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消費税減税をめぐる動きについて

食料品消費税減税をめぐる批判の奇妙さ

高市内閣は、2027年4月から2年間、飲食料品の消費税率を現在の8%から1%へ引き下げる方針を決定した。残る1%についても、中低所得者への所得連動給付を組み合わせ、実質的な負担軽減を図る。年間の減収規模は約5兆円と見込まれ、政府は赤字国債に頼らず、歳出、基金、租税特別措置、税外収入などを総点検して財源を確保するとしている。

日本で消費税率が実際に引き下げられれば、1989年の導入以来初めてである。物価高に苦しむ国民にとって、日常的に購入する食料品の負担が軽くなることには、明確な意味がある。

ところが、政府が減税を決めた途端、メディアや一部の識者から批判が相次いでいる。新聞各社の今朝の紙面では、「低所得者への恩恵は少ない」「高所得者の方が得をする」「税率を下げても物価は思ったほど下がらない」「2年後には増税になる」「年間5兆円もの財源はない」「首相が自分のメンツにこだわっている」などの声が目立つ。

もちろん、政策である以上、財源や制度設計を厳しく検証する必要はある。しかし、これらの批判には、政策の一部分だけを取り出し、別の評価軸を混在させたものが少なくない。絶対額と負担割合、名目価格と値上げ抑制効果、時限措置の終了と新たな増税を混同すれば、どのような政策も否定できてしまう。

年間数万円は「恩恵が少ない」のか

食料品の税率を8%から1%へ引き下げた場合、4人世帯では年間約6万2500円の負担軽減になるとの試算がある。また、当初検討されたゼロ税率では、平均世帯の負担軽減額は年間約8万8000円と試算されていた。

これを「1世帯当たり月数千円にすぎない」と評する声がある。しかし、その月数千円を小さいと決めるのは誰なのか。食費、家賃、光熱費、社会保険料を支払い、月末にほとんど余裕が残らない家庭にとって、年間5万~6万円は決して小さな金額ではない。子どもの学用品、医療費、電気代、冬の暖房費などに振り向けられる現実的な金額である。

所得が低いほど、家計支出に占める食料品の割合は高い。内閣府も、食料や水道・光熱費は一定量を購入せざるを得ないため、所得が低い家計ほど支出割合が高くなると分析している。総務省も米、野菜、家賃、電気代などを、所得が減っても簡単には削れない「基礎的支出」に分類している。

したがって、減税額の絶対額だけでなく、その金額が所得や可処分所得に占める割合を見なければならない。高所得者にとっての5万円と、生活費を切り詰めている世帯にとっての5万円は、同じ価値ではない。

高所得者の方が得をするは評価軸のすり替え

高所得世帯は一般に食料品への支出額も多い。そのため、減税額を円単位で比較すれば、高所得世帯の方が大きくなる場合がある。これは事実である。しかし、そこから直ちに「高所得者優遇の政策だ」と結論付けるのは飛躍である。

例えば、低所得世帯の負担軽減が年間5万円、高所得世帯が年間8万円だったとする。絶対額では高所得世帯の方が3万円多い。しかし、その減税額が年間所得に占める割合を比べれば、低所得世帯の方がはるかに大きくなる。

食料品減税には、低所得者だけを選別する機能はない。その代わり、非課税世帯、年金生活者、失業者、フリーランス、所得を正確に把握しにくい人を含め、買物をした人がすべて、その場で負担軽減を受けられる。

申請を忘れたためにもらえないということも、所得制限のわずかな超過によって支援が突然ゼロになる「給付の崖」もない。高所得者にも一定の恩恵が及ぶことは、制度の無駄というより、迅速性と普遍性の代償である。

中低所得者へ重点的に支援する給付制度と、広く速く負担を軽くする消費減税は、二者択一ではない。両者を組み合わせればよいのである。

思ったほど物価は下がらないが意味するもの

今回、新たに強まっているのが、「税率を下げても店頭価格は思ったほど下がらない」という批判である。この指摘には、認めるべき部分がある。

税抜価格1000円の商品は、現在の税率8%では税込1080円である。税率が1%になれば1010円となる。減税分が完全に価格へ反映されたとしても、税込価格の下落率は7%ではなく約6.5%である。

さらに現実には、原材料費、人件費、物流費、電気料金、為替相場などが動いている。事業者が減税分のすべてを価格に反映するとも限らない。したがって、減税開始日にあらゆる食料品が一律に約6.5%値下がりすると考えるのは適切ではない。

しかし、「全額が価格に反映されるとは限らない」という話と、「減税しても意味がない」という話は、全く別の話である。

比較すべきは「現在の価格」だけではない

物価が上昇している局面では、減税後の価格を現在の価格とだけ比較してはならない。本来比較すべきは、減税を実施した場合の価格と、減税を実施しなかった場合の価格である。

税抜価格1000円の商品が、原材料費や物流費の上昇によって1050円へ値上がりするとする。税率が8%のままであれば、税込価格は1134円となる。一方、税率が1%なら1060円50銭である。現在の1080円と比較すると、減税後も価格は20円程度しか下がっていない。そのため、消費者は「ほとんど安くならなかった」と感じるかもしれない。

しかし、減税がなければ1134円になっていたのである。減税によって、実際の支払額は約74円抑えられている。つまり、減税効果は必ずしも、店頭価格の大幅な下落としてだけ現れるのではない。

予定されていた値上げの中止、値上げ幅の縮小、価格上昇時期の先送りという形で現れることもある。店頭価格が現在より大幅に下がらなかったとしても、それだけで減税効果がなかったとは言えない。「価格が下がったか」だけではなく、「減税しなければ、いくらになっていたか」を検証する必要がある。

海外の研究も結果は一様ではない

付加価値税の減税分が、どの程度消費者価格へ反映されるかについては、海外でも多くの研究がある。IMFがユーロ圏17カ国の税率変更を分析した研究では、標準税率の変更はおおむね価格へ反映された一方、軽減税率の変更では平均的な転嫁率が約30%にとどまった。ただし、結果は対象商品、減税範囲、市場競争、実施期間などによって大きく異なっている。

他方、スペインが2023年に一部食料品の付加価値税を引き下げた際には、約1万点のスーパーの商品価格を調べたスペイン銀行の研究によると、減税分はほぼ完全に価格へ反映されたと推計されている。

ここから導かれる結論は、「必ず全額転嫁される」でも、「ほとんど転嫁されない」でもない。市場の競争環境と制度設計によって変わるということである。

日本のスーパー、ドラッグストア、ディスカウント店では、消費者が複数店舗の価格を比較しやすい。減税分を価格に反映した店があれば、反映しない店は顧客を失う可能性がある。

競争が働けば、減税分の相当部分が価格に反映されることは十分に期待できる。ただし、政府は期待だけで終わらせず、減税前後の価格を品目別、業態別、地域別に調査し、転嫁率を公表すべきである。

減税直前の不自然な値上げや、減税を利用した便乗的な価格改定にも目を光らせる必要がある。問うべきは「価格が完全に下がらないから中止せよ」ではなく、「減税分をできる限り消費者へ届けるには、どのような監視と競争促進が必要か」である。

総合物価を大きく下げる政策ではない

食料品の消費税を引き下げても、消費者物価指数全体が大きく下がるわけではない。消費者物価指数には、家賃、電気・ガス、通信、交通、医療、教育、衣料品、耐久消費財なども含まれている。食料品だけを減税する以上、総合指数への影響が限定されるのは当然である。

民間試算では、食料品をゼロ税率にした場合の消費者物価指数押下げ効果は1%強とされている。今回の1%案では、それよりやや小さくなると考えられる。

しかし、政策目的は統計上の総合物価を大幅に引き下げることだけではない。スーパーで毎週支払う金額を減らし、その分を家計に残すことである。

家賃や電気代が下がらないため総合物価への影響が小さくても、年間5万~6万円程度が手元に残れば、生活支援としての効果は存在する。総合物価への効果が限定的であることを理由に、食費負担の軽減まで無意味だと結論付けるのは、政策目的を取り違えている。

2年後に増税は言葉の使い方として不適切

税率を1%に下げても、2年後には8%へ戻す。結局は大増税になる、という批判もある。家計の支払額が増えるため、国民が負担増を感じることは事実である。終了時の混乱を防ぐ対策も必要である。しかし、制度上は新しい増税を決めるのではない。

現在8%である税率を、2年間だけ1%へ引き下げ、その期限が終了した後に元の税率へ戻すのである。時限措置の終了と、新たな税率引上げは区別しなければならない。

政府方針では、食料品減税は恒久的な所得連動給付へ移行するための「つなぎ」と位置付けられている。高市首相も、食料品減税と給付付き税額控除の検討を同時並行で進める方針を明らかにしてきた。2029年度には、中低所得者へ所得に応じた給付を行う制度を本格導入する構想である。

政策全体は、第1段階として、物価高が厳しい2年間は広く食料品を減税する。第2段階として、その間に所得情報と給付基盤を整備する。第3段階として、減税終了後は中低所得者への所得連動給付へ移行する。という構造になっている。

減税部分だけを切り取り、「2年後に増税する」と批判し、その後に予定される給付制度を無視するのは、公平な評価ではない。

もっとも、給付制度が現役勤労者だけを対象にし、年金生活者、失業者、病気や障害によって働けない人が漏れるなら問題である。給付額が急激に減る所得制限も避けなければならない。2029年度から始まる制度については、対象、金額、所得判定、支給時期を早く明らかにするよう求めるべきである。

年5兆円は調達不能と決めつける額ではない

食料品減税による減収は年間約5兆円、2年間で約10兆円と見込まれている。巨額である。財源を曖昧にしたまま進めてよい政策ではない。しかし、「5兆円だから絶対に不可能だ」という議論も短絡的である。

2025年度には、一般会計で18兆3034億円規模の補正予算が編成された。物価高対策、地方支援、中小企業支援、成長投資などを理由に、政府は1年間で今回の減税額を大きく上回る追加支出を決定している。

これは、補正予算を組めたのだから財政に余裕がある、という意味ではない。これまで補助金、基金、給付、電気・ガス料金支援などに兆円単位の予算を組んできた以上、2年間限定の生活減税だけを「財源がない」の一言で排除するのは整合性を欠くということである。

政府は赤字国債を発行せず、歳出全般の見直しなどで財源を確保するとしている。であるならば、検証すべきは、財源の有無という抽象論ではない。効果の乏しい補助金や基金はないのか。政策目的を失った租税特別措置はないのか。予算の不用額、税収の上振れ、政府資産、税外収入をどこまで活用できるのか。地方消費税の減収分をどのように補塡するのか。これらを具体的に示すことができるのか、というのが財源論である。

財源がないから何もできないと言うのは、財源論でも財政論でもない。政策の優先順位を決めることから逃げているだけである。

自らの公約から目を背ける人たち

今回、特に奇妙なのは野党の対応である。立憲民主党は2025年10月、物価高で食料品負担が深刻になっているとして、「食料品消費税ゼロ法案」を国会に提出した。2026年度税制改正の提言でも、食料品の税率を時限的に0%とし、その後、給付付き税額控除へ移行する方針を掲げていた。これは、高市内閣が決定した「時限的な食料品減税から所得連動給付へ移行する」という政策構造と、基本的には極めて近い。

国民民主党も、2026年政策で、消費税率を一律5%へ引き下げることを掲げている。自らの減税案については、期間限定の景気対策であるため、税収の上振れや国債、税外収入などを活用できると説明している。

自らが提案する減税では財源を工夫できるが、政府が実施する減税では「財源がない」とするなら、政策論として説得力を持たない。政府案は対象が狭い、開始が遅い、給付制度が不十分だと批判するのなら理解できる。

しかし、これまで「給付ではなく減税を」と主張してきた側が、政府が減税を決めた途端に「減税より給付の方がよい」と言い始めるなら、それは政策の変更なのか、政権への反対を優先しただけなのかを説明する責任がある。自らの減税は正義で、政府の減税は無責任という議論は、国民には通用しない。

公約実行を「メンツ」と批判する矛盾

高市首相が食料品減税にこだわるのは、「自分のメンツのためだ」という批判もある。しかし、選挙で掲げた政策を実行しようとすることは、本来、民主政治の基本である。

公約を実行しなければ、「選挙が終われば約束を忘れる」と批判する。実行しようとすれば、「メンツにこだわっている」と批判する。現実的な制度へ修正すれば、「公約違反だ」と批判する。これでは、政権がどの道を選んでも批判される。

当初のゼロ税率を1%へ変更したのも、0%に対応できないレジや会計システムが存在し、事業者の改修期間や費用が大きくなるという実務上の問題に対応するためである。

1%なら既存の税率変更機能を利用しやすく、残る1%を給付で補うことで、政策目的を維持しながら実務負担を抑えられる。これは、目的を捨てたのではない。国民の食料品負担を実質的に軽くするという目的を維持しながら、実施可能な方法へ修正したのである。

公約への責任感を「メンツ」と呼ぶなら、政治家に公約を守ることを求める意味そのものがなくなる。

減税は万能ではない。しかし、無意味でもない

食料品の消費税減税だけで、日本の物価高や所得格差が解決するわけではない。年間約5兆円の財源は具体的に示さなければならない。減税分が店頭価格へどの程度反映されたかも検証しなければならない。外食産業との税率差、事業者の事務負担、地方財政への影響、2029年度の給付制度への接続も詰める必要がある。

しかし、課題が存在することと、政策に効果がないことは別である。食料品は、所得が減ったからといって購入をやめられない。低所得世帯ほど家計に占める負担が重く、毎日の買物で確実に支出が発生する。だからこそ、その負担を一定期間でも軽くする意味は大きい。

批判の声は、山ほど出ている。「高所得者にも恩恵があるから駄目だ」「全額が価格に反映されないから駄目だ」「総合物価を大きく下げないから駄目だ」「2年後に元へ戻すから駄目だ」「財源が大きいから駄目だ」など数えればキリがない。

こうした批判をすべて受け入れれば、結論は常に「何もしない方がよい」となる。だが、何もしなければ、物価高に苦しむ国民の負担は1円も軽くならない。

高市内閣が問われるのは、減税を決断したことではない。財源を透明化し、減税分を可能な限り価格へ反映させ、生活に困っている人へ確実に恩恵を届け、2年後の所得連動給付へ混乱なく移行できるかである。

メディアや野党に求められるのも、批判のための批判ではない。減税を潰すことではなく、どうすればより公平で、効果的で、実行可能な制度になるのかを競うことである。

食料品減税は万能薬ではない。しかし、物価高の中で家計を支え、より精緻な所得支援制度が整うまでの橋渡し策としては、十分な合理性を持つ政策と言って良いだろう。反対の立場を表明する人たちには、現実的な議論を期待したい。

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