TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』第1幕の感想と考察~イスラーム世界の文化と「生きるために学ぶ」ということ
今期のアニメはとてもレベルが高く、面白い作品が数多くそろっています。その中でも『天幕のジャードゥーガル』は、新作の中では頭一つ飛び抜けているという印象です。サイエンスSARU制作、山田尚子総監督ということで放映前から注目していましたが、期待に違わない大傑作だと感じています。
すでに第4話まで放映されているため、この作品の魅力については、多くの人がブログなりYouTubeで語っています。私は自分の記事を書くのに精一杯で、なかなか他の方の考察や感想を読んだり聴いたりすることができていません。そのため、すでに語り尽くされている内容と重なる部分もあるかもしれませんが、できるだけ自分なりの視点から感想を述べていきたいと思います。
書きたいことは山程あるので、このままでは長文になってしまいそうです。とは言え皆さんに読んでいただくには、簡潔であることが重要なので、できるだけ工夫しながら書きたいと思います。
すでに第4話まで放送が終わっていますが、物語に沿って第1話から書いていくのがわかりやすいと思います。各話ごとに私が注目したポイントについて語っていきたいと思います。
なお、本稿では「イスラム」ではなく、「イスラーム」という表記を使用します。「イスラーム」のほうがアラビア語の原音に近く、大学や歴史の教科書などでも広く使われているためです。
また、「ファーティマ」については第1幕では、シタラの主人である「奥様」のことを指します。
第1幕の舞台となる歴史都市トゥース
それでは、早速第1幕です。舞台はイスラーム世界、現在のイラン東部にあったトゥースの町から物語は始まります。現在のトゥースは遺跡を残すのみですが、古代から中世にかけては、この地方を代表する都市の一つでした。そして、その歴史を大きく変えたのが、1221年に起きたモンゴル軍の侵攻です。
トゥースの歴史について、簡単にまとめてみました。
トゥースは、現在のイラン北東部、ラザヴィー・ホラーサーン州の州都マシュハド近郊にあった歴史都市です。古代から中世にかけて「ホラーサーン」と呼ばれた広大な地域に属し、中心市街ターバラーンなど複数の集落を含む地域名としても使われていました。東西を結ぶ交通路に位置したため、ササン朝時代(226~651年)には東方防衛の拠点となり、イスラーム時代には商業・行政・学問の中心として発展しました。
しかし、トゥースの歴史は、13世紀初頭のモンゴル軍の西征によって大きく変わります。当時、この地域はホラズム・シャー朝(1077~1231年)の支配下にありました。
1219年、チンギス・ハーンはホラズム・シャー朝との間で発生した通商使節殺害事件をきっかけに侵攻を開始、モンゴル軍は、中央アジアの主要都市を攻略したのち、ホラーサーンへ侵入します。
1221年にはチンギス・ハーンの末子トルイがホラーサーン地域を制圧、メルヴやニーシャープール(ネイシャープル)といった主要都市を破壊します。トゥースにも部隊が派遣され、市街地や周辺の集落は大きな被害を受けました。人口や経済力も著しく失われたと考えられています。
その後、トゥースはモンゴル統治下で再建され、一定の繁栄を取り戻しました。しかし、かつてのような地域の中心都市に戻ることはありませんでした。代わって近隣のマシュハドが発展し、政治・宗教・経済の中心が次第に移っていきます。マシュハドは現在人口360万人、首都テヘランに次ぐ規模を誇るイラン有数の大都市となっています。
つまり、モンゴル軍の西征によってトゥースが一度に消滅したというよりも、この侵攻が長期的な衰退と、マシュハドへの中心地の移動を決定づけたと考えたほうがいいでしょう。
モンゴル軍の侵攻は、主人公シタラの運命だけでなく、トゥースという町の運命をも大きく変えてしまったのです。


冒頭、主人公シタラが奴隷商の元から逃げ出し、トゥースの町中を駆け回る場面から始まります。中近東から北アフリカにかけての都市の旧市街は、細い路地が迷路のように入り組んでいる場所が多くあります。また、防衛や地形上の理由から高台に築かれた町も多く、坂道や階段が数多く見られます。
シタラが町中を駆け巡る場面は、彼女の置かれた状況を描くと同時に、トゥースの町並みを紹介する役割も果たしていました。説明的な台詞に頼るのではなく、映像と人物の動きによって世界観を伝える、とても巧みな導入だったと思います。
中世イスラーム世界の奴隷制度
シタラは母親を亡くし前の主人に奴隷として売られてしまったのですが、奴隷制度自体、中世のイスラーム世界では広く存在していました。都市では、奴隷の姿は決して珍しくなく、家事、軍事、行政、商業、芸能など幅広い分野にかかわっていました。作中でもあったように、奴隷市場が存在し、様々な商品とともに、奴隷も売買されていました。
主な奴隷の供給源は、戦争や部族間抗争で捕虜となった人々でした。捉えられたのは戦闘員だけでなく、女性や子どもも含まれていました。女性は家事労働、給仕、裁縫、育児、芸能などに従事し、宮廷や有力者の家庭では女官や側室とされる場合もありました。子ども、特にシタラのような少女は、家庭・宮廷内の家内労働に従事することが多かったようです。
こうした歴史的背景を踏まえると、シタラの境遇が当時の社会において、決して特殊なものではなかったことが分かります。
イスラームの住宅と中庭
続いて描かれるのが、シタラを奴隷商から引き取ったファーティマの屋敷です。この屋敷は、イランをはじめとする乾燥地域で見られる伝統的な住宅の特徴をよく表しています。
通りに面した窓や装飾は少なく、外観は閉鎖的です。一方、屋敷の内部では、生活空間が中央の中庭を囲むように配置されています。中庭には池や植木が設けられ、外からは想像できないほど明るく開放的な空間が広がっています。
外部に対しては閉じながら、内部には家族が落ち着いて過ごせる空間をつくる。暑さや乾燥への対策だけでなく、家族のプライバシーを守るうえでも適した構造だったのでしょう。
シタラとムハンマドが出会った場所も、ムハンマドが金属製の水桶を落とした場所も、この中庭です。第1幕を象徴する重要な場面が、家の中心である中庭で描かれていることにも意味を感じます。

女性の服装と髪を覆う習慣
次に、当時の習慣や衣装について考えてみます。中世のイスラーム社会においても、女性が外出時に頭髪や身体を覆う習慣は存在していました。ただし、現代のイランで見られるような、女性が黒いヒジャブを頭からすっぽりとかぶって顔や髪の毛や肌を隠すようになったのは、もう少し時代が下ってからのようです。
作中で見られるように、13世紀のモンゴルによる征服以前は、この地域ではそのような習慣はなく、外出時や親族以外の男性に会う時だけ頭から肩付近までをスカーフや外衣で覆うような形が一般的だったようです。
こうした服装の規範は、年齢や身分、職業によっても大きく異なっていました。作中でシタラが「私はまだ子どもだから」と話していましたが、幼い少女や奴隷女性、芸能に携わる女性などには、成人した自由身分の女性とは異なる服装規範があったようです。
そのため、すべての女性がスカーフや外衣を身に着けていたわけではありませんでした。ファーティマのような奴隷を雇えるような裕福な家では、上記のような習慣が守られていたのでしょう。
衣装そのものも、身分や生活環境によって大きく異なっていました。比較的裕福な家庭の女性は、長い上衣や外衣に、ゆったりとしたズボンを組み合わせ、必要に応じてスカート状の衣服や帯、肩掛けなどを重ねていました。
色彩も黒一色ではありません。赤、青、緑、橙など、鮮やかな色の衣装が身に着けられていたようです。作中の衣装は華やかでありながら、乾燥地帯の生活や当時の身分差も感じさせるデザインとなっていました。

映像と台詞によって伝えられるイスラーム文化
第1話では、こうしたイスラーム社会の文化や世界観が、説明的な台詞だけでなく、背景美術や小道具、人物の何気ない会話を通して紹介されていました。
劇伴に使われていた哀愁が漂う音楽は、イランの民族楽器・セタールによる演奏と思われます。セタールは、小さな洋ナシ型の共鳴胴と長いネックを持つ弦楽器です。インドのシタールとは名前や形が似ていますが、別の楽器です。

※8月5日訂正
天幕のジャードゥーガルについて色々と調べていたところ、第1幕で流れていた音楽で使用されていた楽器は「セタール」ではなく、「サントゥール」であることが判明しました。
「サントゥール」は、イランを代表する伝統的な打弦楽器です。台形の木製共鳴箱に多数の金属弦を張り、先端の細い木製のばちで弦を打って演奏します。澄んだ音色と細かな装飾音が特徴で、ペルシャ古典音楽の独奏や合奏に用いられています。その起源は古く、同系統の楽器はシルクロードを通じて各地へ伝わり、ヨーロッパのダルシマーや中国の揚琴などに発展したと考えられています。
記事を書く上でいろいろと調べていたところ、本作のイスラム関連監修に携わっておられる国際政治学者の高橋和夫さんがあの楽器は「サントゥール」であるとおっしゃっておられました。高橋さんは、この作品を制作したサイエンスSARUのスタッフや原作者のトマトスープさんを大変評価されており、いろいろと興味深いお話をされています。動画を貼っておきますのでご覧ください。
ファーティマが亡夫の喪が明けて、初めて「ハマム」に行くという場面がありました。ハマム(ハンマーム)とは、中近東から東アジアにかけて広く見られる公衆浴場のことです。身体を清めるための場所であるだけでなく、人々が会話を交わし、休息する社交の場でもあります。特に女性にとっては、家庭の外でほかの女性たちと交流できる貴重な空間となっています。

ムハンマドがシタラと出会った中庭で手にしていた道具は、アストロラーベです。アストロラーベと言えば『チ。ー地球の運動についてー』を思い出しますが、その原理は紀元前2世紀頃にギリシャで確立していたとされています。その後、8世紀以降にギリシャの天文学を受け継いだイスラーム世界で、本格的な改良と発展を遂げました。
イスラーム圏の学者や職人は、精密な目盛りや交換式の盤を工夫し、アストロラーベを天体観測だけでなく、時刻の測定、礼拝時刻の確認、メッカの方角の計算などにも利用しました。特にペルシャ、現在のイランでは、アストロラーベに関する研究書の執筆や、精巧な金属製器具の製作が盛んに行われていたようです。
第1幕は、「幾何学によって世界の大きさを知った」という語りから始まります。中世のイスラーム世界では、ギリシャやインドなどから受け継いだ知識が翻訳・整理され、数学、医学、天文学、哲学といった分野が大きく発展しました。
作中でも、「知を求めることはイスラーム教徒の務め」という言葉が登場します。アストロラーベがイスラーム世界で発展した背景にも、世界の仕組みを理解しようとする知的探究の精神があったのでしょう。
「生きるために学ぶ」ということ
その学問に関してですが、第1話の名シーンである、ムハンマドがシタラに学問の大切さを説く場面です。ムハンマドは、幼いシタラに「学ぶことの意味」をどのように伝えればよいのか考えたと思います。金属製の水桶が落ちたときの音を利用した説明は非常に分かりやすく、シタラの境遇も重ね合わせ、恐ろしいほど説得力がありました。
単に「勉強は大切だ」と教えるのではありません。知識がなければ、自分の身に何が起きているのかさえ理解できない。世界の仕組みを知ることが、自分自身を守り、人生を切り開く力になる。そのことを、シタラにも理解できる身近な例によって説明していました。
まさに「生きるために学問は必要である」という、現代にも通じる普遍的な真理を説いた場面だったと思います。ムハンマドの言葉には、私も深く感銘を受けました。そして、このときに与えられた言葉は、これから過酷な運命に立ち向かっていくシタラにとって、大きな礎となっていきます。
桝屋友子さんによる歴史考証
トゥースでの生活風景をはじめ、本作におけるイスラーム文化や歴史の考証は、イスラーム美術史学者で、東京大学東洋文化研究所の教授を務めた桝屋友子さんが担当されました。
大変残念なことですが、桝屋さんはアニメの放送開始直前となる2026年6月21日、病気のため亡くなられました。
桝屋さんは学生時代に東大まんがくらぶに所属していたこともあり、病床にありながら本作の歴史考証に関わることができたことを、とても喜んでいたそうです。
本作の細部から感じられる文化や歴史への深い理解は、桝屋さんの研究と作品への思いによって支えられているのでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。
以上、第1幕の感想でした。物語の導入回ということで、作品の舞台となる世界や文化が、映像を通して丁寧に描かれていました。私自身、この記事を書くためにさまざまなことを調べましたが、初めて知ることばかりで、とても勉強になりました。
もちろん、これらの歴史的・文化的な要素を知らなくても、物語そのものは十分に楽しめます。しかし、背景にある歴史を知ることで、シタラたちが暮らしている世界や、迫り来るモンゴル軍の脅威を、より深く理解できるのではないでしょうか。
第1幕は、モンゴル軍がトゥースの町へ侵攻してくるところで幕を閉じました。第2幕以降、シタラの運命は、否応なくモンゴル軍に翻弄されていくことになります。
すでに第4幕まで放送されているため、遅れての掲載となってしまいますが、次回は第2幕について書く予定です。
それでは、次回もお楽しみに。
