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noteの多言語対応への傾向と対策。 英語圏の人々の読文嗜好へ対応 (本文4115文字)

 2026年5月27日からnoteに多言語対応機能がスタートするそうだ。

 この機能を使うと、外国の人たちに自分の書いた文章を知らしめることができるのかと思うと少し緊張する。
 はじめのうちは英語に対応するのだというというが、世界の英語人口15億というし、英語話者ってだいたい積極的な人が多いと思うので、激しい反応が予想される。もちろん、まったく相手にされないという寂しい状況になることも考えられるが、それよりも何らかの反応を期待したい。

 となると、まずは英語圏の人たちに読んでもらうことが先決であるから、その手法を自分なりに考えてみた。

 私は、英語力が高いという方ではないし、日頃から英語の書籍や書き込みを読んでいるわけでもない。
 今独学で行っている高校の科目学習も、まだ英語に手を付けていない。
 昨日『システム英単語  5訂版』を買ってきたくらいである。

 だから、以下の「多言語機能への傾向と対策」は、もっぱら私の個人的な推測と空想によっている。そのため、なにが不都合があった場合、その責任は全て私にある。
 また、「英語圏」と言ってはいるが、私は一度も日本国外に出たことがない。だから、外国については映画やテレビドラマや書籍などを通じてでしか知らない。
 となると、映画やテレビドラマで馴染み深いアメリカ、しかもサンフランシスコやニューヨークそれにワシントン(以下この3都市を「サンニワ」という。)くらいしか町並みがあたまに浮かばない。
 だから、以下の内容はほとんどサンニワのイメージを中心にしている。


多言語機能への傾向と対策


1 英語圏の人々の読文嗜好(私の推測)

(1) 英語圏の人々は、長文を好まないような気がする。

 サンニワは、人種の坩堝るつぼ(後述)である。

 坩堝 本来は、物質を溶融ようゆう(溶けること。溶かすこそ。)し、または灼熱しゃくねつ(焼けてあつくなること。)するための耐熱性の深皿のことだが、種々のものが入りまじった状態のたとえ。

 つまり、アメリカ人の中の相当数の人たちは、英語が母語ぼご(後述)ではないと思われる。だから、日本人が日本人に向けて書くようなことでは、受け入れてくれない人が多いだろう。

 母語 幼時ようじ(幼年の頃)に母親などから自然な状態で習得する言語。母国語というと国家意識が加わる。

 日本人同士なら、細かなことを省略しても「解ってもらえる」という意識が働くが、世界に発信するならそういう仲間意識的な考えは捨てなくてはならない。
 ましてや、祖国も母語も宗教も様々な人たちを読者として想定した文章なら、丁寧な記述を心がけなければと思う。

 まずは、一文を短く書くことからはじめたい。
 文法的にいえば、単文たんぶん(主語と述語の関係を一組だけ含む文。)が好ましい。例えば、「私は、英語圏の人たちへnoteを書く。」という文である。

 重文は、主語・述語の関係が成り立つ部分が、対等の資格で結ばれている文(例えば、「花は咲き、鳥は歌う。」)。
 複文は、主節と従属節から成る文。主節の一部に従属節が含まれている文(例えば、「誰もが雪が降ると思っている。」、「雪が降ると電車が止まる。」[「雪が降る」が従属節でそれ以外が主節。])
であるが、これらはあまり好ましくないような気がする。

 また、AIが翻訳するのであろうから、単文であることは誤訳を防ぐためにも意味がある。
 

(2) 英語圏、特にアメリカ人はスラング(俗語)を多用するような気がする。

 これは、英語の新聞を読むための助言として書かれていた。
 逆に、スラング(slang 俗語)を知らないと英語の新聞を読みこなせないそうだ。
 しかし、私が求めているのは「読む」という受動的行動ではなく、「読ませる」という能動的行動なのである。
 だから、スラングの心配はしなくても問題なさそうである。ただ、英語にはラテン語やフランス後などからの借用語がとても多い。
 Library(図書館)やAnimal(動物)などなら問題なく使えると思うが、Foci(焦点の複数形)とかCapillary(毛細血管)などは、避けた方が無難だろう(これらの単語は話題が限定されるから、私が使うことはなさそうだが。)。

 私が文章を書くとき(打つとき)に、「英語なら借用語かどうか」など考えることはできないと思うが、感じが連なる単語はできるだけ避けるようにしたい。
 

(3) 英語圏の人々は、多様な国、多様な文化、多様な宗教を持つ人々の集合体である。

 私は特定の宗教の信者というわけではないので(日本教にほんきょう《後述》の信者とは言えるかもしれないが。)

 日本教 評論家・山本七平が『日本人とユダヤ人』などで提唱した概念である。日本人の血肉となり、無意識に共有されている「人間中心」や「和」を最優先する独自の精神構造や文化的風土を、一つの宗教になぞらえた造語。具体的な教祖や経典を持たず、空気(同調圧力)や共同体のルールが支配する「非・一神教的」な側面が特徴である。

 とにかく、日本人全般の傾向として、他の宗教に対するデリカシー(delicacy 繊細さ。)が十分とは言えない。
 私は学生のころ普通に「大乗仏教と小乗仏教」と教わった。
 だが、今は「大乗仏教と上座部仏教じょうざぶぶっきょう」という。
 これは、「小乗」というのは大乗の立場から批判的に名付けたものであるという経緯からあまり使われなくなったことが理由らしい。

 このことを知らないと私は「小乗仏教」という言葉を使用していただろう。
 しかし、上座部仏教の信者がそれを聞いたらいい気持ちはしないだろう。

 こういうところで宗教に対するデリカシーが試されるのだと思う。

 私は、宗教的な知識が多いとは言えないから、noteで他の宗教の信者らに不愉快なことを書く可能性が高い。

 キリスト教についても普通に「三位一体さんみいったいっておかしくないかい。」と書きそうである。

 ちょっと調べれば、 「ニカイア公会議(325年): アタナシウスらが中心となり、イエス・キリストが父なる神と「同質(本質が同じ)」であることを認め、アリウス派の異端説を退けたこと。
コンスタンティノープル公会議(381年)で ニカイア信条を再確認・拡充し、聖霊の神性も明確化することで、「父・子・聖霊」の三位一体教義がキリスト教の正統教義として確定した。」
くらいのことを知ることができる。

 三位一体 キリスト教において「父(神)」「子(イエス)」「聖霊」の3つが、別個の存在でありながら本質的に唯一の神であるという教義である。1つの神の異なる側面(ペルソナ)として理解される。

 こういう私の態度は、真剣に信仰している人をイライラさせると思う。
 
 だから、あまり触れないようにしたい。

2 英語圏の人々が読みたくなりそうな書き方(私の空想)

(1) 見出しは短くするのが標準のようだ。

 文章は単文の方がよさそうだが、では、見出しはどうかというと「短い」方がいいように思う。
 見出しが長文ということはないだろうが、特にそう思う。

 私が持っている数少ない英語で書かれた本の一つ『GREAT AGAIN』(DONARUD J.TRUMP)をみると(トランプ米大統領の第一次政権時に買った。なぜ買ったかと言うと、イヴァンカさんのカラー写真があったからである。バロン君もまだ小さかった(現在バロン君は2メートルを超えている。)。

 とにかく『GREAT AGAIN』の目次を見ると各章の名前がみな短い。

 最も長い章名が「3.Immigration:Good Walls Make Good Neighbores.」(移民:良い壁は良い隣人を作る。[私の訳である。])である。
 恐らく英語圏の人なら一目で理解できる文だろう。

 サンプルはこの本1冊なので、確定的なことを言えないとは思うが、まったく的外れだとは思わない。


(2) 文章は単文が多いようだ。

 最近は、テレビで放送される映画も、海外ドラマも吹き替えより字幕の方が圧倒的に多い。
 だから、言語でしゃべっているのを聴くことができる。
 台詞の全部を聞き取ることはできないが、たまに分かる箇所がある(なぜか字幕は日本語だけに限定されていることが多いので、あまり使わない。)ので、聞いていると台詞というより単語を喋っているということが意外に多い。

 映像を台詞を解釈すれば「すぐ分かりでしょ。」ということなのであろうが、「外国の人たちは、文章が短い方が好みなのかな。」と思うのである。
 音で聴くのと文字を読むのは違うのかもしれないが、当面は単文でいくことにしたい。

 なお、ラジオ番組『ジェットストリーム』の冒頭部分のナレーションは、日本語で語られているのに私はなかなか理解できない。主語と動詞の間にある修飾句が長すぎるのである。
 母語でさえこれである。
 そう考えると、単文の有用性を感じるのである。
 

(3) もちろん、差別的発言や侮辱的発言はしない。

 これは、当然であるが、気付かずにやってしまう場合がある。
 特に宗教や民族に関してデリケートな部分に平気で土足で入り込むということは有り得る。

 最近(2026年4月24日現在)のことだが、少し前にあるテレビ局の番組中でユダヤ人差別を疑われる発言があった。

 発言者本人は多くの人から嫌われているであろうコメンテーターであるし、放送局も著しく偏向報道をする企業であるので、彼らが今後どうなろうと気にならないが、不注意とか思慮不足で当該コメンテーターと似たような発言をしてしまう恐れはないわけではない。

 これは、心がけの問題であるが、もしやったら正直に謝罪しなければならないと思う。

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