基礎年金のCR化構想 - その裏側 -(3)
第3回
なぜ「全額税方式」という理想を捨てたのか
基礎年金をCR化し、社会保障の土台を再編する。 その際、理論上最も美しく、かつ明快な解決策は「全額税方式」への移行である。 保険料という概念を完全に廃止し、老後の最低限の生活をすべて消費税、すなわちCR給付で賄う。これならば未納問題は文字通り「消滅」し、制度はこれ以上ないほどシンプルになる。
事実、諸外国を見渡せば、最低保障年金を税方式で運用している国は少なくない。CR(消費税再分配給付)の仕組みを最大限に活かすのであれば、この「全額税方式」こそが論理的帰結であるはずだ。

しかし、私はこの道を採らなかった。 CR給付という強力な武器を手にしながら、なおも「個人別年金(保険料方式)」を半分残すという二層構造を選択した。 なぜ、究極のシンプルさを捨て、二層構造という「複雑さ」をあえて残したのか。 そこには、日本の社会保障が抱える「信頼」があった。

理想を拒む「負担の感覚」
制度設計において、論理的な正しさがそのまま国民の納得感に繋がるとは限らない。 もし全額税方式に舵を切れば、これまで何十年と保険料を納めてきた人々はどう感じるか。 「自分たちが払ってきた努力は何だったのか」 「結局、一銭も払っていない人と扱いが同じになるのか」 という、強烈な不公平感と制度への不信を招くリスクがある。
年金制度に対する日本人の感覚は、単なる「税」への期待ではない。 「自分が負担した分が、何らかの形で自分に返ってくる」という、一種の貯蓄的・保険的な納得感に根ざしている。 この感覚を無視して「今日からすべて税で面倒を見ます」と宣言することは、制度の連続性を断ち切り、国民の心理的な防衛線を崩壊させかねない。

私が「個人別年金」という形を残した最大の理由は、この「払った分が反映される」という透明な手応えを維持するためである。
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
