①『最弱扱いされた俺のギフト《追加ボーナス》、実は仲間も武器も報酬も手に入る最強スキルでした』 〜第1・2章〜
第1章 天使との契約
1. 石畳の冷たさが、足裏から脳へと真っ直ぐに突き上がってくる。
2. 鼻先をかすめるのは、革と油と香辛料の混じった、嗅いだことのない街の匂いだ。
3. 空を裂くように尖塔(せんとう)がのび、旗がはためくたび、陽射しが金の縁取りを描く。
4. 鎧の継ぎ目から金属音が鳴り、剣帯に吊られた柄が人々の腰で跳ねる。
5. 聞き慣れない言葉の渦は、なぜか意味として耳に落ちてくる。
6. 荷馬車の車輪は木をきしませ、店先の籠には見知らぬ果物が山と積まれている。
7. 子どもが走り抜け、犬が吠え、遠くの方で誰かが魔法の火花を弾かせた。
8. 世界は鮮やかだ。だが、どこにも見覚えはない。
9. 自分だけがここで異物だ——その感覚だけが、やけに確かだった。
10. 「……ここは、どこなんだ」
青年の名はアスラ。ついさっきまでいたはずの場所は靄(もや)の向こうに押しやられ、思い出そうとするほど指の隙間からこぼれ落ちる。立ち尽くす背を、通りすがりの冒険者が乱暴に肩で払った。振り向く暇もなく、罵声に近い舌打ちが背中に貼りつく。
——ようこそ。ギルドはあっちだよ、よそ者(ストレンジャー)。
囁き声のような看板の軋み。その先に、木組みの大きな建物があった。入り口に吊られた角笛の古いレリーフ。扉を押すと、酒と汗と革の匂いが厚みをもって押し返してくる。壁一面に釘で打たれた依頼札。討伐、護衛、探索、急募、危険、厚報酬。どれもがこの世界の筋肉と魔力に支えられている。
受付の女が、まっすぐな琥珀色の瞳でアスラを見る。「初めてね?」名はリナ、と胸元の真鍮札が告げた。
「……ああ。たぶん、初めてだ」
「“たぶん”って……まぁ、ここでは珍しくないわ。ギフトは?」
口の中が乾く。喉の奥で言葉が砂になる。だが、言わなければ始まらない。
「《追加ボーナス》。ことを成した時、余分の報酬が……もらえるらしい」
一拍、静寂。次いで背後から押し寄せる笑い。乾いた、遠慮のない、天井の梁まで届くような笑いだ。
「外れだ」「最弱だな」「戦場に持っていくお守りにもならん」
言葉が重さをもって落ちてくる。アスラは拳を握り、爪を掌に食い込ませる。痛みは小さな火だ。熱は確かで、逃げない手触りをくれる。
「登録はできる。だが、最初の依頼は雑用になるわ」リナは事務的で、やさしかった。「生き延びて、稼いで、体を慣らす。それが第一」
生き延びる。たったそれだけが、この世界で最初に与えられた課題だ。
◆
最初の数日は、まさに雑用だった。荷馬車の荷を降ろし、年老いた防具職人の店に革を運び、井戸から水を汲み、街壁の影で小銭を数える。冒険者の背に結ばれる荷縄は重い。だが、重さの向こうに意味をつかみ損ねている自分の方が、ずっと重かった。
夜、宿の安い部屋。藁床が湿っている。窓を開ければ石畳を洗う月光。アスラは天井のひび割れを見つめた。最弱。外れ。荷物持ち。言葉は繰り返されるうち、額に焼き印みたいに居座り始める。
——それでも、明日は来る。ならば握れるものを握るしかない。
◆
四日目の朝、機会は突然やってきた。酒場で耳にした「初心者向けの探索隊」に、空きが一つあるという。名乗り出たのはアスラ以外になかった。
「足手まといになんなよ」皮肉を真珠のように転がすのは、剣を肩に担いだガレスだった。横でセルナが軽く笑う。魔術師のローブは清潔で、言葉は刃より冷たい。「最弱ギフト。まぁ荷を持つ腕くらいはあるでしょ」「ドラン。後ろ、つけ」無口な斧使いが無表情で頷く。彼の背中は壁のように厚く、同時に何も言わない沈黙が不気味だった。
薄暗い森に入る。枝葉が陽を刻み、土はしっとりと湿る。最初のうちは順調だった。ガレスが道をひらき、セルナが罠を見抜き、ドランが木の根に絡んだ蔦を断つ。アスラは荷を背負い、息を整え、靴紐を確認し、水を配った。
それは、唐突に崩れる。
谷間の先、影が動いた。鼻腔に重油のような臭気。二つの黄色い灯——目だ。棍棒が空気を押し潰す音とともに、巨躯が立ち上がった。皮膚は苔むした岩のように硬く、歯は欠けた刃の列。人の倍はある胴丈。——怪物だ。
「……オーガ! 下がれ!」ガレスの声が強張る。セルナは詠唱に入る。だが、間に合わない。塊のような棍棒が横殴りに迫った。大地がうめき、木片が弾ける。その直前、アスラの背中を何かが激しく押した。
「囮になれ、アスラ!」
足が、空(から)になった。地面が滑る。視界が横転する。肩が石にぶつかり、肺から空気が抜ける。耳の中で水が跳ねるような音が続く。アスラは見た。ガレスの冷たい目、セルナの嘲笑。ドランは、ほんの一瞬だけ目を伏せ、それから視線を外した。
世界が遅くなる。棍棒、影、土、息。逃げろ、と体の奥が叫ぶ。いや、逃げるのか? 逃げた先に何がある? ——生き延びる。それだけが、今、握れるものだ。
アスラは身を翻し、森の斜面を駆け下りた。枝が頬を切り、石が靴底を滑らせる。息は火になり、喉は砂になる。背後で木が折れる音。追ってくる。足音は地鳴り、肩越しの視界に棍棒の影がちらつく。
(走れ。立つ。踏む。次の一歩。もう一歩。逃げ切る——それも“ことを成す”のうちだ)
胸の底のどこかが、乾いた火花を散らした。
どれほど走ったか分からない。森の匂いが薄れ、風が変わる。ぬかるみが固くなる。耳鳴りだけが残り、怪物の足音は、消えていた。
膝が折れる。地面が近づく。掌に苔のやわらかさ。吐く、吸う、また吐く。生きている。生き延びた——。
その瞬間だった。空気が、わずかに震えた。
風はない。だが、光が集まる。夕暮れの埃(ほこり)に似た小さな粒が、蝶の群れのように渦を作り、アスラの目の前で一枚の「札(カード)」に結晶する。表には、繊細な筆致で銀髪の女が描かれていた。翼は白く、瞳は湖面のように澄む。縁取りは古い貨幣の縁(ふち)に似て、細かな文字が帯のように巡っている。
喉が鳴る。指先が震える。アスラは札を掴み、そこに刻まれた言葉を読んだ。声はほとんど音にならない。だが、世界は聞いた。
光が弾けた。森の影が一瞬だけ後ろへ押され、空気が甘くなる。そこに——いた。
女は軽やかに片膝をつき、白い翼を静めた。髪は月光の糸を束ねたように肩へ落ち、肌は粉雪のように透けている。衣は古い聖歌集の挿絵の一節のように清らかで、息づかいは風鈴の音より静かだ。
「——わたしはミリア。ボーナス・エンジェル」彼女は微笑み、頭を垂れる。「あなたが、わたしの主君ですか?」

アスラは、返す言葉を持たなかった。
代わりに胸の鼓動が、答えの場所を指さした。最弱。外れ。荷物持ち。額に焼きついた刻印のひとつひとつが、薄紙のように剥がれていく感覚。あの札が告げた“応答”が、いま確かに目の前に立っている。
「……主君?」ミリアは小首を傾げ、柔らかな訝(いぶか)しみを瞳に浮かべた。
「俺は……アスラだ。最弱だと笑われた。けど——生き延びた。お前は、俺を……」
「祝福します」ミリアは言葉を重ねた。「《追加ボーナス》は“ことを成す”者に応じ、余分を与える。余分は金貨であり、道具であり、時に——命を繋ぐ縁(えにし)でもある」
「縁……?」
「はい。主君が、逃げ切る、と選んだ。それは立派な“達成”です。だから、わたしが来た」ミリアは翼をひとふりして立ち上がる。「約束しましょう。あなたが“成す”たびに、わたしは必ず現れ、その報(むく)いを形にする」
言葉は穏やかだが、芯があった。アスラは彼女の瞳に、自分の顔が小さく映っているのを見た。土と汗と、少しの血と、みすぼらしい荷紐の跡。だが、その輪郭は不思議にまっすぐだった。
「……俺は、もう囮(おとり)にならない。荷物持ちでもない。俺は、俺の足で生き延びる。いつか、最強になる」
気づけば口からこぼれていた。誓いの音に、森が少しだけ静かになった気がした。ミリアは細い指を差し出す。指先は温かい。
「契約、成立です。主君」
指が触れた瞬間、アスラの背骨に微かな電流が走った。乾いた苔がさらに柔らかく、夜の気配が一歩近づく。遠くで鳥が羽ばたく音がした。世界の輪郭が少しだけ鮮明になる。ここに立っている自分の重さが、さっきより確かだ。
「帰ろう」ミリアが微笑む。「あなたの生は、今日から報われる」
アスラは頷き、立ち上がった。森は暗くなり始め、街道の方角に薄い光が残っている。額の汗を袖で拭う。歩きながら、ふと後ろを見た。そこには、折れた枝と自分の足跡、そして——新しい一歩目があった。
最弱という言葉は、まだ胸に刺として残る。抜けない針だ。だが、針は縫うためにもある。破れた何かを、もう一度つなぐために。
街の灯が、遠くに点々と灯った。角笛の看板が待っている。笑い声も、罵声も、酒の匂いも、同じ場所に。
アスラは唇を結び、歩幅を少しだけ広げた。ミリアの羽が、風のように寄り添う。
そして、角を曲がった先——掲示板の一隅で小さく揺れている紙切れが、彼の視界のどこかを引いた。
薬草採取。銀貨一枚。誰も見向きもしない雑用。だが、そこに——余分(ボーナス)が待っている。たぶん、きっと、もう一度。
アスラは、扉へ手をかけた。
(次章へ続く:第2章「最初の冒険」——最弱の一歩が、報いを呼ぶ)
第2章 最初の冒険
ギルド「銀月の角笛」の重たい扉を押し開けると、昼間だというのに酒場のような喧騒が押し寄せた。
木の床は無数の靴に磨かれて艶を帯び、壁際の掲示板には依頼書が乱雑に張り付けられている。
冒険者たちは我先にと札を剥がし合い、剣や鎧を軋ませながら怒号と笑いを飛ばしていた。
アスラはその群れの端に立ち、胸の奥で小さく息を整えた。
目に飛び込んでくる依頼書のほとんどは討伐や護衛、あるいは遺跡探索。
報酬の桁も高い。だが、どれも彼の手には余る。
結局、視線が止まったのはひときわ地味な依頼だった。
「……薬草採取」
報酬は銀貨一枚。
貼り紙の前でつぶやいた瞬間、近くにいた大柄な冒険者が鼻で笑った。
「またそれかよ。最弱ギフトが選ぶのは雑用くらいだよな」
「ははっ、銀貨一枚でももらえるだけありがたく思えってな」
アスラは視線をそらし、札を無言で剥がした。
笑い声が背後にまとわりつく。だが拳を握りしめる指先の震えは、もはや悔しさよりも決意に近かった。
(いい……笑いたければ笑え。俺の《追加ボーナス》がどれほどのものか、試してやる)
受付カウンターで依頼書を差し出すと、リナが顔を上げた。
淡い茶色の髪を揺らし、少し眉を寄せる。
「アスラさん……また薬草採取ですか?」
「……これしか受けられないだろ」
「そうですけど……。昨日までは荷物持ちだった人が、急に討伐なんて危険すぎますしね」
その声音には、哀れみと本気の心配が入り混じっていた。
アスラは口を閉ざし、視線を逸らした。
代わりに耳に届いたのは、誰にも見えぬはずの存在からの囁きだった。
背後で柔らかな光をまとい、ミリアが微笑んでいる。
「主君、小さな依頼こそが第一歩です。決して侮ってはいけません。必ず《追加ボーナス》が応えてくれるはずです」
その声に押されるように、アスラは頷いた。
「……行ってくる」
昼過ぎ、街を抜けて草原へ出る。
丘陵が連なり、緩やかな風が草の海を揺らしていた。
陽射しは強いが、頬を撫でる風は涼しく、どこか心を落ち着かせる。
「ここなら……」
依頼書を取り出す。──“ヒカリ草を十束”。
森の木陰に生える淡い緑の薬草で、薬屋に卸されるが、価値は高くない。
冒険者にとっては「小銭稼ぎ」。だが、今のアスラには最良の挑戦だった。
腰を落とし、ナイフを取り出す。
一株一株を根から刈り取り、紐で束ねていく。
単調な作業の中で、太陽は少しずつ傾き、汗が額を伝う。
「……十束、集めたか」
声に出した瞬間、周囲の空気が変わった。
風が止まり、草の揺れが凍りつく。
代わりに光の粒が舞い上がり、アスラの目の前でひとつの形に収束する。
「……これが」
手を伸ばすと、一枚のカードが手の中に現れた。
そこに描かれているのは、小さな木箱。
恐る恐る文字を読み上げる。
次の瞬間、眩い光と共に木箱が実体を得て、地面に落ちた。
蓋を開けると、中には金貨数枚と赤い輝きを放つ石が収められている。
「これは……?」
背後で羽ばたきの音。
ミリアがふわりと舞い降り、優しい声をかけた。
「回復の魔石です。冒険者でも簡単には手に入らない、貴重なものですよ」
アスラは息を呑んだ。
ただの草刈り。それすらも「報酬」に変える力。
(これが……俺の《追加ボーナス》)
拳を握りしめる。
心臓が高鳴る。
これまで最弱と嘲られたギフトが、実は無限の可能性を秘めているのではないか。
「次は……討伐依頼だ」
小さく呟き、空を見上げた。
夕陽に照らされる雲の隙間から、一筋の光が降り注いでいる。
その光は、まるで彼の決意を祝福するかのようだった。
◇次章へ◇
アスラは歩き出す。
背後でリナの心配そうな声が思い出された。だが、もう後戻りはできない。
次に挑むは、初めての「討伐」。
そこで彼が何を得るのか──そして誰と出会うのか。
物語は、まだ始まりにすぎない。
あとがき(第1章〜第2章まで)
ここまでお読みいただき、
ありがとうございます!
第1章では「最弱」と笑われ、囮にされてしまったアスラが、思いがけない出会いを果たしました。
──天使ミリアとの契約。
そこから彼の物語はようやく動き出したわけですが、まだまだ“ほんの入り口”に過ぎません。
第2章では、いかにも地味で誰も相手にしない「薬草採取」の依頼から、
《追加ボーナス》がただの冗談ではなく、本当に力を秘めていることが少しずつ明らかになりました。
ただの草刈りで回復の魔石が出てきたあたり、ワクワクしてきませんか?
本人もまだ知らない──このギフトがどこまでの可能性を秘めているのか。
アスラは一歩ずつですが、確実に“最弱”の殻を破ろうとしています。
次はいよいよ、初めての戦闘。
彼の短剣は通じるのか。ミリアはどんな力を示すのか。
そして《追加ボーナス》は、どんな“ご褒美”を与えてくれるのか。
「最弱」から「最強」へ。
その道のりはまだまだ遠く、険しいですが……読者のみなさんと一緒に歩んでいけたら嬉しいです。
それでは──次回、第3章「初めての戦闘」でまたお会いしましょう。
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