見出し画像

「ちゃんと」「普通」「当たり前」に疲れたあなたへ|れんパパの自己紹介

仕事終わりの帰り道。
ふっと、ため息が漏れる。

今日も、ちゃんとやったはず。
それなのに、なぜか心が重い。

頭の中には、職場で言われた言葉が残っている。

「ちゃんとやって」
「それって普通でしょ」
「そんなの当たり前じゃん」

こういう言葉に、疲れたことはありませんか。

確認したかっただけなのに、
「そんなことも分からないの?」
と扱われた気がする。

自分の感覚が、周りとズレているように感じる。
でも、何がズレているのか分からない。

このモヤモヤって、けっこうしんどいんですよね。

私は、モヤモヤの奥には、
何かしらのズレがあることが多いと思っています。

言った側の基準と、受け取る側の理解のズレ。
周囲の「普通」と、自分の感覚のズレ。
仕事に使っている力と、暮らしに残っている余力のズレ。

たとえば、言った側には基準がある。
でも、受け取る側には、その基準が渡されていない。

それなのに、まじめな人ほど察しようとする。
先回りして、自分の責任感で埋めようとする。

察する力や先回りは、たしかに大切です。

でも、それが過剰に評価される場所では、
本来なら言葉や仕組みで共有すべきことまで、
個人の気づかいで埋めることになります。

その結果、本人はすり減る。
仕事は属人化する。
暮らしにも余力が残らなくなっていく。

これは、職場だけの話ではありません。

家庭でも。
人間関係でも。
日々の暮らしの中でも起こります。


はじめまして、れんパパです

はじめまして。
れんパパといいます。

私は、元警察官です。
23年間、警察組織で働いてきました。

その後、デイケア職員を経て、
今は幼稚園の事務職員として働いています。

まったく違う職場を経験してきて、気づいたことがあります。

職場は変わっても、変わらない共通点がある。

それは、
仕事のしんどさは、仕事量だけで決まるわけではない
ということです

忙しさもある。
人手不足もある。
責任の重さもある。

でも、それ以上にしんどいのは、
基準が見えないまま動き続けることです。

何を求められているのか分からない。
誰の基準に合わせればいいのか分からない。
確認しても、人によって答えが違う。
なのに、失敗したときだけ自分の責任になる。

大きなトラブルではない。
誰かに怒鳴られているわけでもない。

それでも、じわじわ心がすり減っていく。

そして、そのしんどさは職場だけで終わりません。

家に帰っても疲れが抜けない。
家族に向ける余力が残らない。
休日なのに、頭のどこかで仕事のことを考えている。

そうやって、働き方のズレは、
少しずつ暮らしにもにじんでいきます。


まじめさは、捨てなくていい

私は、まじめな人は素晴らしい人だと思っています。

というより、私自身もずっと
「何事もまじめに取り組む」
ということを大事にして生きてきました。

そしてそれは、今でも変わっていません。

責任感を持つ。
相手の立場で考える。
最後までやり遂げようとする。
できるだけ迷惑をかけないようにする。

そういう姿勢は、本当に大切な力です。

ただ、そのまじめさで、
全部のズレを埋めようとしなくていい。

まじめさを捨てたいわけではありません。
責任感も、やさしさも、なくさなくていい。

でも、それらを使って、
自分の心や暮らしまで削り続ける必要はないと思っています。

だから必要なのは、もっと頑張ることではなく、
何を抱えて、何を手放すかを決め直すこと。

私は、自分を壊さないために、
どこまで受け入れるかを決める線のことを
「防衛線」と呼んでいます。

そして、他人や状況に振り回されず、
自分のことを自分で選ぶ感覚を
「主導権」と呼んでいます。

このnoteでは、
モヤモヤの奥にあるズレを一緒に整理しながら、
働き方と暮らしを整え直す考え方を書いていきます。

まずは、今の自分に近い記事から読んでみてください。

どうぞ、ふらっと立ち寄ってください。


#自己紹介
#働き方
#暮らし
#人間関係
#仕事の悩み
#心の整理
#モヤモヤ



いいなと思ったら応援しよう!

れんパパ|仕事と人間関係のモヤモヤを言葉にする人 ありがとうございます!れんも大喜びです!

この記事が参加している募集