つぶやき発掘プロジェクト 1
みなさんお久しぶりです、走燐です。
最近、noteで「つぶやき」機能が終了してしまい
あまりの不便さに戦慄を覚える毎日です。
そこで
「私の過去のつぶやきを再掲しつつ、現在の視点でコメントをしていく」企画を、思い付きました
早速、やっていきたいと思います。
(「つぶやき」のように手軽に投稿出来る仕組みは
何らかの形で戻って来て欲しいと強く願います )
ターンAの楽曲は偉大
まずは、初期のつぶやきから、以下のシリーズ。
TPD理論の頭の中の賑やかさを
∀ガンダムの楽曲に当てはめてみるテスト。
レベル3:おしゃべりソシエ
レベル4:バーバリアン
イメージに合ったかな?
レベル5を想像させる曲もある。
「軍靴の記憶」
高い水準で調和の取れている様を表している。
3 : 36 〜 4:10 の間だけ本気出す。
人間、突き詰めていくと
何かしら共通する特徴が表れるものだ。
脳汁出るのにも理由がある。
仲間外れは可哀想なので。
TPD理論の頭の中の賑やかさを、∀ガンダム以外の楽曲に当てはめてみるテスト
レベル1 : シマエナガの歌
レベル2 : 魔理沙は大変なものを盗んでいきました
ぽいでしょ?
私は、音楽の素養も無ければ
芸術方面に触れても来なかった全くの素人ですが
人類の保有する、五感を含めた感覚は
人間から生まれた以上、その全てが互いに連絡し得るものだと考えています。
だから、優れた芸術には、言語や世代の壁を越えた感動を与える力が宿るのではないのか? と。
ターンAガンダムの楽曲は
音楽を担当された 菅野よう子氏の指揮の元
ワルシャワ交響楽団による フル・オーケストラの演奏なので
アニメのBGMとしては、過剰な品質を持った
クオリティの暴威を伴う楽曲となっています。
一例を挙げるなら
戦闘が起こる度に、このレベルの楽曲が毎度流れるので、臨場感が半端じゃないです↓
それでは、過去のつぶやきを見ていきましょう。
『積極的分離論(TPD理論)』における内面の様子を
「能力の多寡」「芸術性の有無」ではなく
“頭の中の賑やかさ” に焦点を絞って
ターンAガンダムの楽曲に当てはめていこう
という試みでしたね。
( レベル1〜2はターンA以外の楽曲 )
当時のつぶやきを元に、レベル1から
楽曲紹介とコメントをしていきたいと思います。
【注意:
「これらの楽曲が好きなら、あなたのレベルはそこである」という話では決してないですよ。
テーマやメッセージ性を考慮する必要もないです。
飽くまで、“頭の中の賑やかさ” を楽曲に当て嵌める試みであるので
楽曲自体の好き嫌いと、分離のレベルには何の関係もない事を明言しておきます 】
コメントレベル1〜2
レベル1:シマエナガの歌
朝のニュース番組「THE TIME」で、朝7時頃に流れる歌ですね。
コンフォートゾーンの産湯に浸かっている様子が良く現れていて
楽曲全体が “心地よさ” に満たされています。
ここに留まれる人達には、確かな幸せの形があるのだろうな、と想像できます。
レベル2:魔理沙は大変なものを盗んでいきました
随分と懐かしい曲が来ましたね‥
最近では、マクドナルドとコラボもしていたので
この曲を覚えている方も多いと思われます。
『積極的分離』レベル2における最も大きな特徴といえば、「異なる価値観との衝突」です。
これまで、(無意識に)自分の価値観に沿って生きてきた所に
“自分以外の価値観” が成立している様を初めて認識した瞬間の、精神に生じるダイナミクスは相当に大きなものです。
頭の中に、自分と同じ規模の思考形態が同時に2つ存在するような状態で
それらを交互に眺めて、個々の違いを比較・検証していく段階となります。
【補足:
「レベル2」というフレーズから、どこか軽めなイメージが生まれそうになりますが
積極的分離における精神の挙動を、レベルの数値から想起した定量のイメージで捉える事は危険です。
努力によって全ての人のレベルが変わる訳でも
レベルが高い方がより評価され 幸福度が上がる訳でもなく
分離のレベル毎の違いは
「そこに居られなかった人が、苦労してでも進んで行く次のステージ」
と捉えたほうが近いかもしれません 】
コンフォートゾーンに回帰する事無く
その状態と向き合っていこうとするなら
Lv.2相当の精神は、かなり忙しなく動いていて
高負荷の掛かっている状態となります。
その
“最初の大波に晒されて 必死に泳ぎ回っている様子”
が、一定の音域を高速で打ち鳴らすこの曲と
どこかマッチするような気がしたので、この選曲となりました。
コメントレベル3
異なる価値観を認知して 暫く観察していくと
「どっちが良い」という白黒思考から
「こういうのが良い」理想の軸が追加され
より混沌とした内面へと深化していきます。
比較によって研ぎ澄まされ
自身にとっての理想が浮き彫りになっていくと
“本質” の持つ美しさを 自覚する事になります。
レベル3:おしゃべりソシエ
木管と弦の軽妙な掛け合いが心地よい名曲ですね。
理想を得る事で、音の粒の美しさを知覚し始めて
広がった音域は 立体的な奥行きを齎してくれます。
しかし、美しさを知るという事は
鏡写しで、自らの姿を直視する事と同義です。
視界というものは、クリアになっていく程に
心地よい霧まで晴らしてしまうというジレンマを孕んでいます。
美しいモノを知り、それを曇りなく見続けようとするならば
それと同時に、塗炭の苦しみに 自ら足を踏み出していく覚悟が必要になるのです。
その覚悟が無いと
自らを 心地よい霧の中に誘い
「かつて美しかったモノ」が
自分の中で変質していく様子から
目を逸らして、生きていく事になります。
これは、芸術方面に限った話ではなく
Lv.3に至った多くの人には
世間の人達が包まれている「心地よい霧」が
「不自然なバイアス」に見えてしまう という
美しいモノを知ったが故の、価値観の変革が起こってしまう場合が多いのです。
一度美食を味わった者が生活水準を下げるのに苦労するように
Lv.3相当からコンフォートゾーンに回帰する際にもストレスコントロールには、かなりの努力を必要とします。
なので、Lv.3からLv.2以下へ回帰した人達の中には「寝た子を起こすな!」という気持ちから
高度な精神性を持つ人に対しての、ある種の排他的な意思が生まれる場合もあります。
美しいモノを知り
埃に塗れた己を直視して
その落差に神経を削られていく苦しみは
筆舌に尽くし難く
しかして、通り過ぎた後には
「あの頃の自分は、蛹のようであった」と
その苦しみの尊さを再認識するような
そんな経験、覚えがありませんか?
誰の人生にもある
一番苦しくて、でも一番大切だった時期
それと置き換えて考えたなら
レベル3相当の精神は、もう少し理解されやすいものになるのかもしれませんね。
コメントレベル4
美しいモノ(本質)を眺め続け
解像度の高い世界に 腰を据えて向き合うのなら
その世界に順応出来るよう
自分自身を 更新しなければなりません。
そもそも、1次統合(Lv.1相当)というもの自体が
共通規格による利便性と、コンディションの維持を重視した 統合の形態であるので
情報処理能力の著しく低い人類(という種)が
過不足なく世界に適応する為のチップセット的な意味合いを含んでいます。
そこを越えて、さらに多くの情報を取り扱う為の統合の形態を獲得するには
世界を俯瞰する高い視座 (視点のピント調節機能) と
自身を貫くテーマ性が必要となります。
“巨大な情報の渦” としての世界を正しく認識し
主体性を持って、情報の取捨選択を行う必要があるからです。
それを楽曲で示すなら、この曲が近いですかね。
レベル4:バーバリアン
次々と載せられていく複数のメロディラインから生まれる独特の浮遊感
そこに途中から現れる主旋律が、思いのままに振る舞い、時を経るたび全体が影響し合っていきます。
自我が更新されたばかりなので、未だ拙い部分も垣間見え
世界に対して “自分が働きかけて行く” という意識がまだまだ強い状態である事が伺えます。
実は、『世界』や『社会』といったものは、存外不連続なもので
「存在している “だけ” 」
「所属している “だけ” 」
「視界に入っている “だけ” 」
で、ほぼ自動的に 相互に影響を与え合っている側面があります。
自分から「関わって行こう」「このように振る舞おう」という意識は
積極的なように見えて、自他の境界に見えない壁が存在しています。
「壁があるなら、無くしてしまえ!」といった乱暴な発想では勿論なく
不連続に影響し合っている “ナマモノ” としての世界と主体的に関わる事で
『調和』とは どういったものであるかを学んでいく
その過程が
『積極的分離』Lv.4の本筋なのではないか?
と、今の私は想像しています。
コメントレベル5
レベル5:軍靴の記憶
十分な『調和』の取れた「人格」と「世界」からは
障壁が取り払われ、まるで一つの存在であるかのような自然な関係性が存在しています。
人類の歩みを形にしたような
人々を見守る大地の姿を表したかのような
そんな、雄大なる郷愁を湛えた行進曲。
この曲には、相補性のある人間と世界の関係が凝縮されているように感じます。
『積極的分離』Lv.5 へ到達した人格を
アニメのキャラクターから探すのであれば
私に思い当たるのは
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』碇 シンジ と
『∀ガンダム』ロラン・セアック
の2人ですね。
自分の選択によって、世界の崩壊が加速した事実を受け止めきれずに、更なる惨劇を誘発する事になり
打ちのめされて人格を崩壊させていたシンジ君でしたが
あるタイミングから、人が変わったかのように
父親との対決を通して、自分自身と世界の因縁に決着を付けようとします。
私はこれを
庵野監督自身が、人格成長の粋として
(たとえその名を知らなくとも)
二次統合を果たした人の姿を表現しようとした結果ではないのかな? ‥と、勝手に解釈しています。
ロラン・セアックは
ビシニティで祀られていたホワイトドールからモビルスーツ (∀ガンダム) が出土したことで
地球人とムーンレィス (月面居住者) の争いに深く関わっていく事になります。
地球戦力の旗頭を操って、同胞と戦うことになるのですが
内心ではどちらの勢力にも帰属意識を強く持たず
双方の被害を最小限に抑えて 戦争を早期集結に導く為に、自分自身の判断でバランスを取って行動していくような、肝の据わった一面を見せます。
それが最も顕著に見られるのが
核弾頭を手にした時の振る舞いです。
核爆発を見て、戦争する気が失せた敵の士官から
己の上司に渡す訳にはいかないからと、核弾頭を2発譲り受けます。
ロランはその扱いに悩み
地中に埋めることも海に投棄する事もせず
「宇宙へ持って行って捨てる」事を選択します。
そこから、友軍には核弾頭所持の事実を隠し通し
マスドライバーから宇宙へ上がり
月のアステロイドコロニーが月面都市に激突するという危機が迫った時に
ロランは核弾頭の使用に踏み切ります。
(位置的に核廃棄可能なギリギリのエリアでした)
彼の一連の振る舞いは
『積極的分離』Lv.5 到達者そのもののように映りますが
私個人の印象を述べるならば
ロラン自身は、素養はあれど未だLv.5には至っておらず、ホワイトドールという影響力の大きすぎる存在を操る立場上
機械にドーピングされるような形で
一時的にLv.が引き上げられ、バランス思考で世界を俯瞰して見ていたように思えます。
事実、終盤 ターンAが敵の手に渡っていた時には
彼の性質は朴訥な田舎の少年に戻っていました。
『機動戦士ガンダム』シリーズでは
人類が宇宙に適応して、新たな感覚や能力が開けた人達の事を「ニュータイプ」と呼んでいます。
そういった
可能性を担保に一足飛びな進化を見せる
「ニュータイプ」も刺激的でカッコ良いのですが
地に足つけて成長して
人類が進むべき健全な精神を体現している
ロラン・セアックのような若者の姿も
私にとっては、とても魅力的に映るのです。
あとがき
今回は、私の過去のつぶやきを通して
『積極的分離』の道筋を
敢えて違った文脈で表現してみました。
扱った “本質” は特に変わりないので
他のクリエイター様が表現された
『積極的分離』の概念とは、あんまり喧嘩しない構造だったと思うのですが、どうでしょうか?
今回、コメントを考えていて思った事があります。
「私、言葉足りなすぎない?!」
いくら何でも、曲だけ示して「ドヤァ‥」とか
ないわー·· 。
ちなみに
『積極的分離』Lv.5 到達者の人格については
私の想像を多分に含んでおりますよ
私自身、そこに到達した自覚がないものでね
一度、Lv.5到達を明確に自覚しておられる方から
その辺のお話を聞かせて頂きたいものです。
今回は、ここまで
読んで頂き、ありがとうございます。
