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雨漏りの修繕、怠るべからず

雨漏りの原因は経年劣化。
雨水が屋根の隙間から室内に忍び寄る。手遅れになる前に修繕は欠かせない。

「一雨、来るな」

「でしょうな」

初老二人の主従が大坂城(大阪府大阪市)の二ノ丸から頭上に広がる曇天を見上げる。

慶長四年(1599)九月十二日

「江戸城の修繕も早う、せねばな」

白髪交じりの髪、葵の御紋の羽織袴を身にまとう主は関東8ヶ国250万石の大大名。

徳川家康

「それは無論。さすれば櫓、石垣、虎口、馬出も」

と、樫の杖をつく小柄な家臣は家康の懐刀。

本多正信

「いや、それはまだよい。雨漏りは早いうちに」

「はぁ。承知しました。さりとて、殿」

「なんだ?    弥八郎(正信)」

家康は目を細めて、面倒臭そうに眉をひそめる。

「言上つかまつる」

かたや、正信は従順な家臣と思いきや、不服があると面従腹背の性根がにょきっと、露わになる。とかく、家康のため、敢えて、耳の痛いことを仄めかす。

「いくさが起きれば、いかがなされますか?」

「また、それか?」

家康は眉をひそめるが、二人はすこぶる、仲が良い。
関係は40年来。病める時も、健やかなる時も、本音でぶつかる。

家康は少し、間をおいて、正信の懸念に許可を出す。

「あい、わかった。されば、櫓は直しておけ」

「さすがは殿。承知いたしました」

二人は阿吽の呼吸。いがみ合うこともなければ、張り合うこともない。とかく、主従はかくもありたい。

「弥八郎、太閤殿下亡き後、大坂も、伏見も。何やら慌ただしい。いくさが起きるやもしれぬ」

「でしょうな」

家康曰く、前の天下人、太閤、豊臣秀吉が亡くなり、1年が経過した。

百姓から、天下人に成り上がる秀吉の跡目は倅の秀頼が継いだが幼い秀頼に政権を束ねることはできない。

秀吉は生前、家康を筆頭に五大老、五奉行の合議制による政権運営を遺言に残したが政情は不安定。

「誰のせいか?」

「はて?」

「わしのせいか?」

「よもや」

家康の自虐は戯言ざれごとは事実。
秀吉の遺言を破り、伊達、黒田、蜂須賀、福島ら大名と婚姻関係に至る。

また、宇喜多、島津の御家騒動の調停を勝手気ままに裁決。偏りのある家康の独壇場は目に余るといえば、ウソじゃない。

だが、家康はやってのける。逆らえる大名はいない。
なんせ、秀吉が生涯、いくさに勝てなかった敵はただ一人。家康だった。

曇天の空が鉛色にそまりゆく。
家康は空を見上げて、傍に控える正信に命じる。

「弥八郎、伏見に戻るぞ」

「はっ、承知しました」


家康はこの日、大坂城から京都の伏見城(京都市伏見区)に戻る手筈を整える。秀吉が亡くなった伏見城は政権運営の要。事実上、家康の城になっている。

「大坂城に流れ込む淀川べりに伏見に舟を出せ」

「恐れながら、こたびは、陸路でよろしいかと」

「天下を与る、京まで駕籠に揺られる?  腰が痛くてたまらん。弥八郎、舟にしてくれ」

家康は不快に親指の爪を噛む。
かたや、正信は微笑を浮かべて、遠回しに仄めかす。

「されば、舟を改めます。暫し、時を頂戴したく」

「あい、わかった。話が早いな。弥八郎」

正信は飄々としながら、家康の警護を欠かさない。
今や、地味で粗末な身なりで想像はつかないが正信は修羅場を繰り広げた。

若き頃、一向宗(浄土真宗)の門徒として、家康に刃を向けた過去もある。

信仰心も度が過ぎれば、人生を狂わせる。

家康に別れを告げて、大和(奈良県)の大名、松永久秀に仕えたのち、伊勢長島(三重県桑名市)、加賀(石川県)の一向一揆に参加。家康の盟友、織田信長を敵に回した。

ところが信長が天下人になると思いきや、家臣の秀吉が天下を掠め取る。帰参が叶う正信は家康に仕えて、頭角を現した。とりわけ、城の修繕は欠かせない。

家康の居城、江戸城は雨漏りがひどく、正信は修繕に追われる。あちらが漏れたら、こちらが漏れる。

雨水は人知れず、城内を侵食する。
そうなる前に正信はつぶさに調べて、家康に報告。

家康も正信の忠告アドバイスに耳を傾けて、雨漏りの修繕に意見を求めるのはいつもの習慣ルーティン

「弥八郎、この城の雨漏りは直さんでよいか?」

「はて?」

「豊家(豊臣)の城も、雨漏りがあちらこちらに」

と、家康がにやけて、天井の梁を指差す。

かたや、正信は頬を綻ばせて、家康の心中を見透かすように答える。

「嗚呼、そは容易きこと。話はつけておりますれば」

と、正信は余裕綽々。

「話?」 

「はい。もうじき、お越しにござろうか?」

正信はのらりくらりと勿体ぶる答えに親指の爪を噛む家康はじれったい。

二人は水と油の関係。合わないようでウマが合う。

「おや?   お越しにございますな」

と、正信が振り返る視線の先に烏帽子えぼしをかぶる優男が歩み寄る。

年の頃は二人と同世代。
柔和に見えて、白髪交じりの品のよさは家康に勝るが威厳は雲泥の差。

「弾正ではないか?」

「内府殿」


家康がじろりと見つめて、気安く呼びかける。

弾正こと、

秀吉の義弟     浅野長政

豊臣秀吉の義弟。
秀吉の正室、北政所きたのまんどころの妹婿。

長政は家康に向かい合い、座るなり開口一番。

「内府殿、手筈通り」

「左様か。して、誰ぞ、焚きつけた?」

「大野修理、土方河内守を」

家康は歯痒いのか、親指の爪を噛む。
かたや、正信は長政の話の腰を折る。

大野修理は豊臣秀頼の母、淀殿の乳母、大蔵卿局おおくらきょうのつぼねの倅。

土方河内守は家康の盟友、織田信長の次男、信雄のぶかつの家臣を経て、秀吉に仕えた。

「大野修理、土方河内守……小物ではないか」

「殿、それでよろしいかと」

正信に横車を押されて、家康は不快に舌打ち。
長政は続ける。

「さりながら、河内守の弟が」

「小物の次は雑魚か?」

と、家康は唇を尖らせる。

「さにあらず。大物は遠国に。加賀の前田に河内守の弟が仕えております」

その途端、家康は頬を綻ばせて親指を口元から離す。

「前田か」

加賀(石川県)の前田利長は亡き秀吉の盟友、前田利家の嫡男。80万石の大名に家康が嬉々とするその理由。

「十把一絡げに……か?」

家康の問いに長政はコクリとうなずく。

それから間もなく、大坂城に衝撃が走る。

家康暗殺計画


浅野長政、大野治長、土方雄久の3人が家康の暗殺を計画した。企てたのは長政。

三人は処罰されて、黒幕は前田利長と噂される。

「前田を討つ!」

家康は加賀征伐を始めるが利長の母、芳春院ほうしゅういんが家康の人質に囚われて、事なきを得た。

「弥八郎、次は」

「会津の上杉にございましょうな」

家康は会津(福島県)の上杉景勝に矛先を向ける。
しかし、景勝は家康のでっち上げを非難。

「弥八郎、豊家の雨漏りは?」

「もうしばらく」

「あい、わかった」

世にいう、「会津征伐」。さらに天下分け目の大いくさ「関ヶ原の戦い」につながり、家康の天下に至る。

ちなみに浅野長政の倅、幸長よしながは家康に味方した。しかも、長政の孫娘、春姫な家康の九男、義直の妻に迎えられる。

長政は暗殺を企てた事実は眉唾物。長政は家康の天下を経て、大野、土方に先駆けて、赦免された。

                                                                                  (了)