見えないはずのものを見ようとするとき(人のつくるものについて・05)
前回の記事「始まりと途中と終わりのあるものを収納する(人のつくるものについて・04)」では、直線状の物の収納法についてお話ししました。
簡単に言うと、一つの方法として丸めればいいのです。丸くすれば、丸く収まるし納まる。つまり、収納できると言えます。
お急ぎの方は、「まとめ」からお読みください。
まるい、丸い、円い
「まるい・丸い・円い」には二種類あるような気がします。円と球の二種類です。
両者は似ていますが、同じとは言いにくいです。平面と立体の違いでしょうか。
そう考えると四角いとか角張っているも、二次元と三次元に、またがってつかわれているようです。言葉って意外とアバウトなのですね。
というか、人にはそういうふうに見えてしまうのかもしれません。
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月が丸い。月がまんまるだ。
昔とか大昔の人、特に庶民というか一般人には、まさかお月さまが球状だとは考えもつかなかったのではないでしょうか。お日さまだって、そうにちがいありません。
昔々であっても、偉い学者とか、天体の観察や実験に長けた人なら、月と太陽が球状であることを理詰めに説明できたのかもしれません。でも、庶民には、そんなことを考える余裕はなかったのではないでしょうか。
私は庶民です。肩書きはありません。
*まるい、円い、丸い
・円、平面
・球、立体
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とはいうものの、今となっては、球状の物と円形の物の区別には誰もが敏感になっていると言えそうです。
問題は、円形の物にも二種類あることなのです。
*まるい、円い、丸い
・うずまき・渦巻き、まく・巻く・捲く、らせん状
・回転、めぐる・回る・廻る・巡る、サイクル
簡単に言うと、「まく」と「まわる」は違うのです。よく考えると、かなり違うと言えます。
蚊取り線香、巻き尺、レコード
まず、「うずまき・渦巻き、まく・巻く・捲く、らせん状」から見てみましょう。
とにかく、「まく」のです。ぐるぐる巻く。
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分かりやすいのは蚊取り線香でしょう。一目瞭然で、うずまき状なのが見て取れます。
巻き尺やトイレットペーパーもそうです。セロテープだと透明なので、渦を巻いているのが体感しにくいかもしれませんが、渦です。
ところで、渦と禍と鍋は似ています。いきなり、私なんか目にすると戸惑います。
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分かりにくいというか体感しにくいというか見にくいのがレコードです。今ではなかなか目にする機会がありませんが、あれは渦を巻いています。細い溝が、です。
これも目にする機会がだんだん減ってきていますが、カセットテープも巻いてあります。
細かいギザギザの溝、細い磁気テープ――こうしたものから音が出るのですから、アナログというものには、なかなか味わいが深いところがあります。体感できるからです。
デジタルという方式は、体感できない点が味気ないし不満です。いかにも年寄りらしい意見でしょうが、これは本心です。
時計、車輪、観覧車
「まく・ぐるぐる巻く」の次は、「まわす・くるくる回す」の話をします。両者は似ていますが、よく見ると、かなり違ったことをしています。
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アナログ式の時計では、文字盤が円状です。長針、短針、場合によっては秒針の先っぽが、えんえんと回るという仕組み。
回ると言うよりも回り続けるという感じ。続くのです。えんえんと。
えんえんと回り続ける――。
もちろん止まることもありますが、回り続ける点が、渦を巻くとの決定的な違いです。
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上で見た、蚊取り線香、巻き尺、レコードの溝の場合には、渦です。
渦は線を巻くという方法で収納したものですから、始まりと途中と終わりがあります。
蚊取り線香が、巻き尺の帯が、レコードの溝が、巻いてあるのです。伸ばせば、線になります。
見えるし、体感しやすいし、イメージもしやすいです。
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時計、車輪、観覧車、メリーゴーランド、独楽(こま)――。
こうした回転する物は、何が回り続けているのでしょう?
そう尋ねられると、言葉に詰まります。それぞれ回転している部分があるわけですから、その部分が回転していると答えるしかありません。
とはいうものの、今ひとつしっくりこないのです。
何が回転しているのか? 何がえんえんと回っているのか?
上で見た巻いてある物が体感しやすいのに対し、回転する物は、何がえんえん回っているのかが、今ひとつ、つかめない。それが私の実感です。
もちろん、こういうのは印象ですから、個人的な思いであり、感覚でしょう。人それぞれです。
とき・時・時間
そんなわけで私の個人的な思いを述べます。
くるくる回り続けているのは、時間ではないでしょうか? 物ではなく時間です。ついでに言うと、時刻ではなく時間です。
とき、時、時間、time――。何と呼ぼうと、どう書こうと、時間は見えません。それなのに、誰もがその拘束から逃れることはできないのです。
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ぐるぐる回り続けているのは、時ではないでしょうか?
時が見えるというのではありません。時を見た人はいないと思います。
みなさんは一日に時計を何度見ますか? テレビやスマホに表示される時刻を示す数字でもかまいません。「1:53」とか「13:53」みたいに。
その時、みなさんは何を見ているのでしょう? 時計ですか? 数字ですか?
時計のデザインが好きで飽きもせずに一日に何度も見る人はいないと思います。いや、いるかもしれません。人それぞれですから。
テレビやスマホに表示されている時刻を示す数字のデザインとか、数字の組み合わせの醸しだす雰囲気が好きで見る人も、なかにはいるでしょうが、ごく少数だと思います。
少数の方、無視するようで、ごめんなさい。
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仕切り直します。
誰かを待っているときにも、時計やスマホなどの時刻の表示をちらちら見ることがありますが、あのときには何を見ているのでしょう?
見えない時間を見ている――なんて意味ありげな言い方でお茶を濁すこともできそうです。そんなふうに言われると、詩や広告のコピーみたいに思わず納得しそうな自分がいます。
あれは見ているのはないと私は感じています。そりゃあ、確かに何かは目に入っているし、目に映っているはずです。
でも、見ていないのです。
見入られている――。そんな気がします。見られているでもいいです。にらまれているも、ありだと思います。
蛇に見入られる。悪魔に魅入られる。そんな感じです。
見入ると見入られるのですから、ミイラ取りがミイラになるのと似ています。
時の神
みいる、見入る、魅入る、みいられる、見入られる、魅入られる。
とりつく、取り付く、取り憑く、とりつかれる、取り付かれる、取り憑かれる
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で、何に見入られているか、何に魅入られているかですが、時間だと思います。
時間はこわい。おそろしい。逃れられない。
時間の推移と拘束から逃れることのできる人はいません。人だけではなく、ほかの生き物たちも、無生物もです。
つまり、森羅万象が時間の推移と時間の拘束(束縛でもいいです、あと緊縛や禁縛でもよさそうです)から逃れることはできないのです。
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人で考えてみましょう。
どこかの最強の独裁者でも、世界で有数の大富豪でも、年を取ったり、病気になったり、大切な人をなくしたり、そしていつか死ぬのがこわいだろうと想像します。とりわけ死は死ぬほどこわいにちがいありません。
今列挙したどれもが、逃れられない時間の推移と拘束の結果としてあるはずです。
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人類は時間をどんなふうにイメージしてきたのでしょう?
「時の神」で画像検索することをお勧めします。いろいろ出てきますが、どれも恐ろしい感じです。不気味なのです。
あと、鎌を持っている像が目立ちます。
「死に神」でも画像検索すると興味深い像がヒットします。
ここでも、鎌を持つ姿が目立ちます。
鎌ですよ。釜や鍋じゃなくて。恐ろしいじゃありませんか。私はこんな神さまにお会いしたくはありません。
補足:「時間が見えない」について
ここでお断りしておきますが、「時間が見えない」というのは、時間の経過(過ぎ行くこと)や推移(移り変わり)による結果としての成長や劣化や老化などの変化のことではありません。それらは目に見えます。
そうした目に見える推移をもたらしている「時間というもの」が見えないいう話を、ここではしています。「時間というもの」は、かたちも姿も見えないのです。
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「時空」という言い回しがありますが、見えるか見えないかという点で、空間と時間は大きく異なっている気がします。
上で述べた目に見える推移のなかに、時計が表示する刻々と変移していく時刻を含めていいでしょう。目に見えるからにほかなりません。なお、時計は時を刻むのではなく、時刻を表示するだけだということは失念しやすい点だと思います。
まとめ
なんで人は時計をじっと見つめることがあるのでしょう?
時間(時刻ではなく)が怖いからです。ただし、時を忘れている時には怖くはありません。
そもそも時刻(時刻は見えます)を知りたいというのは、時間(時間は見えません)が過ぎるのが怖いと同義なのです。
無慈悲に過ぎ去り、情け容赦なく人を拘束し束縛する時間ほど怖いものはありません。しかも、時間は見えないと来ている。
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時計を見つめるとき、人は何を見ているのでしょう?
時計のデザインでも、デジタル式なら数字の並び(組み合わせ)を見ているのでもありません。
時刻を見ているのでもありません。見える時刻は一度見れば、それで事足ります。
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なんで時計をちらちら見るのでしょう? なんで気になるのでしょう?
見えないはずの時間を、無意識のうちに必死で見ようとしているからです。時刻ではなく、見えない時間というものが気になってならないのです。
言い方を変えると、時計に見入られている(見つめられている)のです。
(その意味で、時計に見入る行為は、鏡を覗き込むのによく似ていると言えるでしょう。鏡は時計と同じくらい人には不思議なものであり、とても気になるものなのです。)
時間から逃れられる人はいません。時間は私たちをじっと見張っている、つまり、見入っているのです。
時計がある限り、私たちは時間に「見入られている」ことになります。「魅入られている」と言うべきでしょう。
【みいる・見入る】
②(「魅入る」とも当てる)執念をかけて、取りつく。魅する。
例文:「悪魔に魅入られる」
時計がある限り、私たちは常時時間に魅入られているのです。私たちが時間をどんなに無視しても、です。見えないものを無視するというのも言い得て妙ですけど。
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人は見えないものを見ようとすると、その見えないはずのものに魅入られることがある。その対象が存在するかしないかに関係なく。
そんなふうに思います。
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なんで時計は丸いのでしょう? 時間がえんえんと続く直線だったら、収納できないからにほかなりません。
あと、安心するためです。ほら、時計がえんえんと回り続けると、「また三時がやってくる」、「とうとうやって来た」なんて安心できるからです。
「また三時がやってくる」、「とうとうやって来た」、「また三時がやってくる」、「とうとうやって来た」……。
三時が今度いつ来るかが不明だったら、安心していられません。
カレンダーも同じです。安心するために、日と曜日と月がくり返して表示されているのです。
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ぐるぐる巻くでは、不十分なのです。蚊取り線香を思いだしてください。いつか終わりが来るじゃありませんか。
トイレットペーパーもそうです。
くるくる回るでも頼りない。くるくる回り続けるじゃなければ、なりません。
何がって時間が、です。ここではずっと時間の話をしています。時刻ではなく(両者の区別はきわめて重要です)。
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えんえんと回り続けるじゃなきゃ、安心できないのです。
(※「巻く」と「回す・回る」は違います。時計で言えば、ぜんまいは「巻く」のあって、文字盤の針は「回す・回る」のです。定期的に巻かないとえんえんと回らないという理屈です。)
大切なので、くり返します。えんえんと回り続けるじゃなきゃ、安心できないのです。
時計、車輪、観覧車、回転木馬、メリーゴーランド、ティーカップ(コーヒーカップ・遊具のことです)、スマホの画面、ベッドメリー、数珠、マニ車、走馬灯――。
(※上の例でしれっと「スマホの画面」と書きましたが、スクロール(scroll)というのは、元は巻物みたいに「ぐるぐる巻く」ことなのですが、ほとんどの人が「くるくる回している」つもりでいると思われるので、ここに入れました。「えんえんと回り続けるんじゃなきゃ、いや」という感じでしょうか。)
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人類はえんえんと回り続けるものに取り付き、取り憑かれているかのようです。
これは、無慈悲で情け容赦ない時の神や死に神への対抗策だと思われます。
なお、えんえんと回り続けるものをえんえんと回し続けているものについては、考えないほうが良さそうです。おそらく、それは見えないもののはずですから。
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あ、時間が来ました。では、失礼いたします。
見えるはずのないものを見ようとする時、人は何かに魅入られている、つまり取り憑かれている、という話でした。
(つづく)
