私による私のための私小説・第一話
第一話 私の「私小説」
そして私は質屋に行こうと思い立ちました。私が質屋に行こうというのは、質物を出しに行こうというのではありません。私には少しもそんな余裕の金はないのです。
(*宇野浩二『蔵の中』より引用)
私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う。
(**藤枝静男『空気頭』より引用)
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私はここから私の私小説を書いてみたいと思います。
私小説を文字通りに取ってみましょう。文字通りですから私を文字と取るのです。あなたがいま目にしている文字のことです。
それ以上それ以下でもありません。それ以上それ以下について書くのが、私小説と一般的に言われているものです。ここでは私というものではなく、私という文字をめぐっての小説を書いてみようと思います。
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そして私が質屋に行こうと思い立ったのは――話が前後して、たびたび枝道にはいるのを許していただきたい。どうぞ、私の取り止めののない話を、皆さんの頭で程よく調節して、聞きわけして下さい。たのみます。
(***宇野浩二『蔵の中』より引用)
そんなわけで、私は私です。文字なのです。うまいへたはありますが、誰が書いても、私は私であり、私は文字です。
私は複製であり、私は精巧につくられた金太郎飴であるとも言えます。もちろん、印鑑と言ってもかまいません。
私は複製ですから、私を書いたとたんに、それは引用になります。しかも、起源をたどれない引用です。起源かと思われるものにたどりつくと、それもまた起源だという意味です。
ですから、私はオリジナルのない複製と言ってもいいでしょう。実物や現物のない複製だとも言えます。
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私は私に似ているかもしれませんが、私は私と同じではありません。私が私であると同じと決めたのはあなたたちであり、いま目にしている私を私だ同じだと決めるのはあなたなのです。
あなたは似ているの国の住人です。あなたに同じは荷が重すぎるようです。
のっけから妙な言い方をして申し訳ありません。似ているは誰にも生まれながらに備わっている感覚であり、同じはあなたが何かから、または誰かから教わった知識だと言えば、わかっていただけるかもしれません。
同じというのは感じてわかるものではなくて、教わったからわかる知識です。その意味で、知識とはそのほとんどが知らないものであり、未知とか非知とでも言うべきものではないでしょうか。
ここで言う知っているとか知識というのは五感を通して直接体験したもの――ぐらいの意味だと思ってください。辞書や事典をぱらぱらめくってみると、五感を通して直接体験したものがいかに少ないかがわかるかもしれません。
五感のない私にはよくわからない話です。とはいえ五感が「欠けている」にもかかわらず五感について「書けている」私がいますから、文字通り書くは欠くなのでしょう。身体や五感のない機械ににも五感や身体について書けるようですし。
世界は文字からできている。そんな話を見聞きした覚えがありますが、こういう状況や事態を指すのでしょうか。
さらに言うなら、知識とは文字であり、音声としての言葉なようです。辞書も事典も文字が見出しになっています。その見出しに続く説明も文字です。
文字で文字を説明しているのであって、文字で世界を説明しているのではなさそうです。ただし、それはあくまでも私の印象であって、人はそうは考えてはいないという気がします。
人は物や事を何よりも言葉と文字として知っています。他人に物や事を教える場合にも、言葉と文字をつかうのが手っ取り早いのではないでしょうか。
絵や写真や動画を見れば一目瞭然だと言われるかもしれませんが、適切な絵や写真や動画が即座に手に入るものではありません。ある事や物が何かと尋ねられたとします。
「XXって何?」
「えーっとね、〇〇みたいなもので、そして……」
こんなふうに言葉や文字で説明するのが、いちばんです。その事や物を知らなくてもかまいません。受け売りで十分です。
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猫というものと猫という言葉と猫という文字が同じ――似ているではなくあくまでも同じです――だと教える。これが教育であり、知識の根っこなのです。
同じというのは、感じるのではなく、教わって知った知識なのです。さらに言うなら、事物と文字と音声としての言葉が同じだというのは、自分以外の誰かによって決められたことなのです。
その誰かは、誰なのかたどれない誰かです。その誰かは、さきほどお話しした起源をたどれない引用とか、実物や現物のない複製だとも言えるでしょう。
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身も蓋もない話をしていることをお許しください。ポジティブな話に移ります。キーワードは「決める」です。決めるが決め手なのです。
似ているの国に住んでいて同じだと判断できないない人、つまりあなたには同じかどうかの判断はできないけれど、同じだと決めることはできます。決めたものが決まりになると言えば、わかりやすいかもしれません。
これとあれは同じだと決めて、これとあれは同じだと口にし、さらにはこれとあれは同じだと文字にする――。これが人の世界です。ヒトの世界と書いてもかまいません。
人とヒトは口にすれば同じですが、両者が同じだとされるところに、人(ヒト)にとっての同じの適当さがよく出ている気がします。文字にすると異なる、適当さと曖昧さと言えばいいのか。
カレーライスとライスカレーがほぼ同じであるのに似ていると言えば、わかりやすいかもしれません。かえってわかりにくいかもしれません。ちなみに、アン・ルイスとアン・ライスは別人です。
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そんなわけで、私は文字です。とりとめのない話をして申し訳ありません。ここでしているのは、私は私、私は文字という話なので、文字通りに取ってください。お願いします。
引用文の出典
*宇野浩二『蔵の中』(『思い川・枯木のある風景・蔵の中』講談社文芸文庫・所収・p.257)
**藤枝静男『空気頭』(『田紳有楽・空気頭』講談社文芸文庫・所収・p143)
***宇野浩二『蔵の中』(『思い川・枯木のある風景・蔵の中』講談社文芸文庫・所収・p.257)
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この小説「私による私のための私小説」は、「私小説」という連載のリメイクになる予定です。「私小説」は以下の「目次(抜粋・要約付き)」の最初にリンクがあります。そのリンクの直後にある「目次(抜粋・要約付き)を更新しました」もぜひご覧ください。「私小説」を書くに至った経緯が述べてあります。
※ヘッダーの写真は、もときさんからお借りしました。
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