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EP22:言いなりの花職人にはなりたくない、と気づいた日|ゴッホ展

先日、ゴッホ展に行ってきた。
行こうと思ったきっかけは、決して美術や芸術に興味があったからではない。お気に入りのポッドキャストで紹介されており、気になったという単純なものだった。

初期のオランダ時代〜パリ〜南仏アルルに至る前半生に焦点を当てられた今回の展示。目玉はなんと言っても、「夜のカフェテラス」。

作品に対面したとき、その美しさに驚いた。なんだか眩しく輝いて見え、しばらくずっと眺めていた。本物が忠実に再現され整っているわけでもないし、むしろ少し揺れているようにも見えるのに、なぜか目を離せなかった。

写真撮影OKだったので、スマホで撮影してみたのだけれど、後から見返してもどこか物足りない。写真では伝わらないな、あの本物の作品の輝きや筆跡は。本物に触れるって大事だな。


これまでは、「きれいなもの」「整っているもの」こそが良い作品だと思っていた。多くの人に認められるもの。万人から称賛されるもの。
そういうものが、価値だと思っていた。

そんな中で最近読んだのが、『13歳からのアート思考』という本だった。アートとは、「表現の花」ではなく、「興味のタネ」から始まり、「探究の根」を張っていくものだという。

きれいかどうかではない。自分の中にある興味や違和感からスタートすること。そしてそこから、自分なりの答えを生み出していくこと。

正直、そのときはまだ、どこか腑に落ちていなかった。でも、ゴッホの作品を目の前にしたとき、その意味が少しだけ分かった気がした。あの絵は、「整っている」から美しいわけじゃない。むしろ、荒くて、感情がそのまま乗っていて、だからこそ、こんなにも強く惹きつけられる。

気づいたのは、「美しさ」だけを追い求めていた自分は、どこか“言われた通りに花をつくる人”になっていたということだった。いわば、「花職人」。決められた形の中で、きれいに整えることばかりを考えていた。

でも、本当に大事なのはそこじゃない。自分の中にある「興味のタネ」に気づき、そこから「探究の根」を伸ばしていくこと。そしてその先に、自分なりの「表現の花」が咲く。

ふと、好きな曲の歌詞を思い出した。
No.1にならなくてもいい。
もともと特別なOnly one。


どこかで分かっていたはずなのに、いつの間にか、“きれいに咲くこと”ばかりを目指していた気がする。でも本当は、誰かに評価されるための花じゃなくていい。自分の中にある「タネ」から、自分なりの花を咲かせていけばいい。

花は単なる結果でしかない。
本当に大事なのは、その手前にあるものだ。
・興味や好奇心、そして疑問を持つこと。
・自分なりのものの見方で、世界を捉えること。
・そして、そこから生まれた問いを、自分なりに探求し続けること。

これまでの自分は、花の“形”ばかりを気にしていた。でもこれからは、その根っこに、ちゃんと向き合いたい。

じゃあ、自分はこれからどうするのか。
まずは、感じたことをそのまま書くこと。うまくまとめようとするのではなく、「なんでそう感じたのか」を、自分なりに掘り下げる。

そして、日常の中で生まれた違和感を、見逃さないこと。すぐに答えを出さなくてもいい。そのまま持ち続けて、考え続けてみる。誰かに評価されるためじゃなく、自分の中にあるタネに、水をあげるために。

そして、何かを感じるためには、やっぱり行動することが必要なんだと思う。
実際に足を運んでみること。
自分の目で見て、空気を感じること。

たくさん動いた分だけ、その中で出会う人や景色や出来事が増えて、感じることも自然と増えていく。

そして、その感じたことを言葉にして、自分なりに掘り下げていく。その積み重ねが、自分なりの「ものの見方」になっていくんだと思う。


だから、いろんな経験をしてみたいと思うし、自分の知らない土地に行きたくなる。異文化に触れてみたいと思うのも、やったことない事にもトライしてみたくなるのも、きっと同じ理由なんだと思う。

知らなかった世界と出会うたびに、これまでの自分にはなかった感情が生まれる。その一つひとつを、ちゃんと拾って、自分の中で確かめていく。そうやって少しずつ、自分なりの世界の見方ができていく。 

正直、自分でも少し驚いた。

ゴッホの絵を見て感じたことと、
本で学んだこと、
そして自分が旅に惹かれる理由が、
どこかでつながった気がした。

これまでバラバラだったものが、一本の線になったような感覚だった。

自分は、もともと「いろんなことに興味を持ってしまう性質」なんだと思っていたけれど、それはただの性格じゃなくて、何か一貫性がありそうだ。

それが今の自分なりの“ものの見方”なのかもしれない。

そう思った。


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