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第18話:混ぜる国、日本!🇯🇵

――陰キャ属性のギャルが、歴史から考える日本と外との距離感⑱

日本は、なぜ「混ぜる国」になったのか


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■蘭学という入口

江戸時代の日本は、
外の世界との接続を制限していた。

しかし、完全に閉じていたわけではない。

その“入口”となっていたのが、
オランダを通じて入ってきた知識、
すなわち蘭学である。

蘭学とは、
単なる外国の学問ではない。

それは、
外の世界を理解するための手段であり、
日本が世界とつながるための“窓”でもあった。

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■解体新書がもたらしたもの

解体新書 は、
その象徴ともいえる存在である。

オランダ語の解剖書をもとに翻訳されたこの書物は、
それまでの医学の常識を大きく揺るがした。

それまでの医療は、
体の内部を直接観察するものではなかった。

病の原因は、
「気の乱れ」や「体のバランス」といった、
目には見えない概念によって説明されていたのである。

つまりそこでは、
見えないものを前提に体を理解していた。

しかし解体新書によって、
実際に体を開き、内臓の位置や形を確認しながら、
構造として理解するという発想が入ってくる。

「どこが、どうなっているのか」を
自分の目で確かめるという態度。

それは、

見えないものを前提とする医学から、
見えるものを根拠とする医学への転換だった。

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■翻訳したのは日本人だった

しかし、この変化は
外から一方的にもたらされたものではない。

杉田玄白 たちは、
オランダ語の書物を読み解き、
自分たちの言葉で再構築した。

それは単なる翻訳ではない。

理解し、解釈し、
日本の中で意味を持つ形に変える作業だった。

つまり日本は、
知識をそのまま受け取ったのではなく、
自らの中で“作り直していた”のである。

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■シーボルトと「見られる日本」

さらに、
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト の存在も大きい。

彼は出島に滞在し、
西洋医学を日本人に直接教えた。

書物だけではなく、
実際の知識として学ぶ機会が生まれたのである。

しかし同時に、
彼は日本の情報をヨーロッパへ持ち帰った。

日本の情報は、
そのまま世界に伝わったわけではない。

シーボルトのような人物を通して、
ヨーロッパの言葉や価値観に合わせて整理され、
「理解できる形」に変換されて伝えられていった。

そこには、
実際の日本だけでなく、
外から見た日本という視点も含まれていた。

つまり日本は、
ただ学ぶ側であっただけでなく、
他者によって“解釈される存在”にもなっていたのである。

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■日本は「選んで混ぜた」

こうして日本は、
• 外から知識を取り入れ
• 自分たちで理解し直し
• 必要な形に変えていった

その結果生まれたのが、

東洋と西洋が混ざり合った独自の形である。

漢方医学は消えなかった。
しかし、西洋医学も取り入れられた。

どちらかを捨てるのではなく、
両方を選び、共存させたのである。

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■なぜ日本はそうしたのか

それは、
日本が「受け入れる国」ではなく、
「選ぶ国」だったからではないだろうか。

外から来たものをそのまま信じるのではなく、
自分たちの中で考え、取捨選択する。

その姿勢は、
江戸の時代からすでに存在していた。

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■今の私たちへ

現代の私たちは、
世界中の情報や文化に囲まれている。

だからこそ問われているのは、

何を受け入れ、
何を残すのか。

すべてを取り入れることでも、
すべてを拒むことでもない。

選び、混ぜ、自分の形にする。

江戸の日本がそうであったように、
今の私たちにもまた、

取捨選択する力が求められている


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