生八ツ橋 聖護院八ツ橋総本店 京都市左京区 和菓子なスクチャイ201 2026.01.06
和菓子なスクチャイ201 京都府 > 京都市左京区
※くまの身長は7.5cm。大きさの参考に。
生八ツ橋 聖護院八ツ橋総本店 京都市左京区


1.もはやめずらしくない「生八ツ橋」
もはや全国どこでも買えて珍しくない有名な京都のお菓子「生八ツ橋」は、それでも見かけると吾輩はつい買ってしまうのだ。
なおこの商品は大丸京都店地下の聖護院八ツ橋売り場で税込756円で購入した。
2.もともとは煎餅
もともと八ツ橋はニッキの香りがする固い煎餅で、子供の時に食べたそれは苦手で、以来避けるようになっていた。
調べてみると、歴史的には、
1.堅焼き八ツ橋:江戸時代から続く伝統
2.生八ツ橋(あんなし):1960年に製品化
3.あん入り生八ツ橋:その後、1960年代後半から登場
の順番で、生八ツ橋自体は60年以上前からあったのだ。
子供の頃の吾輩の家や友人知人宅では、八ツ橋と言えば固い煎餅を出されたので、当時はそれしかないと思い苦手なお菓子だったのだ。
3.餡なし生八ッ橋との出会い
その後中学生くらいから自分一人で京都に観光に行くようになり、生のペロンとした生地だけの、餡なし生八ツ橋を見つけて買って食べて狂喜したのだった。
値段も餡入りに比べて安く、日持ちもするので多めに買っても心配がなかった。
4.大好き和菓子3点セット
同じ頃、吾輩は京都で「すはまだんご」を見つけてこれまた気に入り、以来、大人になった今に至るまで「すはまだんご」は見かけたら買う大好きな和菓子の筆頭となっている。
そして帰りに天王寺駅で幼少時から長年親しんでいる「赤福餅」を買うのだった。
これら3点セット、「生八ツ橋」「すはまだんご」「赤福餅」が吾輩の人生における三大和菓子というわけで、今までの最もたくさんたべている和菓子ということになるのだ。
5.食べる




言わずもがな、はんなり、しんなり、ペロリンとした形態でニッキ香る生八ツ橋は、舌に載せると冷んやりした感覚があり、いつ食べても裏切らない予測済みの味で、そこには吾輩の人生さえ詰まっているのであった。
未成年の頃の青い吾輩は、あの時の嵯峨野を歩いてあんなことがあったな〜、あの時は街中の美味しい店に入ったっけ、あの時は京都〜大原三千院〜♪って口ずさみながら歩いたっけ、などなどの思い出が湧き上がるのだった。
このように「生八ツ橋」はもはや美味しいだけでなく、吾輩にとっては涙ちょちょ切れの走馬灯なのだ。
6.聖護院
京都の聖護院(しょうごいん)は修験道(山伏)の総本山としての顔と、京都を代表する銘菓「八ッ橋」発祥の地としての顔を持つ、歴史深いエリアだ。
6.1.聖護院の歴史
皇室とも縁深い「門跡寺院」は1090年(寛治4年)に建立された本山修験宗の総本山だ。
代々、皇室や摂関家が住職を務める「門跡(もんぜき)寺院」として非常に高い格式を誇っている。
江戸時代、天明の大火で御所が焼失した際、光格天皇がここを仮の住まいとしたことから「聖護院旧仮皇居」としても知られている。
今でも山伏たちが修行に出る際の拠点となっており、歴史の重みを感じさせる静謐な空気が漂っている。
6.2.「八ッ橋」の誕生と名前の由来
「八ッ橋」の歴史は江戸時代初期にまで遡る。
八橋検校(やつはし けんぎょう)
江戸時代の音楽家で「箏曲(そうきょく)の父」と呼ばれる人物だ。
彼が亡くなった後、彼を偲んでお琴の形を模して作られたのが「八ッ橋」の始まりと言われている。
もう一つの説(伊勢物語)
『伊勢物語』の「三河国八橋」のエピソードにちなみ、橋の板の形を模したという説もある。
6.3.聖護院と八ッ橋の関係
聖護院の参道で参拝客向けに売り出されたことがきっかけで広まり、現在では「聖護院八ッ橋総本店」などの老舗がその伝統を継承している。
聖護院八ツ橋総本店は1689年(元禄2年)に現在の本店の場所にあたる聖護院の森の茶屋で販売を始めた。
7.「生八ッ橋」のブームと特徴
もともと八ッ橋といえば、薄く焼いた「堅焼き」が主流だったが、現代では「生八ッ橋」の方が馴染み深いかもしれない。
焼く前の生地をそのまま食べた時の「もちもち感」が評判となり、1960年代(昭和30年代)頃から爆発的に普及した。
八ッ橋を象徴する香りはニッキだ。
これには防腐効果があり、旅のお土産として重宝された理由でもある。
その後、生地の間に「つぶあん」を挟んだタイプが登場したことで京都土産の不動の1位となった。
8.今いくよくるよの「おたべ」
吾輩が大好きだった京都出身漫才コンビの故今いくよくるよのご両人が漫才ネタで、太っている方のくるよちゃんがおたべ人形に似ているという設定があった。
京都に行くと、どこかしこに太った和服の人形がいて、座布団に座ってお辞儀をしていた。その人間が今くるよちゃんにそっくりだったのだ。
そういうこともあって「おたべ」が京都土産の筆頭になっていて、吾輩も当時は自分で買って食べたり、人からもらったり、あるいは人への土産にしたりしていた頃があった。
その「おたべ」は餡入り生八ツ橋なのだが、聖護院の八ツ橋総本店の餡入り生八ツ橋でも本家西尾八ッ橋本店の餡入り生八ツ橋でもない、別会社「株式会社美十(びじゅう)」の生八ツ橋で「おたべ」という商品名なのだ。会社の場所も聖護院とは関係のない場所にある。
8.「おたべ」と「聖護院」の関係
「おたべ」と「聖護院」の関係を一言で言うと、「生八ツ橋を日本中に広めた功労者」と「八ツ橋の伝統を守る老舗」という関係だ。
8.1.「あん入り」の元祖はおたべ
聖護院が「あんなし」の生八ツ橋を1960年で、その6年後の1966年(昭和41年)に株式会社美十(当時の社名は株式会社大阪屋)が、つぶあんを生八ツ橋で包んだ「おたべ」を発売した。
三角形の「あん入り生八ツ橋」を最初に考案して売り出したのは「おたべ」なのだ。
京都には多くの八ツ橋屋があるが「おたべ」という名前が全国的に定着したのは、そのネーミングとマーケティングの力だ。
それまでの「あん入り生八ツ橋」という長い名前ではなく、舞妓さんが「おたべ(食べてください)」と言っているような愛らしい名前を付けたことで、修学旅行生などに爆発的に浸透した。
8.2.聖護院の対抗
「おたべ」が大ヒットしたことを受け、聖護院八ッ橋総本店などの既存の老舗も「あん入り」の製造を開始した。
聖護院のあん入り商品は「聖(ひじり)」という名前で親しまれている。
こういう経緯で、吾輩も両方のメーカーのものを食べていてどちらも美味しくて好きなのは事実だが、しかし、吾輩はこれまで餡なしの生八ツ橋が一番好きなので、「おたべ」にしろ「聖」にしろ人からご馳走になるならともかく自分が食べるためには餡なししか買わないのだ。
9.聖護院エリアの「八ッ橋」
聖護院には「八ッ橋」の看板を掲げる老舗が複数あり、それぞれが歴史を誇っている。
9.1.聖護院八ッ橋総本店
1689年創業。格式を重んじ、昔ながらの製法を守りつつ、新しいフレーバー(nikinikiなど)の展開にも積極的だ。
9.2.本家西尾八ッ橋
創業1689年。日本最古の和菓子屋の一つと自負しており、バリエーション豊かな生八ッ橋で知られている。
各社で生地の厚み、あんこの甘さ、ニッキの強さが微妙に異なるので、自分好みの「八ッ橋」を見つけるのが京都通の楽しみ方かもしれない。
9.3.聖護院門跡の周辺の出来立て生八ツ橋
聖護院門跡の周辺に点在する八ッ橋屋さんの直売所では、その場で食べるための出来たて生八ッ橋を売っている。
お土産用よりもさらに柔らかく「餅としての瑞々しさ」が全く違う。
ぜひお茶と一緒にその場で味わいたいものだ。
(おわり)
