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100話チャレンジ 40話:アドルフの初恋⑤

 アドルフは絶望の淵に立たされていた。
 シュテファニーに出会ってからというものの、彼は何のアクションも起こせていない。親友クビツェクに近況を探らせてはいるものの、実際的な行動には至っていない。
 それだけでもアドルフは心を蝕まれているというのに、シュテファニーはここ最近アドルフを無視するようになったのである。明らかに目を合わせないようにしている。アドルフにとって、あらゆる絵画にも表現されていない生きる芸術が、まるで自分の存在を否定するかのように目の前を通り過ぎるのである。

 それは死を意味した。

 自分の手足が他人の物のように感じられ、感覚は失われていく。何も手につかず、あんぐりと空いた口は奈落の底よりも深い闇を生み出していた。
 シュテファニーからすれば得たいの知れない男がただ自分のことを見つめてくるだけで何もしてこないという不気味な状態であるため、無視をするのは当然といえば当然なのだが、アドルフにはそれが分からない。自らの情熱に耳を傾け、徹底的に常識を排除してきた弊害である。
 彼の脳には、自分の声しか届かない。それは、恋い焦がれるシュテファニーの心でさえ断絶してしまうのである。いや、恋い焦がれるからこそ、遠ざけようとしてしまうのかもしれない。

 ある日、アドルフはクビツェクを家に呼び、部屋に入らせた。自室のベッドに腰掛け、クビツェクには椅子を用意した。アドルフは何度か口を開いては閉じ、絞り出すように言った。

「、、、どうすればいい?」

 クビツェクは思わず言葉を失った。
 アドルフが人に頼るなぞ有り得なかったからだ。決して他人の意を介さず、自らの信念に没頭する彼はアドバイスを聞くという選択肢が無い。
 彼自身、それが誇りだった。誰の意見にも頼らず、自分が真実と決定づけたものだけで生きる。どんな相手が立ちはだかろうとも、家族から反対されようとも、自らの意志で人生を生きていることに誇りを持っていた。シュテファニーのことも、彼が真実とするものを重視すれば上手くいくと信じていた。
 だが、アドルフは知らなかった。自分の世界は語ることによってしか他人に伝えられないということを。

 会いたいのである。
 触れたいのである。
 振り向いて欲しいのである。

 思考をどれだけ反芻させてもその思考は相手に届かない。その現実をまざまざと突きつけられた今、彼のプライドも生きる意志も、ズタズタに砕かれたのである。立って歩くことさえ困難な苦しみに苛まれ、あらゆる感情が絶望に収斂していく。

 消えてしまいたい。
 それでも、恋い焦がれている。

 全身が崩れ落ちてしまいそうなほどの絶望感に必死で抗って言葉を繰り出した。

「クビツェク、僕はどうすればいい?」
 クビツェクは真っ直ぐ目を見て答えた。
「君は嫌がるだろうけど、君はダンスを踊るべきだ。少しでも、シュテファニーに近づけるようにするべきだよ。」

 アドルフは顔を歪めて震えだした。子供が大好きな玩具を取り上げられた時のように、情けなく、懇願するように、怒りだした。

「そ、それは!そんな低俗な行為はシュテファニーがやりたいと思っているわけでないだろう!彼女のその苦境から僕が救ってやらねばならんのだ!」
「いいや、アドルフ。例えそうだとしても、彼女は今踊っている。君が救うためにも、まずは一緒に踊らなければならないんじゃないか?」
「そんなこと出来るわけあるか!」

 アドルフは頭をかきむしり始めた。クビツェクの正論に、抗う論理を見つけられないのである。身体は悲鳴を上げ、呻き声が漏れ始めた。
 腹の底からドス黒い吐瀉物を吐き出すように、アドルフは言った。

「それだけはできない」

 小さく震えるその声に、クビツェクはかける言葉を失った。ただ、肩にそっと手を置いて、哀れみの視線を注ぐ以上のことはできなかった。 

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