パンデミックから約5年。日常に潜む「罪」の正体を暴き出す『ツミデミック』
新型コロナウイルスの流行という未曾有の事態から、早いもので約5年が経過しました。当時の切迫した空気や、半強制的に生活を変えざるを得なかった日々は、今ではどこか遠い記憶になりつつあります。
しかし、一穂ミチさんの直木賞受賞作『ツミデミック』を読み、私はあの時期の社会の異常さをまざまざと思い出しました。それは「仕方なかった」という言葉で片付けるにはあまりに歪で、私たちの日常のすぐ隣に「闇」が潜んでいたことを再確認させる体験でした。
今回は、2024年に第171回直木賞を受賞した本作の魅力について、私なりの視点でご紹介します。
1.本書のあらすじ
本作は、コロナ禍の日本を舞台に、平凡な人々がふとしたきっかけで足を踏み外してしまう瞬間を描いた6つの物語からなる短編集です。
夜の街で客引きのバイトをする青年が、中学時代に死んだはずの同級生の名を名乗る女と出会う「違う羽の鳥」。
コロナ禍による不況で職を失った調理師が、近所の老人の財産を狙って近づく「特別縁故者」。
育児と冷え切った夫婦関係に疲弊した主婦が、フードデリバリーの配達員に執着し、日常を壊していく「ロマンス☆」。
パンデミックによって奪われた自由や経済的な困窮、そして先の見えない不安。そんな閉塞感の中で芽生えた小さな「綻び」が、やがて取り返しのつかない事態へと繋がっていく様が、鋭い筆致で描かれています。
2.作者について
著者である一穂ミチさんは、2007年にBL作品でデビューし、このジャンルの第一線で長く支持されてきた実力派です。
2021年に『スモールワールズ』で一般文芸に進出するやいなや、直木賞候補や本屋大賞3位に選ばれるなど、大きな旋風を巻き起こしました。その後、2024年に本作『ツミデミック』で第171回直木賞を受賞し、今最も新作が待たれる作家の一人となっています。
ごく普通の人の心の奥底にある「後ろめたさ」や「秘密」を、断罪することなく、けれど容赦なくすくい上げる繊細な筆致こそが、一穂作品の最大の魅力です。
3.本書の感想
パンデミックから約5年という月日が流れた今、本書は「あの頃の社会がいかに異常だったか」を再認識させる強力なきっかけとなりました。当時は命を守るために「正しさ」が強要され、人との接触を断つことが美徳とされました。しかしその裏側で、行き場を失った孤独や怒りがどれほど人々の心を蝕んでいたか。本書を読み進めるうちに、喉元まで出かかっていた苦い感情が蘇るようでした。
特に印象的だったのは、コロナ禍の日常に潜む闇を多角的に描くために「短編形式」が取られている点です。一話ごとに異なる立場の人物が登場し、そこにはひとつひとつの作品に異なる「罪」が存在していました。
給付金詐欺やデリバリー依存といった時事的なトピックから、家族間の憎しみや、かつての無念に囚われた幽霊の視点まで、テーマは多岐にわたります。タイトルの『ツミデミック』とは、罪(ツミ)とパンデミックを掛け合わせた造語だそうですが、まさにウイルスのように連鎖し、広がっていく人間の業や「詰み」の状況が、鮮やかに、そして恐ろしく活写されています。
前半の救いのないダークな物語から、後半にかけて微かな希望が灯る構成も素晴らしく、一気に読み終えてしまいました。
4.本書のみどころ・おすすめしたい人
「罪」と「日常」が近くにあり、 凶悪犯ではない「普通の人」が極限状態の中で一線を越えてしまうリアルな恐怖。新聞記事やSNSの空気感など、あの3年間のディテールが緻密に書き込まれており、読み手を物語世界へ引き込みます。 人間の醜さを描きながらも、どこか上品で完成度の高い読後感を残す文章力は秀逸です。
おすすめしたい人
コロナ禍の空気感を、文学的な記録として振り返りたい方
人間の善悪では割り切れない、複雑な心理描写を味わいたい方
「イヤミス」のような毒がありつつも、最後には救いを感じたい方
日常のすぐ裏側にある「闇」に触れ、自分の記憶を整理するような特別な読書体験を、ぜひ味わってみてください。
直木賞受賞の傑作短編集。あなたもこの「罪の連鎖」を体験してみませんか?
大学を中退し客引きのバイトをしている優斗。そこへ中学時代に死んだはずの同級生の名を名乗る女が現れ…「違う羽の鳥」。元調理師の恭一は、小一の息子・隼が「近所の老人からもらった」と旧一万円札を持って帰ってきたため、得意の澄まし汁を作って老人を訪ねるが――「特別縁故者」。コロナ禍を生きる人びとの、刹那の“罪”を切り取った短編集。第171回直木賞を受賞した著者の最高傑作が、待望の文庫化!
