット職人を手配してほしい」と言われ、無理を承知で棟梁に頼み込んだ。
棟梁は関西一円に声をかけ、三十人を集め、数日のうちに長崎の現場へ送り込んでくれた。
その現場が荒らされたのである。
彼らが遅くまで残業して仕上げた床を、朝駆けした者たちがすべて剥がしてしまったという。
理由は、長く通った現場だけに、薄々は想像できた。
だが、それはそれである。
「親方、明日のフライトで飛ぶから――」
そう言って、その夜はなんとか宥めた。
翌朝の便で長崎に入り、現場に着いたのは昼過ぎだった。
棟梁は現場事務所で待っていた。
「夕べはすんません、至らん電話して」
そう言って頭を下げた。
荒れかけた現場は、なんとか押さえてくれていた。胸の内は煮えくり返っていたはずだが、彼らは現場を放棄しなかった。
棟梁の下で現場を仕切る四十代の親方も、信頼できる男で、多くは語らなかった。
翌日、私は購買に呼ばれた。
トラブルの始末を問われるものと思っていた。
だが、担当課長は開口一番こう言った。
「あの親方には、感謝しかない――」
話を聞いて、私は言葉を失った。
棟梁は、あの夜の状態でも、私が来ると聞いて翌朝には動いていた。朝一番で購買を訪ね、規定では現場に入れない年齢だが、
「仕事はしない、ただ見たい」
と頼み込んだという。
そして、右足に巣食う癌を抱えながら、十数階の現場まで上がり、現場の棟梁に掛け合ったのだという。
その一部始終を見ていた課長は、
「内では何も出来ないが、是非あなたからも礼を言ってほしい」
そう言った。
この話には後日談がある。
後年、現場を差配してくれた親方と、別の現場で再会した時のことだ。
互いに無沙汰を詫びたあと、彼はこう言った。
「お陰様で、良い仕事が出来ました」
そこまでは、社交辞令かと思った。
だが彼は、少し照れたように、こう続けた。
「実はな……あの客船の就航ニュースを、息子らと見ましてな」
そして、笑って言った。
「あの客船――お父ちゃんが造ったんやぞって」
あの満面の笑みは、今も私の宝である。
(了)
文/小林正典
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