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~解体韻書~ Vol.26 環ROY「フルコトブミ」

 2017年リリースのアルバム『なぎ』から「フルコトブミ」です。

 プロデュースはAru-2、最高のスルメ曲。スルメ噛みすぎてホロホロになってますが、まだ美味しい。いつまで味するんだこの曲は。

 PVを見ると環ROYの佇まいも不思議です。ゴリゴリのHIPHOPというよりは、アート寄りに感じますね。逆に普段HIPHOPを聞いてない人からするととっつき易いのかもしれません。

韻 

 これみよがしに踏んでいる印象の韻はなく、無理のない脚韻を1〜3文字で、そっと添えるように踏んでいきます

 脚韻以外の部分で同じ母音になっている部分も出てきますが(「-ふた(り)」、「幾つ-理由」、「増えつ(づけ)-触れる」etc)、これは韻を意識したというよりは、偶然かもしれません。

  ところで、この曲は名詞同士で踏んでいる韻が1箇所(太陽-街灯)しかありません。

 日本語で韻を踏む基礎を作った作品といえば、キングギドラが1995年にリリースした『空からの力』です。倒置法や体言止めにより名詞を語尾に持ってくることで、韻を踏む技術を明確に提示しました。

 その技術に則れば、名詞を使うことで簡単に韻を踏めそうですが、この曲ではその名詞同士の韻の不在が意味を持ってきます。

 下記のインタビューで環ROYは、日本語の持つ曖昧さ大事にしたいと語っています(同時に洋楽っぽさも大切にしたいと言っています)。インタビューは長いので、該当箇所を引用します。

(環ROY)日本語のラップって、余白が狭かったり意味が一義的で、抽象度が低い表現なんだろうって考えると、和製漢語を無自覚に多用しちゃってるからだと思ったんです。

(インタビュアー)和製漢語は明治期以降に多く作られた比較的新しい日本語のことですよね。

(環ROY)はい。二文字の熟語、たとえば、時間、空間、主観、客観、精神、みたいな、こういうのを和製漢語っていいます。明治期以降、それまでなかった言葉や概念が日本に入ってきたとき、その概念を翻訳しなくちゃいけないってことで、かわりになる漢字をあてて作ったらしくて。それって、あらかじめ機能が想定された言葉だなと思ったんです。もっというと、合理的で余白のない言葉。たとえば、「駅に移動」と「駅にいく」だと同じ意味ではあるけど、前者のほうが硬い印象で、とにかく駅まで事務的に一直線で向かうんだなって感じがしますよね。でも後者だと、駅までの途中で、コーヒー買ったり、犬とすれ違ったりするかもしれない。

(インタビュアー)たしかに、前者は意味の輪郭がはっきりしていますね。論文などに使われる印象です。曖昧さを排除して的確に伝えられる利便性があります。

ー中略ー

(環ROY)日本語は、言葉にした領域以外にもたくさんの情報があって、曖昧な表現を共有し合う特性があるのに、和製漢語はそういった特性とは逆の機能を目的として作られている。ヨーロッパからきた概念を翻訳して曖昧さを排除しようとしたからだと思うんです。そういう視点で考えると和製漢語は、僕が思う広い余白や、多層的な意味を持った歌詞表現にはむかないと思ったんです。

太字は筆者による

 この曲のタイトルは「フルコトブミ」ですが、これは日本最古の書「古事記」のことです。上掲のインタビューで話していますが、この曲は「イザナミが黄泉の国に留まって、イザナギが地上で穢れを落とすってところまでを描こう」とした曲だそうです。

 私も古事記の詳しい話が分からないので、本当に中身がそうなのか分かりませんが、この曲の歌詞の曖昧さの理由は分かる気がします。

 しかし、この曖昧さは、曖昧で分からないものではなく、曖昧だからこそ分かる気がします。つまり、これ以上具体的にすると破綻してしまう表現なのだと思います。

 冒頭でスルメ曲と言いましたが、その曖昧さ抽象さゆえに、何度も聴いてしまうのでしょう。

まとめ

 名詞の韻は踏みやすいが、それゆえに失われる詩情もある。


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