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型を壊す、型が壊れる

*はじめに


「ジャンルを壊す、ジャンルを崩す(言葉とイメージ・07)」の続きです。

 今回は、藤枝静男と古井由吉が自分の小説をどのように壊していったか、その小説がどのように壊れていったかについて、私の考えを述べます。

 ここで言う「壊す」と「壊れる」は悪い意味ではありません。詳しくは「ジャンルを壊す、ジャンルを崩す(言葉とイメージ・07)」をご覧願います。

 小説は散文で書くものですが、散文が何をどのように書いてもいい文章の形式であるとするなら、散文とは本質的に壊れているし、壊れていくものだと私は考えています。

 壊れるとは自由であることと同義なのです。藤枝静男と古井由吉の書いた小説は、自由であることの代償として壊れていった。そんな言い方もできると思います。

 壊れるの反対は安定し固まることです。固まって守りに入ることなのです。壊れつづけるためには力が要ります。固まるのは力が尽きることにほかなりません。


*小説を壊した、小説が壊れていった


 私小説や心境小説という言葉がまといつき、古風で地味な作家だというイメージのある藤枝静男ですが、古井由吉と同様に小説というジャンルを壊そうとした書き手だったと私は受けとめています。

 古井由吉は律儀に自分の小説を壊していき、藤枝静男は恩師に遠慮しながら書いているうちに、その小説が壊れていったという気がします。とにかく壊したのです。だから、私は両作家の作品に強く惹かれるのだと思います。

*古井由吉と藤枝静男の経歴


 二人の経歴を見てみましょう。

 古井は大学教員生活の後に職業作家になりました。藤枝は地方都市で眼科医としての生業を持ちながら、文壇とは距離を置きつつ、小説を発表していました。

 両作家の詳しい経歴については、ウィキペディアの解説をご覧ください。

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 作家としての二人の活動とその経歴を眺めていると、次のような言い方もできそうです。

 古井は職業作家として小説を書きつづけながらも、創作をとおして小説というジャンルを壊していった。自分の生活を支えているはずの小説というジャンルを壊していった、という言い方も可能でしょう。

 藤枝は眼科医として生業を確保しつつ、恩師である瀧井孝作の目を気にするような態度で私小説を書きつづけ、なぜか私小説から逸脱するような作品を書き、結果として私小説というジャンルを壊していった。

 今「なぜか」と書きましたが、後述するように、これは藤枝の中では内的な必然だったのではないかと私は考えています。私小説――ひいては小説一般――からの逸脱は、藤枝にとっては文学的な必然だったのです。

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 古井由吉の場合には、作家となるまでに大学でドイツ文学とドイツ語を教えていた経歴が、その後の作家活動を左右したように思われます。

 とりわけ、ヘルマン・ブロッホとロベルト・ムージルについての論考(『日常の"変身"』(作品社)所収)を読むと、古井がなぜあのような読みにくくて不思議な小説を書いていったのが自分なりに納得できる気がするのです。

 いわば小説を「壊した」、ドイツ語で書いた二人の作家の軌跡を律儀になぞるような小説を書いていったという印象を受けるのです。

 言い換えると、古井の出発点には、ドイツ語で書かれた「崩壊」をはらむ一連の小説の読解、そしてその翻訳に従事したことがあったと考えられます。

 論理体系の崩壊は、人が事物をあらたな眼で眺めるときに起るのではない。むしろ、論理体系が崩れ去ったそのとき、人ははじめて事物をあらたな眼で眺めるようになる。つまり、論理体系の崩壊はあたらしい現実との触れあいによって惹き起こされるのではなくて、論理独自の領域のうちにおいて、論理が無限性の問題にゆきあたるとき始まるのである。これは論理体系の崩壊という現象に関するブロッポの基本的な考えであった。
 すなわち、それは自己分解でなくてはならない。
(古井由吉「ヘルマン・ブロッホ「ウェルギリウスの死」」(『日常の"変身"』(作品社)所収)・pp.165-166)

(※以上の文章の最後のセンテンスには注の番号が振ってあり、この箇所はヘルマン・ブロッホによる「価値の崩壊」という文書を参照したもようです。)

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 私は古井の小説を読んでいて行きづまると、この「「ヘルマン・ブロッホ「ウェルギリウスの死」」によく目を通しますが、古井の作品――たとえば『杳子』や『妻隠』や『仮往生伝試文』や『野川』――への良いガイドになってくれる気がします。

 なお、古井由吉がヘルマン・ブロッホとロベルト・ムージルの小説からどのような影響を受けたかについては、以下の記事で触れているので、よろしければお読みください。

*ヘルマン・ブロッホの影


 例を挙げます。

 たとえば、古井の『妻隠』には、そこにヘルマン・ブロッホ作『ウェルギリウスの死』の影が見えるように私には感じられます。そこでは、いわば「聞く「古井由吉」」(私の個人的なイメージです)の特徴がよく出ているのです。

聞く「古井由吉」:ぞくぞく、わくわく。声と音が身体に入ってくる。自分が溶けていく。聞いている対象と自分が重なる。対象が染みこんで自分の一部と化す。世界と合体する。ヘルマン・ブロッホの影。

見る「古井由吉」:ごつごつ、ぎくしゃく。事物の姿と形がそのままはっきりと見えるままで異物に変貌する。異物感。異和感(古井の好む表記です)・違和感。自分が解体されていく、崩壊していく感覚におちいる。ロベルト・ムージルの影。

 以下は『妻隠』からの引用ですが、作品の視点的人物である寿夫(ひさお)が熱にうなされていたときの自分を回想している箇所です。

 そんな事が一晩じゅう繰返された。ときには彼はいくつもの場所に同時にいるような気がした。すると彼はもうどこかにいるという確な感じの支えをはずされて、途方もないひろがりの中に軀ごと放り出され、自分のコメカミの動悸どうきを、ただひとつの頼りとして、心細い気持ちで聞いていた。動悸の音を細々と響かせて空間はどこまでもひろがっていき、四方に恐ろしい深みをはらんだ。しかも、その空間のどの部分も、それ自身は空虚でありながら、ちょうど大きな岩の中に閉じこめられた紋様のように、永遠で、そのくせどことなく淫靡いんび相貌そうぼうを帯びている。
(古井由吉『妻隠』(『杳子・妻隠』新潮文庫・所収)p.196)・太文字は引用者による)


 上の引用文の太文字の部分に注目してください。

「聞く」、つまり聴覚によって周りの空間を把握し、自分の中でその空間を組み立てていくという、古井に特徴的な言葉の身振りが見られます。 

 以下は、拙文「古井、ブロッホ、ムージル(その1)」からの引用です。

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 古井由吉に「ヘルマン・ブロッホ「ウェルギリウスの死」――象徴と夢について」という興味深い論考があります。以下は、その冒頭の引用です。

 すでに死のしるしを額におびて、ブルンデンシウムの港に到着した病めるウェルギリウスは、皇帝を迎えて熱狂する群衆のあいだを輿に運ばれて来て、やがてアウグストウスの宮殿の一室に落着き、遠い宴のさざめきを耳にしながらひとりもの思いに耽りはじめる。
 これがウェルギリウスの地獄くだりの発端である。
(古井由吉「ヘルマン・ブロッホ「ウェルギリウスの死」――象徴と夢について」(『日常の"変身"』(作品社)所収・p.148より・以下同じ)

 このように、ブロッホ作の「ウェルギリウスの死」の背景と状況が簡潔に要約されていますが、「遠い宴のさざめきを耳にしながらひとりもの思いに耽りはじめる」という部分に私は惹きつけられます。

 後述しますが、私が勝手に「聞く「古井由吉」」と呼んでいるものによく似ている気がするからです。これに続く部分を見ると、その印象がさらに濃くなります。

 ウェルギリウスは熱をおびた身体を寝床に横たえ、おのれの両足さえはるか遠くに横たわっているような分解感にひたりながら、何ものかにむかって一心に耳を傾けている。それはかれが生涯なれ親しんだ姿勢だった。そのようにしてかれは幼い頃、はてしない潮の最後のこだまのごとくかすかに寄せて来る何ものかに耳を傾けたことがあった。そのようにしてかれは生涯、夜な夜な耳を傾けてきた。そして、今夜も。(p.148)

 それほど長くはないこの段落で、「耳を傾けている」「耳を傾けたことがあった」「耳を傾けてきた」と反復されていることに目を見張らずにはいられません。

 こうした反復は古井の書く文章には珍しいことではありません。大切な部分になると同じ語句を律儀にくり返す癖があると言っても言い過ぎではないでしょう。

 さらに私が注目するのは「寝床」「横たわっている」と、「夜な夜な」「今夜も」という反復です。

「書く人」である古井の姿勢、あるいは佇まいのようなものがよくあらわれている反復です。

 なお、この論考は、『日常の"変身"』(作品社)の初出一覧によると「「立教大学研究報告」昭和四十二年」だそうです。当時大学教員だった古井の文章だと考えられます。

(引用は以上です。)

*内的必然によって、結果的に逸脱しジャンルを壊していった


 藤枝静男は、作品の中でやたらとその作品について言い訳をするのですが、そこにたいてい瀧井孝作の名が出てくるので――たとえば、『虚懐』『空気頭』『風景小説』――、思わずにっこりしてしまう自分がいます。

「また叱られそうですが、こんなのを書いてしまったのです……」と言いたげな、恩師に対する気兼ねなのでしょうか。なかなか可愛い面があるのです。

 そうした二人の関係がよくわかる箇所を『虚懐』から引用します。

 ――昔々二十余年も前のある日、手紙で呼ばれて八王子の瀧井孝作氏の家に行ったことがあった。そのまえに、すでに結婚して東京喜多見の家にいた長女とそこから学校に通っていた次女の運転による自動車で氏を訪問して歓迎され、近くの林野庁の試験場に連れられて行って、当時原始植物で珍しいと新聞で騒がれていたメタセコイヤの苗三本を一本ずつ貰ってきたことがあったのだが、今度は「お嬢さんを連れずに一人で来るように」と書いてあった。私はそのころ「空気頭」というヤケッパチみたいな小説を書き、その冒頭で瀧井さんの私小説についての言葉を引用していたのでそれが氏の気にいらなかったのだろうと考えたが、とにかく浜松を出て長女の家に一泊し、しかしやっぱり怖ろしかったから本多秋五に同乗してもらって長女運転の車で近所まで行ってから二人を帰して一人で氏の家の門をくぐった。
 瀧井氏は坐るとすぐ「このあいだ貰ったお茶はあまりうまくない」と云った。(中略)続けて氏は「ここいら辺の狭山の茶でもあれ位の味はする」と云い、続けて「君のこの間の小説を読んだけど何だか汚らしいようで気にいらない」と云われた。そして私が
「自分では一生懸命に考えてもああしか書けなかったのです。今でもわからないのです」と云うと、重い口で「それはそうだろう」と云って黙ってしまった。(中略)
(藤枝静男『虚懐』(『老年文学傑作選』駒田信二編・ちくまライブラリー37・筑摩書房・所収)・pp.135-136・省略は引用者による・以下同様)

 以上は、近所で火事になった場所を見に行く習慣のある「私」の話のなかで突然挿入されているのですが(一行空けや上のように一字空け後のダッシュが用いられます)、こうしたコラージュのような作りは、晩年の藤枝静男が頻用した形式です。

 小説において、コラージュのような形式を採用することは即「壊れる」「崩れる」を意味します。逸脱や脱線が多くなりテーマがぶれるからです。

 外が少し暗くなってきたので「長居したから帰ります」と言うと「ああ、そう」と云われ、入場券を買って八王子のプラットフォームまで見送ってくれた。私はすこし疲れて電車に揺られながら「これで及第したらしいな」と感じ、嬉しかった。
 ――似たようでいて正反対の経験がこの後の昭和四十年ころの私にはある。(中略)
(p.136)

(※「言う」「云われ」という表記のばらつきは原文のままです。)

 以上のように、一字空けた後のダッシュで話が変わり(そこでは「志賀」と「芥川」という文字が見えます)、長めの段落の後に一行空けがあり、次の段落で興味深い話が独白口調で書かれます。この部分は作品全体のテーマから逸脱していると感じる読者もいそうです。

 いったいぜんたいこの文章のモチーフは何だか、自分でもよく解らない。昔流行して今軽蔑されている『心境小説――私小説』と謂えば一番いいかもしれないし、また私自身が今だにその信奉者でもあるのだが、ここのところ書くものがどうもギクシャク、ガタガタして脈絡がなく、あるいはそうでなくても何か一本の太い心棒が筋道を貫いて感じられるとも思えない。随筆では勿論ないし、かと言って嘘話でもない。これでも相当に骨は折るのだから楽しみというものはにもない。――むを得ぬから数日前に起きた近火のことを記して前後を合せて終わりとして置きたい。読んでもらえれば感謝する。
(p.137)

(※「今だに」は原文のままです。)

 引用文の後に、再び行空けがあり、近火の話になります。

 この箇所を読んで私が連想したのは、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』における、自由自在にさまざまな文書を織り交ぜる形式です。この長編小説はコラージュだらけなのです。

(なお、古井由吉も次第にコラージュ的な作風になっていったと私は考えています。最もコラージュを感じる作品は『仮往生伝試文』です。「コラージュ」という同じ言葉をつかっていますが、藤枝と古井とでは趣がずいぶん異なります。文章の細部のレベルで異なるのです。藤枝においてはぶっきらぼうなほど唐突な断片の挿入が目立ち、古井においては、詩歌をふくむ文学作品の引用のほかに、伝聞を緻密に語りの中で織り込みます。藤枝のコラージュはいかにも危なげで、古井のコラージュは見事でそつがないのです。いつかこの点について記事で書いてみたいです。)

 藤枝のいう「昔流行して今軽蔑されている『心境小説――私小説』」を押し進めると、小説(ひいては散文)という形式(ジャンル)は壊れるしかないし崩れるしかないのではないか――。そんな気がしてなりません。

 引用文が実に過激な主張に見えてきます。ヨーロッパ発の散文と小説が、その登場と同時に壊れはじめたという話(文学史でよく出てくる話です)を連想せずにはいられません。⇒「壊れていたり崩れている文は眺めているしかない(散文について・01)」

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 藤枝静男が小説のジャンルについてあれこれ書くさいには、瀧井孝作の名前が必ずというほどよく出てくるのですが、次に『風景小説』という短い作品の冒頭の段落を引用します。

 昭和三十三年四月の「群像」風景描写特集号に瀧井孝作氏が原稿用紙三枚くらいの短文を書いて「風景小説」を提唱されたことがある。戦後に続出した情痴風俗ものに愛想を尽かして風景を主にした小説を書きたいと思い、二十五年の「伐り禿山」、二十六年の「山の姿」、そして二十七年には名作「松島秋色」というふうに試みられた経緯を記されたもので、これは三十四年桜井書店版の随筆集「生のまま素のまま」にも収録されている。紀行文ではない。ちゃんと「小説」と書いてある。しかし誰もとりあげて問題にせず、まるで興味もないようであった。だが私はそれに共感し、今ではますます共感しているから、師に倣って私の風景小説を書いてみる。 
(藤枝静男『風景小説』(『愛国者たち』講談社文芸文庫)所収・p.141)

 この書きだし方は、『空気頭』の出だしとよく似ていると私は感じます。

 二十代の終わりころ、瀧井孝作氏を訪問すると、二、三百枚の本郷松屋製の原稿用紙を私の前に置いて「これに小説を書いてみよ」と云われたことがあった。そして「小説というものは、自分のことをありのままに、少しもゆがめずに書けばそれでいい。嘘なんか必要ない」と云われた。私は有難いと思ったが、もちろん書かなかった。そのころの私には、書くべき「自分」などどこにもなかったから、書きようがなかったのである。
 私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う。
(藤枝静男『空気頭』(『田紳有楽 空気頭』講談社学芸文庫)所収・ p.143)


 唐突で飛躍していると言われそうですが、上の段落を読んでいると、私は雑誌「群像2024年3月号」に掲載された蓮實重彥の文章の一節を思い浮かべずにはいられません。

「小説というものは、自分のことをありのままに、少しもゆがめずに書けばそれでいい。嘘なんか必要ない」という瀧井の言葉を、私小説的な意味での回想された過去の実体験の「再現」(そんなものがあればの話ですが)ではなく、作品を書きつつある作者の「いまここ」を執筆することであると、私が勝手にとらえているからです。

 この思いは現在の私のオブセッションとでもいうべきものであって、そのように解釈する根拠はありません。個人的、そして私的な思い込み以外の何ものでもないのですが、衝動を抑えることができないので躊躇うことなく、以下に引用します。

 引用するのは、蓮實による論考(講演の活字化)の中でもっとも刺激的だった pp.237-238 の一部です。

「人は仕事にかかる前に起こっていたことを書くこと(あるいは描写すること)はいたしません。そうではなく、書くのは創作中に起きたこと(それはあらゆる意味においてです)であり、あらかじめの漠然とした意図と言葉との葛藤ではなく、それとは逆に、意図と言語の共生なのであり、それは少なくともわたくしにおいては、あらかじめの意図よりも遙かに豊富なものをもたらすのです」(1986, p.25)と引用した後、シャック・ネフによる『フランドルへの道』をめぐる美しい論文を引きながら、彼女は、クロード・シモンの「文体的な力の一つは、断片的なものの表現(構文的、語彙的、音韻的論的な)を持続性の網の目に包括するかどうかにかかっている」(p.59)と述べており、エルシュベール=ピエロは『フランドルへの道』の作者においても、散文のテクストというものが、「生まれたばかり」のものであるという現実を威厳に満ちたやり方で示しているのです。
「蓮實重彥「散文は生まれたばかりのものである――『ボヴァリー夫人』のテクストに挿入された「余白」についての考察」(雑誌「群像2024年3月号」)

 上の引用文の中で引用されているのは、「ノーベル文学賞受賞時におけるクロード・シモンの『ストックホルムでの演説』」の一節なのですが、これは「傑出したフローベール研究者」である、アンヌ・エルシュベール=ピエロの著作『散文の文体論』からの引用という形を取っています。

 創作中において「意図と言語の共生」が起きる具体的な場であり形となっているものが、書きつつある作者の「いまここ」ではないか、と私は理解しています。

 詳しく言うと、始まりと途中と終わりのない「いまここ」(拙文「始まりと途中と終わりがないものに惹かれる」より)であり、同時に「いまここ」でもない、としか言いようのない、宙吊りされた動きと揺らぎの場であり形なのです。

 なお、引用した蓮實重彥「散文は生まれたばかりのものである――『ボヴァリー夫人』のテクストに挿入された「余白」についての考察」は、私が今年文芸誌で読んだ論考でもっとも刺激を受けたものです。

 note で記事を書くさいには、この文章が必ず頭のどこかにあり、自分の書くあらゆるものに影を落としている気がします。

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 話を藤枝静男の小説に戻します。

 この記事の冒頭で、藤枝静男は恩師に遠慮しながら小説を書いているうちに、その小説が壊れていったという気がする、と私は書きましたが、『風景小説』と『空気頭』の出だし、および『虚懐』の引用から、その意味がおわかりいただけたでしょうか。

 その一方で、私小説を積極的に次第に崩していった果敢な作家という相反するイメージも、私はいだいています。

 自他と時空が錯綜した世界を描く『田紳有楽』を読むと、それ以前の藤枝の諸作品に出て来る事物や風景のコラージュのようなその作りに「なるほど」と得心するからにほかなりません。藤枝静男という作家の内的な必然を感じたのです。

 藤枝は藤枝なりに、「小説というものは、自分のことをありのままに、少しもゆがめずに書けばそれでいい。嘘なんか必要ない」という瀧井の言葉を守っているとさえ、私は言いたいです。

 ただし、上でも述べましたが、私小説的な意味での回想された過去の実体験を書くのではなく、作品を書きつつある、私小説の書き手である藤枝の「いまここ」――執筆中の言葉の現在(回想でも再現でもないのです)とも言えるでしょう――をありのままに歪めずに嘘なしに書くという意味です。

『田紳有楽』では、「私」という一人称の語り手(池の底に住むグイ呑みであったり(p.15)、弥勒菩薩の化身であったり、柿のへたと呼ばれている抹茶茶碗であったり(p.25)、本名は滓見かすみ――藤枝の本名を想起させます――という丼鉢であったりします)が(p.37)、あたかも目だけ、あるいは意識だけになって、懐かしい藤枝的風土を漂い、さまよいます。

 さまよいながら、藤枝ワールドに出てきたさまざまな物や生き物や想像物と交流を重ねるのですけど、そもそも藤枝の諸作品では常に語り手や登場人物がさまよい歩きます。家の「主人(あるじ)」である人物が家を出て、広義の「客」――まろうど・過客――となってさまようことこそが藤枝静男における「私」の身振りなのです。

 今述べた「主人(あるじ)」と「広義の「客」」については、「「似ている」を求めて(「客」小説を求めて・01)」をお読み願います。

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 なお、藤枝の作品における「彷徨」については、私は蓮實重彥の「藤枝静男論」から多くを得ています。このテーマをめぐっては、引用するにふさわしい短い段落があるので紹介します。

 だから、まず始めに「家を出る」身振りがある。それに続いて「彷徨」が、さらには大地の隆起や陥没地点で「足を止める」動作がある。そしてこうした身振りや動作は、いささかも比喩的な領域にとどまるものではないのだ。
蓮實重彥「藤枝を読む」「Ⅰ 大地隆起、そして陥没」「藤枝静男論 分岐と彷徨」『「私小説」を読む』(中央公論社)所収・pp.58-59)

 引用にさいしては中央公論社刊の単行本を使用しましたが、現在は講談社文芸文庫版で読むことができます。

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 荒唐無稽だと言われることの多い『田紳有楽』ですが、むしろ藤枝静男の「私小説」群にしっくり収まっていると言えるでしょう。

 生と死、彼我(自他)、物と心、世界と自分、空想と現実、こことかなた、現在と過去――そうした対となる要素の境を取り払った上での、紙を前にしていまここで文字を書きつつある「私」の小説という意味での私小説であり心境小説なのです。

 藤枝は私小説と心境小説というジャンルの型を壊し崩したと言えます。崩し壊したとはいえ、藤枝の中では依然として私小説であり心境小説だったにちがいありません。

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 短編集『欣求浄土』の最後の掌編である『一家団欒』には、登場人物が意識だけの存在になってふわふわと漂いながら一族の墓場に赴く記述があるのですが、そこは『田紳有楽』の前奏だったように思えてなりません。

 また、藤枝が『空気頭』で試みた飛躍は、私小説作家を自認し自称していた藤枝にとっては内的必然であったと私は理解しています。

「私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う。」と藤枝は『空気頭』の冒頭で述べ、続けて次のように書いています。

 私は、ひとりで考えて、私小説にはふたとおりあると思っている。そのひとつは、瀧井氏が云われたとおり、自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく写して行って、(中略)もうひとつの私小説というのは、材料としては自分の生活を用いるが、それに一応の決着をつけ、気持ちのうえでも区切りをつけたうえで、わかりいいように嘘を加えて組み立てて、(中略)
 私自身は、今までこの後者の方を書いてきた、しかし無論ほんとうは前のようなものを書きたい慾望のほうが強いから、これからそれを試みてみたいと思うのである。
(藤枝静男『空気頭』(『田紳有楽 空気頭』講談社学芸文庫)所収・ pp.143-144・省略は引用者による)

 そう書きながら、藤枝は『空気頭』において従来の私小説から逸脱し、その型を壊していくでのです。結果的に壊していったとも言えるかもしれません。

 この引用部分で、藤枝が逆説を述べているとか、まして冗談を言っているのだとは私は思いません。

 藤枝は自分の書く小説に対して律儀なのです。引用文では、話者が自分の書く小説の内的必然を言葉にしただけだと私は理解しています。

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 古井の場合も藤枝の場合も、自分の書いてきたジャンルを壊すというのは、私にはいさぎよい行為に感じられてなりません。壊すのには力が要ります。尊敬します。

*大地を彷徨する、道路で停滞する


(……)起伏と陰翳にとぼしく、隆起と陥没とが風景に彩りをそえることのない表層を人目にさらすことで不当に貶められるもの、それは、いま、この瞬間に言葉がその表面に刻みつけられつつある「紙」、それを程よい高さで支えつつ視線を調節する「机」、筆を滑らせつつあるものが外気にこごえることから救っている「壁」、乾燥と湿気を調節しつつ足を保護している「床」といったものだが、さらには、その同じ瞬間に、別の場所で匿名の足によって踏みかためられつつある「大地」、あるいはその特権的形態としての「道路」などをそれに加えてもよかろうが、こうした平板でのっぺらぼうな顔たちの群に向って、「生活」が投げかける邪悪なる侮蔑の念というか、ほとんどの場合は無関心と呼ぶべきであろうものは、奇妙にも、日常生活の圏域から知的反省の次元にまで均等に流れだしており、だから「文化」が制度としての不可視の体系を強固なものとするのは、意図的な構造化の試みというより、経験的な知と反省的な知との曖昧な妥協ぶりによってなのだ。(……)
(蓮實重彥「紙、そして貶められた表層」「Ⅰ メロドラマとしての「思想」」「表層の回帰と「作品」」(『表層批評宣言』ちくま文庫)所収・p.54・(……)を用いての省略と太文字は引用者による)

 文庫本で七ページにまたがる「紙、そして貶められた表層」において、「表面」あるいは「平板」という類似で登場するものたちのなかで、「大地」はそれが人工物ではないという点で異彩をはなっています。なお、「パピルス」と「獣皮」(p.56)は自然物を加工したもの、つまり人工物です。

 逆に言うと、人の生活がどれほど表面が平たい人工物に依存しているかがうかがわれる文章と言えるでしょう。依存と言うより嗜癖だと言いたくなるほどです。

 それはともかく、引用文で「大地」と「道路」があることに私の目は引きつけられないではいられません。思いは藤枝静男の諸作品へと及びます。同時に「彷徨」という言葉が浮びます。

 なにしろ、藤枝は枠のある狭く限られた場でしかない平たい紙の上でペンを走らせる形で彷徨しつつ、局部的にしか平たくはない大地で彷徨する存在を書きつづけたのですから。

     *

 今回は、藤枝静男と古井由吉の小説についてお話ししていますが、古井の諸作品では、「藤枝的存在」のように「大地」を「彷徨」するというよりも、むしろ「道路」で「停滞」するという印象を私は受けます。

 とはいうものの、古井の作品でも、「大地」で「彷徨」する身振りを強く感じるものがあります。

 たとえば、『東京物語考』(同時代ライブラリー・岩波書店)です。この作品では地形と地勢の描写がたくさん出てきます。「平板」な「道路」を歩きながらの描写なのですが、その視線は「大地」と「隆起と陥没」に注がれているような気がします。その意味では、藤枝の視線と彷徨に似ていると言えるかもしれません。

 地勢と地形で忘れられないのは、古井の『島の日』(『夜明けの家』講談社・所収)です。ヨーロッパを旅したさいの紀行文の趣がある文章ですが、最後のほうでいきなり壊れる展開があって驚きます。

眠れずに苦しんでいるのはこの自分よりも、誰かがこの自分の中でしきりに眠りたがっているのに眠れずにいるのだ、とこれはどんなものか。
(p.063)

(※引用にさいして利用したのは単行本です。)

 ねちっこく緻密で周到な風景の描写が続いたあとに、突然崩れるのです。異色な印象の大地の彷徨から、いかにも古井らしい、懐かしい道路の停滞にもどったという感じがします。

     *

 古井と藤枝を強引に比較しようとする企みの誘惑に陥りましたが、浅はかでした。古井は古井、藤枝は藤枝です。

 私は藤枝の作品のいい読者とは言えません。読もうとしても古井の作品ほど熱が入らないのです。

 でも、今回の記事を書くに当たって、藤枝の諸作品を拾い読みしているうちに熱が出てきました。身体の発熱ではなく、いい意味での熱です。

 しばらく藤枝の作品を読んでみようと思います。私の好きな言い方だと「眺める」のです。

  壊れたり崩れた文章、つまり散文は、読めなかったり読みにくい。だから、眺めているしかない――。⇒「壊れていたり崩れている文は眺めているしかない(散文について・01)」

 私にとって、散文とはそういうものなのですが、藤枝の散文をちゃんと眺めてみたくなりました。

     *

 長い記事になってしまいました。ここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございます。


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