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アラン・トゥレーヌ —— 社会運動と主体の社会学

1968年、パリの街角。石畳の上にバリケードが築かれ、壁には「想像力に権力を!(L’imagination au pouvoir !)」の文字。学生と労働者が声をあげる中、映画監督ジャン=リュック・ゴダールまでもがデモや集会の現場に姿を見せ、若者たちと議論を交わしていました。芸術と現実の境界が揺らぎ、社会そのものが変化のうねりに飲み込まれていったのです。

この五月革命は、フランス社会を大きく揺さぶり、社会学者アラン・トゥレーヌにとっても決定的な契機となりました。彼はこの運動を「秩序の乱れ」ではなく、「社会を更新する兆し」として理解しました。

五月革命(Mai 1968)

社会運動は社会を変える力

トゥレーヌ(1925–2017)は、学生運動や労働争議をじかに観察しながら、社会運動は単なる抗議や騒乱ではなく、社会を内部から変えていくエネルギーだと主張しました。
社会が進歩するのは、秩序が揺さぶられるとき。完全な安定は停滞を意味する。こうした視点は、彼の社会学の出発点でした。


行為する主体に光を当てる

彼のキーワードは「行為する主体」。
社会は制度や構造だけでなく、人々が意味をつくり、行動することで動きます。ブルデューが「ハビトゥス」や「フィールド」で枠組みを強調したのに対し、トゥレーヌはその枠を突き崩す人間の力に注目しました。


ウェーバーとの共通点と違い

この姿勢はマックス・ウェーバー理解社会学を思い出させます。ウェーバーも、人々の「意味づけ」を理解することを社会学の出発点に据えました。トゥレーヌも同じく行為主体を重視する点でウェーバーを継承しています。

ただし違いもあります。ウェーバーが「社会をどう理解するか」という方法論にとどまったのに対し、トゥレーヌは「社会をどう変えるか」を理論化しました。彼の社会学は、分析を超えて、歴史を動かす主体の力を正面から捉えようとする試みだったのです。


ポスト産業社会を見抜く

トゥレーヌはまた、社会が「産業社会からポスト産業社会へ」移行していると考えました。労働と資本の対立に代わって、知識・文化・情報をめぐる新しい対立が社会を形づくる。フェミニズム、環境運動、少数者の権利運動は、その先駆けとみなされました。


なぜブルデューと並び称されるのか

トゥレーヌがフランス社会学でブルデューと並び称されるのは、両者が社会をまったく異なる角度から捉えたからです。
ブルデューが「ハビトゥス」や「フィールド」によって社会に埋め込まれた力=構造の再生産を描いたのに対し、トゥレーヌは「行為する主体」によって社会が変化する可能性を照らし出しました。

ブードンがブルデューの“論争相手”として社会学を鍛えたのだとすれば、トゥレーヌは“対照的なもう一つの道筋”を提示し、フランス社会学の多様性を決定づけた存在だったのです。


トゥレーヌをいま読む意味

いまの社会でも、市民運動SNSを通じたムーブメントが既存の秩序を揺さぶっています。トゥレーヌなら、それを混乱とは見ず、次の社会をつくるエネルギーとして理解するでしょう。

彼の社会学は、「社会をどう理解するか」だけでなく、「社会をどう変えるか」を問い続けています。その問いは、現代を生きる私たちにとっても決して古びていないのです。


コラム:アラン・トゥレーヌについて
アラン・トゥレーヌ(1925–2017)は、研究室の机に向かうだけの学者ではありませんでした。学生運動や労働争議の現場に入り込み、参加者と語り合い、ときに夜を徹して記録を取り続けました。彼が重視したのは、社会を内側から理解する 「参与観察(observation participante)」 の手法です。

穏やかな人柄ながら、根っこには「社会は変えられる」という確信を抱いていました。1968年の五月革命を目の当たりにしても、混乱を嘆くのではなく、そこに未来の可能性を読み取ったのです。社会をただ外から分析するのではなく、社会の中で人びととともに生き、その変化の力を信じる学者――それがトゥレーヌでした。



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