MyGO!!!!!/Ave Mujicaの前身としての『D4DJ First Mix』

All eyes on D4DJ first mix…

『BanG Dream!』は一応、1期から3期まで観た。けれど、正直なところ、あまり乗れなかった。

もちろん、まったく刺さらなかったわけではない。3期後半のRAISE A SUILENまわり、あのごたごたからのシーケンスはかなり好きだった。RASはそもそも、寄せ集めであり、プロ志向であり、才能のぶつかり合いであり、バンドでありながらユニット的でもある。その不安定さが、物語のごたごたと噛み合っていた。つまり、そこではノイズが物語の駆動力になっていた。だから刺さる。

だが、全体としては繰り返し観る作品にはならなかった。

一方で、『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』には後追いではまり、その後の『BanG Dream! Ave Mujica』は毎回放映後に何度も見返すくらいにはまった。いま振り返ると、同じブシロード製作コンテンツで、同じサンジゲン制作の『D4DJ First Mix』にも、ぼくはかなりはまっていた。リアルタイムで観て、何度も見返していた。

つまり、ぼくにとっては、初期バンドリには乗り切れなかったが、『D4DJ First Mix』には乗れた。そしてその後、『MyGO!!!!!』と『Ave Mujica』にはさらに深くはまった、という流れがある。

これはたぶん偶然ではない。

『D4DJ First Mix』は、『MyGO!!!!!』や『Ave Mujica』ほど語られていない。いまでは半ば忘れられた佳作のような扱いかもしれない。だが改めて考えると、あの作品には、後のMyGO/Ave Mujicaにつながる重要な原型がいくつもある。サンジゲンの3D音楽アニメが、どこで強みを発揮できるのか。ブシロード型の音楽IPアニメが、どこで作品として成立するのか。そのかなり重要な答えが、『D4DJ First Mix』には既にあったのではないか。


1. 初期バンドリのノイズと、D4DJ First Mixの整理

初期バンドリがとっつきにくかった理由は、単にキャラが多いからではないと思う。

複数バンド、ライブ展開、楽曲展開、キャラクター紹介、ギャグ、青春ドラマ、メディアミックス上の販促。それぞれは必要なのだろうが、作品の中で必ずしも一つの構造原理に統合されていないように見えた。各要素が別方向に走っていて、観ている側にノイズとして残る。

もちろん、初期バンドリにも良いところはある。先に書いた通り、3期後半のRASまわりはかなり良い。あそこでは、キャラクターの衝突、バンドとしての不安定さ、プロ志向、ライブコンテンツとしての強度が比較的同じ方向を向く。だから、ノイズがノイズのままではなく、物語の駆動力になる。

しかし、全体としての初期バンドリは、まだノイズが多かった。

その点で、『D4DJ First Mix』はかなり整理されている。

まず、主人公グループにフォーカスしている。他ユニットの扱いは最低限に抑えられ、物語の中心はHappy Around!の結成と成長に置かれる。りんくという主役級の推進力があり、それをまほ、むに、麗が受け止め、補正し、グループとして形にしていく。構造が分かりやすい。

ここで重要なのは、りんくが単なる元気キャラではないことだ。彼女は物語を動かす「きちがい」枠である。もちろん悪口ではない。ブシロード音楽アニメには、しばしば物語を強引に前へ進める異常な推進力を持つキャラクターがいる。初期バンドリの戸山香澄もそうだし、D4DJの愛本りんくもそうだ。

ただ、『First Mix』では、その推進力を受け止める構造が比較的きれいに組まれている。まほは技術と現実感を持ち、むには関係性の棘と可愛げを持ち、麗は音楽的厚みと育ちの良さを持つ。りんくの暴走がそのまま散らからず、グループ形成の力に変換される。

初期バンドリが、複数の企画要求を抱えたまま作品として走っていたとすれば、『D4DJ First Mix』は、少なくともTVアニメ1作目としてはかなり割り切っている。まずHappy Around!を立ち上げる。そのために必要なキャラクター、必要な衝突、必要な音楽回に絞る。

この整理が効いている。

2. DJという題材が、サンジゲン3Dの弱点を強みに変えた

さらに、『D4DJ First Mix』は、サンジゲンの3Dと題材の相性がかなり良い。

バンドアニメの場合、3Dはどうしても楽器演奏の再現性を問われる。指、腕、身体の重心、演奏のリアリティがノイズになりやすい。もちろんサンジゲンはそこを後に大きく進化させるのだが、初期段階では「3Dでバンド演奏を見せる」こと自体に負荷があった。

ところがDJは違う。

DJをアニメで描く場合、細かい技術再現だけをやっても面白くならない。かといって、ただボタンを押しているだけにすると嘘くさい。重要なのは、曲をつなぐこと、場を上げること、フロアを作ること、音楽で関係を編成することだ。

『D4DJ First Mix』は、そこをかなりうまく掴んでいた。

DJ技術を写実的に再現する作品ではなく、DJ文化の快楽を、サンジゲン3Dに適した最小限の映像文法へ変換した作品だった。ブース、フロア、照明、スクリーン、カメラ移動、観客の反応、曲の切り替わり。それらを使えば、実演奏の細部を過剰に描かなくても、DJという行為の本質をかなり伝えられる。

ここには引き算の美学がある。

実際、リアルタイムで観ていた頃、DJをやっている人たちにもそれなりに受けがよかった印象がある。もちろん、これは「DJ一般に受けた」という話ではない。そもそもアニメを観るDJ、D4DJを話題にするDJという時点で、かなり選別済みの母集団ではある。だが、それでも、近い文化圏の人間に「分かってる」と受け取られたことには意味がある。

細部を全部リアルにしたからではない。DJ文化の快楽の核を外していなかったからだと思う。

バンドアニメでは、演奏モーションのリアリティが問題になる。だがDJアニメでは、空間の設計、音楽のつながり、場の高まり、観客との同期が中心になる。サンジゲン3Dの得意な、カメラ移動、ステージ演出、照明、空間把握が、そのまま題材の強みに接続できる。

だから『D4DJ First Mix』は、最小限の技術で本質を掴めた。

もちろん、いま観返せば粗いところはある。モブの処理、画面密度、沈黙や視線の扱い、空間全体の緊張感は、後の『MyGO!!!!!』や『Ave Mujica』に比べると厳しい。MyGO/Ave Mujicaの後では、どうしても設計密度の差が見える。

それでも、『First Mix』の重要性は消えない。

サンジゲン3Dの弱点を、DJという題材によって強みに変えた作品。これはかなり大きい。

3. “HONEST -conflict01-”と、音楽回を最終回の前に置く構造

『D4DJ First Mix』でいちばん重要なのは、12話だと思う。

12話の“HONEST -conflict01-”でのラップバトルが、実質的な最終回に近い。あそこで、音楽を通じた自己開示と関係修復がなされる。DJとは曲をつなぐだけではなく、人間関係をつなぎ直す行為である、という作品の核が回収される。

“bang!”や“Make My Style”だけではない。『D4DJ First Mix』の本質は、“HONEST -conflict01-”へ至る流れにある。

曲単体は公式に公開されている。だが、これはネタバレを踏んで終わりにするものではない。MyGO!!!!!の10話やAve Mujicaの音楽回がそうであるように、そこへ至るまでの関係、衝突、蓄積、そして演奏後に何が開かれるのかを含めて周回するべき回である。

そして13話は、作品単体の終幕というより、D4DJというIPを次へ運ぶためのエピローグ、あるいは布石になる。

つまり、『D4DJ First Mix』は12話で作品を終わらせ、13話でIPを開いた。

この「実質的なクライマックスを最終回より前に置き、最終話を次の展開へ開く」という構造は、『MyGO!!!!!』にも引き継がれている。

『MyGO!!!!!』のクライマックスは、明らかに10話だ。10話でバンドが成立する。迷子のまま、それでも一緒に音を出す。言葉では決着しないものが、演奏によって一度形になる。11話、12話はもちろん必要だが、機能としては、MyGO!!!!!というバンドをIPとして後につなげるための位置づけが濃い。13話に至っては、もはやMyGOの終章というより、Ave Mujicaのプロローグである。

『D4DJ First Mix』は12話で作品を終わらせ、13話でIPを開いた。『MyGO!!!!!』は10話で作品を終わらせ、11話と12話でMyGO!!!!!をバンドIPとして立ち上げ、13話でAve Mujicaを開いた。

そして『Ave Mujica』は、この構造をさらに捻ってきた。

『MyGO!!!!!』を観ていた視聴者は、「10話に音楽回が来る」ことを予想していた。そこでバンドが成立する。そこで、言葉では届かなかったものが、音楽によって届く。そういう構造を既に学習していた。

『Ave Mujica』10話は、まさにその期待を使ってくる。

2曲を完璧に演じて見せる。表面上は和解したように見える。初華の歪んだ思いが祥子に届いたように見える。Ave Mujicaという仮面劇が、ようやく一つのバンドとして成立したように見える。

しかし、そこから「初音。帰りなさい。」が来る。

ここが本当に上手い。

『MyGO!!!!!』10話が「壊れた者たちが、壊れたままバンドになる」回だったのに対して、『Ave Mujica』10話は「壊れた者たちが、壊れたまま完璧に演じてしまう」回だった。似ているが、構造は反転している。MyGOでは演奏が共同性の成立だった。Ave Mujicaでは、演奏が共同性の成立に見える仮面の完成だった。

しかも最終話で、再び音楽回をやる。

普通ならそこで、今度こそ真の和解へ向かうはずだ。だが『Ave Mujica』は安易に救済しない。音楽的には到達する。演奏としては成立する。けれど、人間関係の不穏さは残る。そして最後に、あのアルカイックスマイルで締める。

あれはすごい。

音楽は届く。届いてしまう。だが、届いたことと救済は別である。『Ave Mujica』はそこまで行った。

4. いまこそ『D4DJ First Mix』を観ろ

そう考えると、『D4DJ First Mix』は、MyGO/Ave Mujicaの単なる前段階ではない。

もちろん、いまMyGOやAve Mujicaを観た後で『First Mix』を見返すと、厳しいところもある。先に書いた通り、モブの処理、画面密度、沈黙や視線の扱い、空間全体の緊張感は、後の作品に比べると粗い。MyGO/Ave Mujicaの後では、どうしても設計密度の差が見える。

それでも、『First Mix』には重要な原型がある。

サンジゲン3Dの弱点を、DJという題材によって強みに変えること。音楽回を、単なるライブシーンではなく、関係性の決着点にすること。実質的なクライマックスを最終回より前に置き、最終話をIPの次展開へ開く装置として使うこと。主人公の異常な推進力を、周囲のキャラクターによってグループ形成へ変換すること。

それらは、後の『MyGO!!!!!』と『Ave Mujica』で、より高い精度へ到達した。だが、その芽は『D4DJ First Mix』に既にあった。

だから、『MyGO!!!!!』と『Ave Mujica』に刺さった人ほど、『D4DJ First Mix』はいま観るべきだ。

同じものを期待すると違う。『First Mix』は、MyGOのような傷の物語でも、Ave Mujicaのような仮面劇でもない。もっと明るく、軽く、整理された作品である。だが、その軽さの中で、サンジゲン音楽アニメが何を掴みかけていたのかは、かなり見える。

『D4DJ First Mix』は、MyGO/Ave Mujicaの完成度から見れば粗い。けれど、粗いからこそ、原型が見える。

忘れられた佳作としてではなく、MyGO/Ave Mujicaへ至るサンジゲン音楽アニメの前史として、いま観ろ。

Word up.

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