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TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』第4幕感想・考察~8年の歳月、モンゴルに生きるシタラと帝国の暮らし


第1幕及び第2幕の記事の訂正

TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』第4幕の感想と考察を始める前に、以前の記事について二つ訂正しておきたいことがあります。

まず一つ目は、第1幕で流れていた音楽に使われていた楽器についてです。以前の記事では「セタール」ではないか、と書きましたが、これは誤りで、正しくは「サントゥール」という楽器でした。

「サントゥール」は、イランを代表する伝統的な打弦楽器です。台形の木製の箱に多数の金属弦を張り、細い木製のばちで弦を叩いて演奏します。澄んだ音色と細かな装飾音が特徴で、現在でもペルシャ古典音楽の独奏や合奏で広く使われています。

今回の記事を書くためにいろいろと調べていたところ、本作のイスラーム関連監修を担当されている国際政治学者・高橋和夫さんが、動画の中で「あの楽器はサントゥール」と説明されているのを見つけました。

高橋さんは、制作を担当するサイエンスSARUのスタッフや原作者・トマトスープさんの仕事を非常に高く評価されており、本作について興味深いお話をたくさんされています。動画も貼っておきますので、興味のある方はぜひご覧ください。

そして、もう一つ訂正があります。第2幕でシタラたちがトゥースからの長い旅を終えて到着した場所について、私は「カラコルム」だと思っていました。しかし、時代や作中の描写を考えると、ここは「カラコルム」ではなく、当時のモンゴル帝国の重要な拠点だった宮廷宿営地である「大オルド」と考えるほうが自然なようです。

「大オルド」は、この当時は「カラコルム」よりもさらに東のアウラガというところにありました。ここは、長春真人が皆既日食を見たというヘルレン(ケルレン)川の流域です。

この頃の「カラコルム」は、まだ後世のような「帝国の首都」ではありません。「カラコルム」が本格的に整備されるのは、1235年、オゴデイ・カアンの時代になってからです。

大オルド(アウラガ)は、カラコルムからさらに東400kmのヘルレン(ケルレン)川流域にありました。©Google Earth
大オルド(アウラガ) 流れている川はヘルレン(ケルレン)川と思われます。(第3幕より)
©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

第4幕は、シタラとソルコクタニの出会いから始まり、チンギス・カンの死を経てオゴタイの即位まで、一気に8年の月日の流れが描かれました。しかし、その内容は濃密なものであり、個人的には、これまでのエピソード以上に「気になる場面」が次から次へと出てきて、見どころ満載の回だったと感じました。

この間、シタラは、すっかりモンゴルの生活にも慣れ、トゥースで過ごしたのと同じ時間をモンゴルで過ごしていました。ソルコクタニの『原論』の指南役になってすでに8年。しかし、目的である『原論』を取り返すことはできていませんでした。少女だったシタラもこの時21歳、もう立派な大人の女性です。


「賢夫人」ソルコクタニ・ベキ

トルイの妃ソルコクタニ・ベキ(1199~1252)ですが、この人物は非常に聡明な女性として描かれいます。彼女は、巨大になりつつあるモンゴル帝国全体を俯瞰し、「この国には何が足りないのか」「これからどのような国になるべきなのか」を考えています。『原論』に興味を持ったのも、単なる知的好奇心ではないのでしょう。

武力によって急速に領土を広げたモンゴル帝国が、その先に国家として存続していくためには、征服した地域の知識や技術を吸収しなければならない。ソルコクタニは、すでにそのことに気づいているように見えます。このあたりは、彼女が後世「賢夫人」と称される人物だったことを意識した描写なのでしょう。

『原論』を手にするソルコクタニ(第4幕より)
©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

そして、彼女が西方の学問に関心を示す背景には、史実上のソルコクタニがネストリウス派キリスト教徒だったことも関係しているのではないでしょうか。

イスラーム世界で継承・発展したギリシア以来の学問について、同じく西方に起源を持つキリスト教文化圏との接点を持つ彼女が興味を示す――そう考えると、『原論』を求めた人物としてソルコクタニを配置したことにも説得力があります。

ネストリウス派は、428年にコンスタンティノープルの大主教となったネストリウスによって説かれたキリスト教の一派です。ローマ・ビザンツ世界では異端とされましたが、ササン朝ペルシア(226〜651)を拠点に発展し、商人や宣教師によってシルクロード沿いに広まりました。中央アジアでは、ウイグル、ケレイト、ナイマンなどの遊牧民にも浸透、中国には唐の時代に伝えられ、「景教」と呼ばれました。唐末に衰退しますが、モンゴル帝国時代には再び東アジア各地で勢力を持ちました。

ウィキベディアなどより要約

こうした宗教的な多様性も、モンゴル帝国のおもしろいところです。

本作では単純に「モンゴル対イスラーム」という構図にするのではなく、キリスト教徒もイスラーム教徒も、さまざまな民族や宗教の人々も入り交じった巨大帝国として描こうとしているように感じます。


遊牧民にとって需要な生活資源「家畜の糞」

第4幕では、様々なモンゴルの生活や習慣が描かれています。そのいくつかを深堀りしていきたいと思います。

シタラが「家畜の糞」を集めていたシーンがありました。家畜に背後から突き飛ばされて、モンゴルは動物が多すぎると嘆いたシーンです。

モンゴル高原や中央アジアの草原では、森林が少なく、薪を大量に確保することが難しい地域です。そのため、乾燥させた牛・馬・ラクダ・羊・ヤギなどの「家畜の糞」が、暖房や調理に使う大切な燃料となってきました。草食動物の糞には未消化の植物繊維が多く含まれているため、十分に乾燥させるとよく燃えます。

家畜は、肉や乳、毛、皮、移動手段だけでなく、燃料まで人間に与えてくれる存在でした。一般的には女性や子どもが糞の収集を担い、乳製品作りなどと並ぶ大切な日常の仕事となっていました。

さらに興味深いことに、モンゴル語には家畜の種類、季節、乾燥状態、形状によって糞を区別する多くの名称があります。例えば牛の乾燥糞は「アルガル」、馬のものは「ホモール」、羊やヤギの丸い糞は「ホルゴル」などと呼ばれているそうです。30種類以上の呼び分けが確認されており、糞が遊牧生活に深く組み込まれていたことが分かります。

こうした場面を見ると、遊牧生活というものが、限られた環境の中で自然と家畜を徹底的に利用する、非常に合理的な生活システムだったことが分かります。

家畜の糞を集めるシタラと集まった糞(第4幕より)
©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

「親指に脂を塗る」初猟の儀礼

次に印象的だったのが、モンゴル軍が征西から帰還する途中、1224年夏にアルタイ山脈の南、エミル川河畔で開かれた宴の場面です。ここで、トルイの子であるクビライ(フビライ)フレグが登場します。

左からクビライ(フビライ)、フレグ、シタラ(第4幕より)

クビライ(フビライ)は、のちのモンゴル帝国第5代皇帝であり、国号を「元」に変更した後の皇帝としても有名です。日本にとっては、やはり「元寇」で馴染みのある人物です。一方のフレグも、のちに西アジアへ遠征し、イル・ハン朝を開く重要人物です。

このとき二人は初めての狩猟で、クビライは1匹のウサギを、フレグは1頭の鹿を射止めています。モンゴルでは、少年が初めて狩猟に参加して獲物を仕留めると、その獲物の肉と脂を手の親指にこすりつける習慣があったと史料に記されています。実際、チンギス・カン自身がその肉と脂を孫たちの親指にこすりつけたという逸話がそのままアニメに反映されています。

モンゴルをはじめとする中央アジアの騎馬民族は、弓を射かけるとき弦を親指に掛けて引いていました。つまり親指は、弓を射るうえで非常に重要な指です。そのため、初めて獲物を仕留めた少年の親指に肉や脂を塗る行為には、「一人前の狩人への第一歩を踏み出したことを祝う」「これから弓の腕が上達するよう願う」といった意味が込められていたと考えられます。

ここでは、チンギス・カンがただの「征服者」としてではなく、孫の成長を喜ぶ祖父としての一面を描く。こうしたところも本作の魅力だと思います。

「親指に脂を塗る」初猟の儀礼(AIによる再現)

屠殺の儀式「アッラーの御名によって、アッラーは偉大なり」

チンギス・カンの死後、2年あまりを経て、次の大カンを決めるクリルタイ(部族の大集会)がようやく開かれましたが、この場面でも、とても興味深い描写がいくつもありました。

まず、シタラが動物の内蔵を洗っている時に「アッラーの御名によって、アッラーは偉大なり」と唱える場面です。この台詞は、アラビア語で「ビスミッラー、アッラーフ・アクバル」といいます。

厳密には、この言葉を唱えるのは内臓を洗うときではなく、動物を屠る瞬間です。イスラームの規定に沿って家畜を屠畜する際には、この言葉を唱えてから喉を切ります。シタラは、まだトゥースで暮らしていた頃、家畜を屠る場面でこの言葉が唱えられていたことを思い出しています。

クルアーン(コーラン)には、神の名が唱えられたものを食べることについての規定があります。こうした教えが、イスラームにおける「ハラール」、つまり許された食べ物の考え方につながっています。ただ、この言葉は単純に「肉をハラールにするための呪文」のようなものではありません。

動物の命は人間が勝手に所有するものではなく、神から与えられたもの。その命を食料として受け取るにあたって神の名を唱える。そこには、命への感謝や畏敬の念が込められています。

この場面は、シタラがどれだけモンゴルの生活に慣れても、イスラームの教えは決して忘れないという強い意志を示していると思います。彼女は表面上はモンゴル社会に適応しながらも、食事や祈りといった日常的な場面で、自らのルーツと信仰を守っています。これは彼女らしいモンゴルに対する静かな抵抗だったように感じます。

イスラームとモンゴルの屠畜方法の違い

また続く場面では、イスラームとモンゴルで屠畜方法が違うことも描かれています。イスラームでは、決められた方法で喉を切り、血を抜きます。一方、モンゴル側から見ると、その方法では大地を血で汚してしまううえ、血まで抜いてしまっては肉の味が薄くなり、もったいないという考えが語られています。

逆にシタラは、故郷で聞いた「喉を切るほうが動物を長く苦しませず、血を抜いた肉は見た目もよく、保存もしやすい」という説明を思い出します。

ここでは、どちらか一方を「正しい」として描くのではなく、それぞれに、それぞれの環境や宗教観に基づいた理由があることを見せています。

シタラも「モンゴルのやり方は野蛮だ」と一方的に否定するわけではありません。長く一緒に暮らしているからこそ、モンゴルの習慣も理解できるようになっています。それだけにまだ『原論』を取り返せていないことが悔しいのだろうと思います。


作中では、クリルタイで新皇帝オゴデイ(オゴタイ)・カアンが選ばれ、宴が盛大に行われていました。このシーンではモンゴルの宴会でのさまざまな作法や習慣が描かれていました。

酒の回し飲みする時の作法

まず、作中では、杯を受け取った人物が指を酒につけ、それを空などへ向かって弾くような動作をしています。モンゴルの伝統的な宴席では、酒を受け取る際に右手を使ったり、左手を右腕に添えたりして、相手への敬意を示します。また、酒に指を浸して周囲へ弾く行為は、天や大地、祖先などへの捧げものとして行われる作法です。

13世紀にモンゴルで飲まれていたお酒は、馬の乳を発酵させた馬乳酒です。現代モンゴル語では一般に「アイラグ」と呼ばれます。馬乳を乳酸菌と酵母で発酵させた飲み物で、酸味があり、わずかに発泡します。蒸留酒ほどアルコール度数は高くなく、遊牧民の生活とは切っても切れない飲み物でした。

豪快に食べる羊の骨付き肉

宴で酒と並んで目立っていたのが、巨大な骨付き肉です。登場人物たちは、そのままかぶりついたり、ナイフで肉を削ぎ取ったりして食べています。作中ではそれをまるかじりか、或いはナイフで肉をそいで食べていました。

13世紀頃のモンゴルの宴会では、羊や馬を屠り、その肉・脂・内臓を余さず調理して振る舞うのが基本でした。

現在のモンゴル料理にも、「チャンサン・マハ」と呼ばれる茹で肉があります。大きく切った骨付き肉を鍋で茹で、味付けは基本的に塩などを中心とした非常にシンプルなものです。香辛料をたっぷり使う料理とは違い、肉そのものと脂の味を楽しむ料理です。

作中では、骨付き肉を手に持ち、携帯している小刀で肉を削ぎながら食べています。遊牧生活では、ナイフは武器というだけでなく、日常生活の大切な道具でもあります。

しかも本作では、この場面をかなりアップで丁寧に見せています。こういう場面を見るたびに、「そこまで描くのか」と感心してしまいます。食べ物を画面に出すだけではなく、どう食べるのかまで描く。この積み重ねが、『天幕のジャードゥーガル』の世界に独特のリアリティを与えているのだと思います。

肉を削いで食べる(第4幕より)
©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

女性たちの赤い衣装と「ボクタ」

宴席では、モンゴルの女性たちの衣装も非常に目を引きます。多くの女性が赤を基調とした衣装をまとい、頭には背の高い帽子をかぶっています。この背の高い帽子は一般に「ボクタ」などと呼ばれ、モンゴル帝国時代の既婚女性、特に上流階級の女性を象徴する装いとして知られています。

「ボクタ」は、木や樹皮などで高い骨組みを作り、布で覆い、上部を羽根や装飾品で飾る非常に特徴的な帽子です。

13~14世紀のモンゴルでは、こうした背の高い帽子と幅のある長衣をまとった上流女性の姿が、さまざまな記録や美術資料に残されています。

赤い衣装については、すべてのモンゴル女性が常に赤を着ていたということではありませんが、宮廷の宴席という華やかな場で、赤を基調とした豪華な衣装をそろえている描写には十分な説得力があります。

女性たちの赤い衣装と「ボクタ」(第4幕より)
©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

劇伴を力強く支える「ホーミー」

第3幕でも劇伴で流れていましたが、第4幕でも低い声で唸るような声が鳴り響いている場面がありました。これは「ホーミー」といってモンゴルの伝統的な歌唱方法です。喉から低い声を出しながら、その声に含まれる「倍音」を口や舌の動きで強調することで、一人で二つの音を同時に出しているように聞こえるのが大きな特徴です。

私もどこかで聞いたと思っていたのですが、「ホーミー」と言っていたことを思い出しました。音が「ホーミーホーミー」と聞こえるのでそのように名付けられていると言われていたような気がします。

ホーミーは、動物の鳴き声など、遊牧民を取り巻く自然の音をまねることから生まれたともいわれています。低く響く声の上に、笛のような高い音が重なる独特の響きがあり、モンゴルの自然や遊牧文化と深く結びついた伝統的な音楽表現です。

そして本作では、このホーミーの低く力強い響きが非常に効果的に使われていると思います。モンゴルの底しれぬ強さと自然の厳しさ、そして不穏な空気感を表現しています。

モンゴルを代表する楽器「モリンホール(馬頭琴)」

本作では、さまざまなモンゴルの民族楽器が劇伴で使用されていると思いますが、その中でもモンゴルを代表する伝統的な民族楽器がモリンホール(馬頭琴)です。作中のクリルタイの宴会のシーンでも描かれていました。その名の通り、長い棹の先に馬の頭をかたどった彫刻が付いているのが大きな特徴です。

台形の胴に2本の弦を張り、弓でこすって演奏します。弦や弓に馬の尾毛が使われており、その音色は、どこか馬の鳴き声を思わせる独特の響きを持っています。遊牧民の生活や儀礼、祝いの席などで演奏され、ホーミーの伴奏にも用いられてきました。

現在でもモンゴルの民族音楽には欠かせない楽器で、歌の伴奏や祝いの場、ホーミーとの共演など、さまざまな場面で演奏されています。馬とともに生活してきたモンゴルの人々にとって、「馬の頭を持つ楽器」が文化の象徴となっていること自体、とても興味深いところです。

モリンホール(馬頭琴)を演奏する男(第4幕より)
©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

第4幕のまとめ

以上、第4幕を見て気になったことを、今回もいろいろと書いてきました。それにしても、本当に情報量の多い回でした。

チンギス・カンの死からオゴデイ即位というモンゴル帝国史上の大きな転換点を描きながら、その一方で、家畜の糞を集める生活、狩猟の儀礼、家畜の屠り方、酒の飲み方、骨付き肉の食べ方、女性の服装、そして音楽まで描いています。

大きな歴史と小さな日常が同じ画面の中に共存している。これこそが『天幕のジャードゥーガル』のおもしろさなのではないでしょうか。

特に今回印象に残ったのは、シタラが8年間モンゴルで暮らしても、完全に「モンゴルの人」になったわけではないことです。彼女はモンゴルの生活を理解し、そこで生きる術も身につけました。

その一方で、イスラーム教徒としての信仰を消して忘れないでいます。モンゴルに復讐するためには、モンゴルを理解しなければならない。そう決意しているシタラだからこそ、この巨大な帝国を内側から、そして外側から同時に見ることができるのでしょう。

さらに、ソルコクタニとの関係も、この8年間で大きく変化しています。『原論』を奪った側と、取り戻そうとする側。本来なら対立するはずの二人が、学問を通じて長い時間を共有していく。その関係がこれからどのように変わっていくのかも、非常に気になるところです。

まだまだ書きたいことはたくさんありますが、このまま続けていると本当に終わらなくなりそうなので、第4幕についてはこのくらいにしておきたいと思います。

そして次回第5幕のサブタイトルは「蛇のまだらは外側に、人のまだらは内側に」。今回少しだけ姿を見せたジャダ石については、第5幕以降、より重要な意味を持ってきます。この話については、次回じっくり取り上げたいと思います。

それでは、また。

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