絵を描くことで会話を楽しむ
岩波書店の月刊誌『世界』に一橋大学特任教授で精神科医宮地尚子さんが「描画による会話」というコラムを寄稿していた。
「描画による会話」というのは何人かで絵を交換しながら、何かを付け加えていくもので、それを通して会話を楽しむというものだ。飽きたら別の絵を描いてもよいし、二人でも、三人以上でやってもよい。画材も絵具やクレヨン、粘土や木の葉など何でも使える。一緒に絵を描くプロセスを楽しみ、絵を通して会話をすることが目的だ。
宮地さんによると、最初は絵を描くことをためらう人が多いと言う。「絵が下手だから」とか「苦手だから」と言って描くことを渋る。だから「絵は上手じゃなくてよい。むしろいい加減で下手なくらいの方がやりやすい」と相手に伝える、さらに、「色で遊んだり、線を楽しんだりするだけでいい」とも言う。
すると、最初は緊張感が漂うが、描き始めると夢中になっていく人が多いそうだ。そして「絵を描くのは何年ぶりだろう」「絵の具の匂いっていいね」などといった会話も進むらしい。
さらに、自分が描いた絵を別の人に渡し、何かが加えられると自分の思いつかないような形や色が加わり、絵の印象が一変する。そこが醍醐味だと宮地さんは言う。「そんなのありなんだ!」という驚きと、自分のとらわれへの気づきがそこにある。
一方、他の人の絵に描き加えることには緊張感がある。でも、写真に撮るなどしておけば自分が台無しにしても別の時にそれを元に描いてもらえばよいと言う。
絵を描くのは図画工作や美術の時間以来という人であっても、描かれた絵はびっくりするほど上手なことが多いそうだ。さらに、みんな楽しそうにしている。だから、宮地さんは「もったいないなあ、ざんねんだなあ」と思う。それほどの表現力があるのに普段使わないのはもったいないということだろう。
表現すること、創作することはそれだけで楽しいことだが、お互いの絵を描き加えるといつもとはちょっと違うチャンネルで交流でき、楽しさが増す。理解が深まったりもするが、必ずしも理解を深めようなどと考えなくてもよく、合間におしゃべりをしたり、お茶を飲んだり、お菓子を食べたり、笑ったり,絵を眺めたりしながら、プロセスを楽しめばよいのだ。
宮地さんは「絵を描くことのハードルはなぜこんなに高いのだろう」と考える。そして学校での美術教育の弊害を指摘する。「のびのび好きなように描きなさい」と言われて好きなように描いたら低い成績がついて自信をなくす子どももいる。美術教育のあり方についても考えさせられる。
最後に宮地さんは「アートは人生を豊かにするはずのものだ。美術館で有名な絵を鑑賞するのもいいが、受け身にならず、遊び心で誰かと一緒に落書き=楽描きをしてみたらどうだろうか」と言う。
小さな子どもとやってみるのも楽しいかもしれない。
