学校の怪談――“視えすぎる”少年――
「この学校、夜になると四階の廊下を“誰か”が歩くらしいよ」
そんな噂は、どこの学校にもある。
だが、その“噂”が本物だった場合。
そして、それを最初から知っている人間がいた場合。
話は少し変わってくる。
僕の名前は、黒瀬 湊(くろせ みなと)。
高校二年。
そして……昔から、“見えてしまう”。
小学生の頃は、
「見えない友達と話す変な子」
と言われた。
中学では、
「事故現場を言い当てた不気味な奴」
と噂された。
だから今は、なるべく黙っている。
見えても。
聞こえても。
気づいても。
知らないふりをする。
……そのはずだった。
◆
六月の終わり。
雨が続く、蒸し暑い夜だった。
「なぁ黒瀬、お前って心霊系詳しいんだろ?」
放課後、クラスメイトの大沢がニヤつきながら話しかけてきた。
「別に」
「またまたぁ〜。お前そういうの好きそうじゃん」
好きなわけじゃない。
ただ、“寄ってくる”だけだ。
「今日さ、旧校舎行こうぜ」
その瞬間。
ゾワッ……
首筋に、氷水を流されたような感覚。
旧校舎。
今は立入禁止になっている、古い木造校舎。
数年前に一部崩落して閉鎖された場所だ。
僕は無意識に視線を向けた。
窓の割れた四階。
……いた。
暗闇の中。
白い顔だけが、
こちらを見ていた。
「……やめとけ」
思わず口から出た。
「え?」
「今日、行かない方がいい」
大沢は笑った。
「なんだよ、マジで霊感キャラ始めた?」
違う。
そうじゃない。
あれは……
“普通じゃない”。
◆
結局、その日の夜。
大沢たちは旧校舎へ行った。
男子三人。
女子二人。
肝試し感覚だった。
僕は行かなかった。
いや……正確には。
“行けなかった”。
あの校舎から、
ずっと視線を感じていたからだ。
深夜0時。
突然、スマホが鳴る。
大沢からだった。
『黒瀬』
『やばい』
『助けて』
その直後。
ブツッ……
通話が切れた。
僕は反射的に家を飛び出していた。
◆
夜の学校は、生き物みたいだった。
雨で濡れた校舎。
暗い窓。
風で軋む扉。
旧校舎へ近づくたび、
耳鳴りが強くなる。
キィィィィ……
頭の奥で、
女の声が混ざる。
――かえして……
僕は立ち止まった。
この声。
“ひとり”じゃない。
◆
旧校舎の中は異様に寒かった。
床は腐り、
天井から水滴が落ちる。
ポタ……
ポタ……
懐中電灯を向けると。
壁一面に、
黒い手形がついていた。
……新しい。
その時。
二階から悲鳴。
「ぎゃああああっ!!」
大沢だ。
僕は駆け上がった。
廊下の先。
大沢が腰を抜かしていた。
「く、黒瀬……!」
その先を見て、
僕は息を止める。
女がいた。
長い髪。
濡れた制服。
そして。
“顔がない”。
目も。
鼻も。
口も。
何もない。
なのに。
確かに笑っていた。
◆
普通の霊じゃない。
これは……
“集合霊”。
長年、
学校に溜まり続けた感情。
いじめ。
孤独。
恐怖。
後悔。
それらが混ざり、
形になった存在。
だから顔がない。
“誰の顔でもあるから”。
女はゆっくり首を傾けた。
グギ……
ありえない方向まで。
大沢が震えながら叫ぶ。
「た、助けろよ!!」
その瞬間。
女の身体が、
廊下の奥から“滑るように”迫ってきた。
速い。
僕は咄嗟にポケットから札を取り出した。
祖父から渡された護符。
バチッ!!
空気が弾ける。
女が止まる。
だが。
次の瞬間。
後ろから、
無数の足音。
ペタ……
ペタ……
ペタ……
振り返った僕は凍りついた。
廊下いっぱいに、
生徒たちが立っていた。
制服姿。
全員、
顔がない。
◆
「……まずいな」
完全に囲まれている。
この学校。
昔、自殺者が出ている。
しかも一人じゃない。
噂では、
教師による隠蔽もあったらしい。
その感情が、
ここに残り続けていた。
いや。
残っていたどころじゃない。
“育っていた”。
ペタ……
顔無したちが、
一歩ずつ近づいてくる。
大沢は泣き叫び、
動けなくなっていた。
その時だった。
女のいない“空間”が見えた。
違和感。
そこだけ、
霊が避けている。
僕は直感した。
“核”がいる。
この怪異を生んだ、
最初のひとり。
◆
四階。
そこだけ空気が違った。
教室のプレートには、
かすれた文字。
【4−2】
扉が少し開いている。
ギィ……
中にいたのは。
一人の少女だった。
セーラー服姿。
短い髪。
そして。
“ちゃんと顔があった”。
「……やっと来てくれた」
少女は静かに笑った。
「君だけだったよ。“見つけて”くれたの」
僕は息を呑む。
彼女だけ、
他の霊と違う。
理性がある。
「君が……全部やったのか?」
少女は首を横に振った。
「違うよ」
窓の外を見ながら、
小さく呟く。
「私は、“閉じ込められただけ”」
◆
二十年前。
この学校で、
一人の女子生徒が失踪した。
だが事件は、
“家出”として処理された。
理由は簡単。
学校側が隠したかったから。
いじめを。
教師の暴力を。
全部。
少女は、
旧校舎の倉庫に閉じ込められたまま死んだ。
誰にも見つけてもらえず。
助けも来ず。
暗闇の中で。
ずっと。
ずっと。
「だから寂しかった」
少女は笑う。
でもその目は、
壊れる寸前みたいに揺れていた。
「だから、仲間を増やしたかったの」
瞬間。
教室の扉が閉まる。
バァン!!
廊下から、
無数の手が伸びてきた。
顔無したち。
少女が立ち上がる。
「ねぇ」
一歩。
「君も、こっちに来る?」
◆
僕は静かに目を閉じた。
怖くないわけじゃない。
でも。
彼女は“怪物”になる前、
ただの子供だった。
誰にも助けてもらえなかった、
普通の女の子。
僕は護符を握る。
そして。
彼女へ向けなかった。
代わりに。
教室の床へ叩きつける。
バシィッ!!
白い光。
霊たちの悲鳴。
少女が目を見開く。
「それ……」
「これは除霊じゃない」
祖父が言っていた。
本当に苦しんでいる霊には、
“出口”を作れと。
閉じ込めるな。
終わらせてやれ。
教室の景色が崩れていく。
少女の身体が、
少しずつ光に溶けた。
「……そっか」
彼女は、
初めて安心した顔をした。
「やっと……帰れるんだ」
その瞬間。
校舎中に響いていた足音が、
ピタリと止んだ。
◆
翌日。
旧校舎は立入禁止区域ごと取り壊されることになった。
理由は、
“老朽化”。
もちろん、
本当のことは誰も知らない。
大沢たちは、
あの夜の記憶が曖昧になっていた。
だが。
僕だけは覚えている。
最後に、
少女が消える前。
確かに言った言葉を。
――ありがとう。
そして今でも。
夜の学校を歩く時。
時々、
窓に誰かが映る。
でももう、
怖くはない。
本当に怖いのは、
幽霊じゃない。
“見て見ぬふりをする人間”なのかもしれない。
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