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人類30万年の歴史と、戦後80年の「実験」。或いはローマ帝国の滅亡について

仏Le Monde紙が報じた「出生率1.56の衝撃」。本記事は完結編になります。第一話、第二話は、こちらからご覧ください。

私は普段、フランスと日本という二つの国の「境界線」に立ち、それぞれの社会を比較しながら眺めています。 しかし、今回のフランスの出生率低下(1.56)を巡る一連の思考を経て、私はふと、空間的な境界線を超えて、「時間(人類史)」という長い物差しの中で、現代を眺める必要性を強く感じました。

私たちホモ・サピエンスが地球上に誕生したのは約30万年前。そして約6万年前にアフリカを出て、世界中へ広がったと言われています 。 氷河期や飢餓、外敵との戦いを乗り越え、命を繋いできたこの途方もない時間の長さに比べれば、私たちが生きている「現代」など、瞬きするほどの一瞬に過ぎません。


戦後1945年からの「壮大な実験」

後世の歴史家は、20世紀後半から21世紀初頭にかけてのこの時代を、どう記録するでしょうか。 おそらく、「人類が初めて『種の保存』よりも『個人の自由』を優先させた、特異な実験期間」と記すはずです。

この転換点は、第二次世界大戦が終わった1945年以降、とりわけフランスにおいては1968年の五月革命(Mai 68)に求めることができます 。

「禁止することを禁止する」──。 あの熱狂の中で、旧来の権威(国家、教会、父権)は否定され、個人はあらゆる義務から解放されました性の解放、避妊の普及、そして「家」からの脱却 。 それは素晴らしい「人権の勝利」でしたが、同時に「次世代を残す」という、生物としての安全装置(義務)を解除した瞬間でもありました。


「自由主義」という名の原理主義

あれから半世紀強。私たちは今、「自由主義」という名の原理主義(カルト)の中にいます

かつての宗教的原理主義が「神のために個人を犠牲にする」ものだったとしたら、現代の私たちが陥っている自由原理主義は、「個(エゴ)のために種を犠牲にする」ものです。

30万年の間、私たちの祖先は「不自由」であっても「群れ」を維持してきました 。 しかし、戦後の私たちは、わずか数十年でその生存戦略を放棄し、「自分らしく生きる」という教義のために、自らの存在基盤である「次世代の再生産」を止めつつあります 。


ローマ帝国の滅亡と「自然淘汰」

歴史には冷徹な法則があります。それは「空白は必ず埋められる」ということです。

かつてローマ帝国の市民たちは、平和と豊かさの中で快楽を享受し、面倒な子育てや軍役を忌避しましたその結果生じた人口の「空白」に周辺の民族が入り込み、帝国は塗り替わりました

現代も同じです。 リベラルで男女平等の意識が高い層ほど子供を望まないのだとすれば 、その空白を埋めるのは誰か? それは必然的に、1968年の価値観転換を拒絶した人々、すなわち伝統的な宗教観や、強固な家族観を持つ人々になります。

これは「侵略」ではありません。ダーウィンの「自然淘汰」そのものです。

「自由を選んで産まない人々」は退場し、「不自由でも産む人々」が未来を継承する。 もっとも適応した者だけが生き残るという冷徹なルールが、静かに、しかし確実に実行されているのです。


結び:30万年の旅の果てに

ホモ・サピエンスの30万年の歴史において、戦後の80年など誤差のようなものです。 しかし、このわずかな期間に、私たちは自らの首を絞めるほどの「自由」を手にしてしまいました。

フランスと日本の境界線上で、私は今、ローマ帝国の黄昏にも似た、美しくも静かな「文明の秋」を感じています。 私たちが手にした自由は、人類を次のステージへ進める進化だったのか、それとも進化の袋小路(デッドエンド)だったのか。

その答えが出るのは、そう遠い未来ではないのかもしれません。

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