自己分析するな。ハロワでGATBを受けろ――「本当の自分」ではなく適性から始めるキャリア論

All eyes on リアルなキャリア論

自己分析するな。

「本当の自分」を探すな。「やりたいこと」を深掘りするな。MBTIで向いている仕事を探すな。キャリアコーチに、自分でもよく分かっていない内面を、きれいな言葉に翻訳してもらうな。

少なくとも、そこから始めるな。

以前の記事『スピ論』で、ぼくは「スピる」という言葉を扱った。

ここで詳しい定義を繰り返すことはしないが、要するに、現実の制度、身体、責任、因果から離れて、抽象的で大きな意味や理念に逃げることを指している。キャリア論は、この意味で非常にスピりやすい

キャリア領域では、それが「本当の自分」「やりたいこと」「自分らしい働き方」「強み」「人間力」「適職診断」といった言葉で現れる。

もちろん、自分について考えること自体が悪いわけではない。問題は、自分を考えると言いながら、能力、興味、価値観、生活条件、職業世界、労働市場を全部混ぜてしまうことである。

「自分は何がしたいのか」と問う前に、「自分は何ができるのか」を見るべきだ。

「向いている仕事」を語る前に、どの能力が高く、どの能力が低く、どの種類の作業に耐えられて、どの種類の作業で消耗するのかを見るべきだ。

そのために、まずハローワークに行って、GATBとキャリア・インサイトを受ければよい

まず前提を分ける。働けるのか、働けないのか

いきなり職業適性の話に入る前に、前提を分けておく。

日本国憲法には、勤労の権利と義務が定められている。働くことは、単なる自己実現ではない。社会参加の基本形式でもある。

だが、すべての人が健康に働けるわけではない。

働く意欲がない。働こうとしても心身がついてこない。生活や就労が明らかに苦しい。そういう状態が続いているなら、キャリア論の前に、まず医療や福祉につながるべきである。

精神科や心療内科で診てもらう。必要なら心理検査を受ける。支援制度につながる。そこで認知機能の問題が疑われるなら、WAISなどの知能検査が出てくる。

つまり、問いが違う。

「なぜ生活や就労がここまで苦しいのか」を考える場面と、「社会でどう働くか」を考える場面は違う。

この記事が扱うのは、後者である。

働く意欲がある。働く必要もある。だが、何に向いているのか分からない。自己分析をしても、自分探しをしても、MBTIを見ても、結局よく分からない。

そういう人間のための話である。

GATBとは何か

GATBとは、厚生労働省編一般職業適性検査、General Aptitude Test Battery のことである。

ざっくり言えば、職業適性を見るための検査である。より正確に言えば、職業に関わる複数の能力を測り、その人の能力の特徴を把握するための検査である。

JILPT、つまり労働政策研究・研修機構の説明では、GATBは9つの適性能を測る最大能力検査とされている。対象は中学生から成人45歳程度とされ、制限時間内にできるだけ早く正確に回答する形で実施される。

ここで重要なのは、GATBが職業適性を総合的に見るという点である。

GATBは、知的能力だけを見るものではない。知的能力、言語能力、数理能力、書記的知覚、空間判断力、形態知覚、運動共応、指先の器用さ、手腕の器用さといった、複数の適性能を見る。

つまり、「頭がいいか悪いか」だけではなく、「どの種類の処理に向いているか」を見る検査である。

これは大きい。

キャリア論は、放っておくとすぐに「やりたいこと」へ流れる。しかし、職業とは、やりたいことだけで成立するものではない。仕事には作業がある。処理がある。速度がある。正確さがある。反復がある。道具がある。身体がある。書類がある。空間がある。図面がある。数字がある。人間関係がある。責任がある。

だから、職業適性を見るなら、内面の物語だけでは足りない。

「私は人と関わる仕事が向いていると思います」
「私は創造的な仕事がしたいです」
「私は自分らしく働きたいです」

そういう言葉は、気持ちはよい。しかし、それだけでは配置に使えない。

GATBが見るのは、もっと冷たいものである。どの能力が相対的に高いか。どの処理が速いか。どの作業で詰まりそうか。どの方向に職業適性の手がかりがありそうか。

ただし、ここで逆方向にスピってはいけない。

GATBは神託ではない。GATBの結果を見れば「あなたの天職」が分かるわけではない。検査結果は、人生の宣告ではない。能力の凹凸を示す補助線である。

せいぜい、自分の能力配分を示すラフなスペック表である。

だが、自己分析ポエムよりは、その方がはるかに役に立つ。

GATBは知能を測らないのか。測る。

ここで、知能の話を避けてはいけない。

GATBは知的能力も測る。GATBにはG、つまり知的能力の項目がある。だから、「GATBはIQとは関係ありません」という言い方は違う。

それは嘘である。

働くうえで必要な知的能力は、GATBでも見る。職業選択の文脈において、GATBのGは、ある意味ではIQテストの代替的な役割を果たす部分がある。

ただし、それはWAISなどの知能検査と同じものではない。

WAISは、より詳細な認知特性を見るための心理検査である。医療、福祉、発達特性、認知機能、生活上の困難といった文脈で使われる。そこで見るのは、全般的知能と、より細かい認知プロフィールである。

一方、GATBのGは、職業適性検査の中に組み込まれた知的能力指標である。GATBの価値は、知的能力だけでなく、言語、数理、書記、空間、形態、運動共応、指先、手腕といった他の適性能と並べて見られる点にある。

つまり、知能を見ないのではない。

知能だけを見ないのである。

ここが重要である。

知能万能説に逃げる必要はない。だが、知能を見ないふりをする必要もない。知的能力は重要である。一般知能が学業や職業遂行に関わることは否定できない。

しかし、職業人生は知能だけで決まらない。

高い知的能力があっても、書記的知覚が低ければ、事務処理で消耗するかもしれない。言語能力が高くても、数理処理が弱ければ、数字を扱う仕事で詰まるかもしれない。空間判断力や形態知覚が高くても、それを使う進路に接続されなければ、偏差値競争の中で自分の強みを見失うかもしれない。

キャリア論に必要なのは、「自分は頭がいいのか悪いのか」という雑な問いではない。

どの能力が、どの仕事に、どう接続するのか。

その問いである。

子どものころのIQにしがみつくな

知能の話をすると、子どものころのIQの話になる人がいる。

子どものころWISCで高い数字が出た。学校で地頭がいいと言われた。模試で上位だった。自分は本当はもっとできるはずだった。そういう話は、分からなくはない。

だが、大人になってまで子どものころのWISCを誇示するのは、かなりダサい。

WISCは児童用の知能検査である。子どものころの認知能力を把握する意味はある。支援や教育上の配慮を考えるうえで重要な場合もある。

しかし、成人後の職業選択において、「子どものころIQが高かった」は、ほとんど何の戦略にもならない。

子どものころの知能検査には変数が多い。年齢、発達段階、家庭環境、学習経験、検査時の状態、検査者との相性。そこで出た数字を、成人後の職業人生の中心に置くのは無理がある。

問題は、いま、どう働くかである。

だからこそ、中学卒業前後、高校以降、あるいは成人後に、職業適性として改めて見る意味がある。

昔の自分がどう測られたかではない。

いまの自分が、どの能力を使って、どの職業世界に接続できるかである。

キャリア・インサイトとは何か

GATBは能力を見る。

しかし、能力だけでは仕事は決まらない。

できるが、やりたくない仕事がある。やりたいが、できない仕事がある。興味はあるが、市場が小さい仕事がある。価値観には合うが、生活条件に合わない働き方がある。能力は足りているが、その職場文化に耐えられない場合もある。

そこでキャリア・インサイトが必要になる。

キャリア・インサイトは、コンピュータを使って、職業選択に必要な情報を整理するキャリアガイダンスシステムである。JILPTの説明では、職業選択に役立つ適性評価、職業リストの参照、職業情報検索、キャリアプランニングなどを行うための道具とされている。

要するに、GATBが能力の輪郭を見る道具なら、キャリア・インサイトは、その能力を、興味、価値観、行動特性、職業世界へつなぐ道具である。

ここが重要である。

GATBだけで天職は分からない。キャリア・インサイトだけでも足りない。能力、興味、価値観、行動特性、職業世界を分けて見て、最後に照合する。

それが、自己分析ポエムから職業選択へ移るということである。

自己分析は、だいたい全部を混ぜる。

「私は人の役に立ちたい」
「私は自由に働きたい」
「私はクリエイティブなことがしたい」
「私は論理的に考えるのが得意だと思う」
「私はチームより一人の方が向いている気がする」

こういう言葉は、自分の中ではそれなりに意味がある。しかし、職業選択の材料としては粗い。能力なのか、興味なのか、価値観なのか、行動特性なのか、単なる願望なのかが分からない。

キャリア・インサイトの意味は、そこを分けることにある。

能力は能力として見る。
興味は興味として見る。
価値観は価値観として見る。
行動特性は行動特性として見る。
職業情報は職業情報として見る。

そのうえで、照合する。

この冷たい分解が、キャリア論には必要である。

MBTIではなく、公的なキャリアガイダンスを使え

MBTIで適職を探すな。

MBTIは、気持ちよく自分を語る道具にはなるかもしれない。自分の違和感に名前がつく。自分の振る舞いに物語が与えられる。自分の失敗にも説明がつく。

だが、それは職業適性ではない。

仕事は、タイプ名ではできない。

書類を処理する。文章を書く。数字を見る。図面を読む。手を動かす。機械を扱う。人と交渉する。期限を守る。ミスを減らす。反復に耐える。責任を負う。

そこに必要なのは、タイプの物語ではなく、能力と行動の見立てである。

「あなたはINTJなので戦略職向きです」
「あなたはINFJなのでカウンセラー向きです」
「あなたはENFPなのでクリエイティブ職向きです」

こういう言葉は、非常に気持ちがいい。だが、職業世界はそれでは動かない。

MBTIが好きなら、趣味でやればいい。自分語りの道具として使うなら、それも勝手である。

だが、キャリア選択の中心に置くな。

民間キャリアコーチングも同じである。すべてが無意味とは言わない。相談相手が必要な人もいる。言語化を助けてもらう意味はある。

だが、それが「本当の自分」を掘り当てる儀式になると、途端にスピる。

職業選択に必要なのは、内面の神話化ではない。

能力、興味、価値観、行動特性、職業世界の照合である。

そして、そのための公的な道具はすでにある。

ハローワークである。

ハローワークは無料で使える。国が運営する雇用サービス機関であり、職業相談、職業紹介、求人情報、職業訓練の情報提供などを扱う。

そして、場所によってはGATBやキャリア・インサイトのような職業適性検査・キャリアガイダンスも使える。

もちろん、実施状況はハローワークによって違う。対象年齢、予約の要否、求職登録の必要、検査の実施日などは確認が必要である。GATBには対象年齢の目安があるが、実際に受けられるかどうかは相談文脈によっても変わり得る。45歳を超えているからといって、自己判断で諦める必要はない。まず最寄りのハローワークに確認すればよい。

それでも、高額な民間キャリアコーチングに行く前に、無料の公的インフラを使わない理由がない。

しかも、GATBやキャリア・インサイトは、思いつきの自己分析ツールではない。職業相談、職業適性、キャリアガイダンスのために作られた、まともな理論と実務の蓄積に基づく道具である。

それを使わずに、ネットの適職診断やMBTIやキャリアコーチングに流れるのは、単純にもったいない。

job tagのGテストはどう扱うべきか

ここで、job tagの話もしておく。

job tagにも、職業適性テスト、いわゆるGテストがある。オンラインで受けられる簡易的な検査であり、職業情報に触れる入口としては便利である。

これは知らないで無視しているわけではない。

当サイトについて | 職業情報提供サイト(job tag)

ただし、GテストをGATBの代替として扱うな。

job tagのGテストは、Web提供型の簡易版職業適性評価ツールである。入口として使うならよい。職業情報を見るきっかけとしても悪くない。

しかし、GATBとは違う。

GATBは、9つの適性能を、紙筆検査と器具検査で見る。紙筆検査では、知的能力、言語能力、数理能力、書記的知覚、空間判断力、形態知覚、運動共応を見る。器具検査では、指先の器用さ、手腕の器用さを見る。実際の運用では紙筆検査のみの場合もあるが、それでもWeb上の簡易検査とは情報量が違う。GATBは、職業適性を総合的に見るための検査として設計されている。

一方、GテストはWeb上の簡易検査である。環境も違う。測定範囲も違う。画面表示、操作性、回線、端末、集中環境などのノイズも入る。

だから、Gテストの結果で一喜一憂するな。

さらに言えば、GATBの前にGテストを「予習」や「チート」として受けるのは無意味である。適性検査は、攻略するためにあるのではない。自分の能力の凹凸を知るためにある。

そこでいい点を取っても、後で苦労するだけである。

本当は苦手な処理を、検査対策でごまかす。そんなことをしても、職業世界に入ったあと、その処理は毎日のように返ってくる。そこで困るのは自分である。

オンラインで触る入口としては使えばいい。だが、本気で職業適性を見るなら、ハローワークでGATBとキャリア・インサイトを使え。

簡易検査で自分を分かった気になるな。

無料で使える公的な本体があるなら、そちらを使え。

努力教の罠

日本のキャリア論には、努力教が深く染み込んでいる。

努力すれば何とかなる。やりたいことを諦めるな。夢を追え。限界を決めるな。

きれいな言葉である。

だが、きれいな言葉ほど危ない。

努力は重要である。努力を否定しているのではない。

だが、適性を見ない努力は、努力ではなく消耗である。

向いていない処理を、向いていない環境で、向いていない速度で、向いていない評価軸に合わせて続ける。それは美談ではない。単なる資源の浪費である。

多浪して医大を目指すことが、勝算のある挑戦なのか、無謀な消耗なのか。難関資格を目指すことが、自分の能力配分に合っているのか、単にプライドの延命なのか。ホワイトカラー総合職にしがみつくことが、現実的な戦略なのか、大学進学幻想の残骸なのか。

それを考えるには、まず自分の適性を見なければならない。

撤退は敗北ではない。

適性を見たうえで戦場を変えることは、戦略である。

「努力すれば何でもできる」という言葉は、人を励ますこともある。しかし同時に、人を壊すこともある。

能力差を見ない社会は、優しい社会ではない。むしろ、適性に合わない場所で努力を強い続ける、かなり残酷な社会である。

GATBのような検査は、人間の価値を決めるために使うものではない。

努力の投入先を間違えないために使うものである。

ホワイトカラー幻想への入口

ここで、ホワイトカラー幻想の問題が出てくる。

日本社会は、大学へ行き、オフィスで働き、総合職や企画職や事務職になることを、何となく「まともな進路」として扱ってきた。

だが、ホワイトカラー職にも適性がある。

書記的知覚が低い人間を事務処理の山に置けば、本人も周囲も不幸になる。数理処理が弱い人間を、数字の正確さが求められる仕事に置けば、消耗する。言語能力が弱い人間を、文章と会議と調整の世界に置けば、かなり苦しい。

逆に、空間判断力、形態知覚、指先の器用さ、手腕の器用さが高い人間を、偏差値競争とオフィス労働にだけ流し込むのも損失である。

ホワイトカラーが偉いのではない。
ブルーカラーが偉いのでもない。
職業には適性がある、というだけである。

この話は、本来もっと大きい。

大学進学万能論、Fラン大学、職業教育、高専、専門職大学、ハローワーク、職業訓練、義務教育の出口設計。そこまで行くと制度論になる。

また、かつて学校現場では、知能検査やGATBのような適性検査が今より広く使われていた時代がある。しかし、それがどう後退し、なぜ現在の教育制度から見えにくくなったのかは、本稿では扱わない。それは、Fラン廃止後の職業教育、トラック分化、制度設計を論じる次の問題である。

この記事では、そこまで広げない。

まずは個人の話である。

自分の適性を見ろ。

ハローワークに確認しろ

では、何をすればよいのか。

最寄りのハローワークに確認すればよい。

GATBを受けられるか。キャリア・インサイトを使えるか。職業相談で適性検査を扱っているか。予約が必要か。対象年齢に条件があるか。求職登録が必要か。

実施状況は場所によって違う。だから、雑に「どこでもすぐ受けられる」とは言わない。確認が必要である。

しかし、ハローワークの利用自体は無料である。

これは大きい。

無料で使える公的な雇用サービスがある。職業相談がある。求人情報がある。職業訓練の情報がある。場所によってはGATBやキャリア・インサイトも使える。

それを使わずに、いきなり高額な民間キャリアコーチングへ行く必要はない。

ネットの適職診断で遊ぶ前に、MBTIでタイプ名をもらう前に、自己分析シートを埋める前に、まず公的な職業適性検査と職業相談を使えばよい。

これは自己啓発ではない。

反自己啓発である。

自分探しではない。

適性確認である。

結論

自己分析するな。

少なくとも、そこから始めるな。

「本当の自分」を探しても、職業世界は開かれない。「やりたいこと」を掘っても、能力の凹凸は消えない。MBTIでタイプ名をもらっても、仕事の処理能力は上がらない。キャリアコーチにきれいな言葉をもらっても、職業世界の現実は変わらない。

必要なのは、冷たい分解である。

能力。
興味。
価値観。
行動特性。
職業世界。
労働市場。
生活条件。

これらを分けて見る。

GATBは能力を見るための補助線である。

キャリア・インサイトは、能力、興味、価値観、行動特性と職業世界を照合するための道具である。

ハローワークは、それを無料で使える公的な職業相談の場である。

測定を神託にしてはいけない。

だが、測定から逃げてもいけない。

自分語りを一度止めろ。

ハローワークに確認しろ。

GATBとキャリア・インサイトを受けろ。

「本当の自分」ではなく、適性から始めろ。

Word up.

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