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目黒のさんま

タイトル

サンマは目黒にかぎる!


あらすじ
ある日、殿さまが目黒にお出かけしたときに、はじめてサンマを食べるねん。空腹もあってか、これがめっちゃうまくてびっくり!
ところが後日、またサンマを食べようとして取り寄せてもらったら、全然あのときの味とちゃう。
ほんで殿さまが言うてまうんや——

「サンマは目黒にかぎる!」

解説
殿さま:
「今日はええ天気やし、目黒まで遠乗りにでも行こか〜」

家来:
「かしこまりました! って、あれ…お弁当忘れてもうた…」

殿さま:
「なんや、ええ匂いしてきたぞ。腹減った〜! あの匂いはなんや?」

家来:
「これは“サンマ”いう魚を焼いてる匂いですけど…えっと、庶民の食べもんなんで、殿にはちょっと…」

殿さま:
「かまへん! 腹ペコや! はよ持ってこい!」

——(農家で焼いてるサンマをもらってきて)——

殿さま:
「うわ! なんやこれ! 脂ジュワジュワでめっちゃうまいやん! サンマ最高や!」

マンガ「目黒のさんま」

——(それから数日後)——

家来:
「殿、今日はお祝いの席でございます。何か召し上がりたいものございますか?」

殿さま:
「うーん…このあいだ目黒で食べたあのサンマ、また食べたいなぁ」

家来:
「え、サンマ…ですか? かしこまりました、すぐに日本橋の魚河岸で上等なサンマを仕入れてまいります!」

——(台所で大騒ぎ)——

料理人たち:
「殿さまの口に入るもんやし、脂は身体に悪いかもしれん! 蒸して脂ぬこか! 骨も危ないから一本一本抜こ!」

——(そして出されたサンマは、すっかり姿も味も変わってた)——

殿さま:
「なんやこれ…パサパサで味せぇへん…あのサンマと全然ちゃうやんけ」
「このサンマ、どこで仕入れたんや?」

家来:
「はい、日本橋の魚河岸でございます」

殿さま:
「それあかんわ! サンマは目黒にかぎるんや!」

補足ポイント
この噺は、「世間知らずなお殿さま」をちょっとおちょくった笑い話やねん。

ほんまは「どこで食べたか」より「どうやって調理したか」とか「そのときの空腹具合」とかの方が味に影響あるやん。でも殿さまは、“場所=味”やと信じ込んでる。その勘違いがおもろいんや。

それに、庶民のシンプルな焼きサンマの方が、豪華に手間かけた料理よりずっと美味しかったって話でもあるね。
「高いもん=うまい」って思い込みへの皮肉も込められてるかもしれへんな。

ほのぼの「目黒のさんま」


<参考資料>

落語「目黒のさんま」大人のための鑑賞案内

■ 一見滑稽、されど風刺の妙


「目黒のさんま」は、一見するとただの“お殿様の勘違い話”として笑ってしまう噺ですが、そこには階級社会・食文化・知識の偏りに対する痛烈な風刺が込められています。

主役となる殿様は、武士階級に属しながらも、庶民が日常的に食べていた脂ののった焼きさんまに舌鼓を打ち、場所(目黒)と味を結びつけてしまう。その言葉、「さんまは目黒にかぎる」は、知識階層の無知を笑うとともに、「上流階級の思い込み」を滑稽に描き出しています。

また、江戸時代の庶民にとって、「さんま」は身近な魚でありながら、秋の風物詩としての情緒も帯びていました。そんな日常の味を、「殿様が知った風に語る」——このギャップが、この噺の可笑しみと皮肉の美学を形成しているのです。

■ 成立時期と背景

この噺の成立は、江戸後期〜明治初期とされています。作者は不詳ながらも、明治の速記本などに登場しており、古典落語の中でも比較的新しい部類に入ります。

「目黒のさんま」は、武家社会の衰退とともに、殿様の存在そのものが“笑いの対象”となった時代背景が色濃く反映されています。つまり、庶民が武士を笑えるようになった時代の到来が、この噺の成立を後押ししたわけです。

■ 鑑賞のポイント

この噺を味わう際に注目すべきは、殿様の“まことの無垢さ”です。噺家によっては殿様を「知識が足りない滑稽者」として演じますが、一方で「純粋な味覚の人」として描くスタイルもあります。つまり、“無知”か“無垢”か、この演じ分けで噺のニュアンスが大きく変わるのです。

また、料理描写の妙も聞きどころです。目黒のさんまは「脂がジュウジュウ焼けて香ばしい」。一方で、屋敷に出されたさんまは「脂を蒸して落とされ、骨まで抜かれて姿もくずれた椀物」。ここには、”本来の美味しさとは何か”という問いも含まれていると言えるでしょう。

目黒のさんまの解説

■ 噺家たちの逸話

名人・古今亭志ん生はこの噺を好んで演じました。特に戦後、世間の空気が和らいだころに披露された「目黒のさんま」は、志ん生の飄々とした語り口と相まって、“無知なる者の自由さ”に一種のユーモアと温かみを添えていました。

また、五代目柳家小さんも名演で知られます。小さんは「殿様の無邪気さ」に重点を置いた演じ方をし、聴衆に「殿様、ええ味してるやん」と感じさせる独特の余韻を残しました。

現代では柳家喬太郎の演出がユニークで、時折現代風の語りや料理評論風の表現を交えることで、古典を現代に通じる笑いに昇華させています。

■ 関連する川柳と文化的含意


「さんま」にまつわる江戸時代の川柳に、こんな一句があります:

秋刀魚焼く 煙とともに 母の味

これは現代の句ですが、まさに「目黒のさんま」が描く情景を想起させます。脂ののった焼き魚の匂い、湯気、庶民の暮らし——それは、記憶の中の味覚や情感の象徴でもあります。

また、こんな皮肉も:

さんまには 脂がのっても 殿しらず

——まさに、「知らぬが仏」を地で行く殿様を、庶民がクスリと笑う一句ですね。

川柳「さんまには 脂がのっても 殿しらず」

■ おわりに


「目黒のさんま」は単なる勘違い話ではなく、味覚と記憶・身分と教養・知識と現実のズレを通して、私たちの価値観や常識を柔らかく問い直す噺です。

どんなに高貴な人でも、空腹で食べた焼きたての庶民の味が忘れられない——その姿に、“人間らしさ”の可笑しみと温かみが宿っているのです。

「サンマは目黒に限る」——この言葉には、どこか憎めない“殿様の幸せな勘違い”が、永遠の余韻として残ります。

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