「寝たらいいじゃないか」。遊牧民の夫の一言で、がまんするのをやめてみた
「眠い」と言ったら、「寝たらいいじゃないか」と夫は言った。
わたしには、モンゴル人の遊牧民のダーリン(夫)がいる。現在、モンゴルと日本の二拠点で別々に暮らしている。

先日、どうにもこうにも眠い日があった。運動をして帰宅したけれど、まだ夕方。眠るには早いし、昼寝するには遅い。でもやることは山積みで、なんとか起きていたい。
目を覚ますべく、モンゴルにいる夫に「眠い」とメッセージをしたところ、「寝たらいいじゃないか」と返ってきて、思わず吹いた。結果、2時間くらい寝た。
また別の日。夜にどうにもお腹が空いて、何か食べたくなった。冷蔵庫には、たっぷり食べ物も入っている。ただこの一年、くっちゃ寝した結果なのか、家にこもってnoteを書き続けたせいなのか、順調に肥えていた。そのため、寝る前は何も食べないよう気をつけていたのだが、その日はどうしても「お腹空いちゃったぞ!なんかよこせ!」と、わたしのお腹がうるさい。
なんとか己の理性を抑えるべく「少しお腹空いてきたけどがまんしたいなあ」とこれまた夫にメッセージしたところ、「なんか食べたらいいじゃないか」と返ってきて、これまた思わず吹いた。結果、無糖ヨーグルトを食べた。
ええじゃないか。眠ったらええじゃないか。食べたらええじゃないか。そんなような名前の絶叫マシーンがあった気がするし、「◯◯したらいいじゃないか」という物言いは、どこか貴族の王のような風合いを纏っている。眠い妻が玉座の王に謁見し、「寝てもよろしいでしょうか」と伺いを立てているような、妙な軽やかさだ。


寝たいけどがまんする。やりたいけど、今はがまんする。わたしもこれまでの人生で、何度もこれをやってきた。確かにわたし達には理性があるし、社会的な生き物だ。すべてにおいて本能のままに動くことは、なかなかしにくかったりする。
とは言っても、今回のわたしの場合、別に寝たっていいし、食べたってさほど実害はなかったはずだ。でも、ためらってしまった。
なぜ私たちは、眠いときに寝て、食べたいときに食べるという、野生動物なら当たり前にやることにすら、すぐに自分に許すことができないんだろうか。
おそらくそれは、「こんな時間に寝たら怠惰だと思われる」「自己管理できない人間だと思われたくない」「寝る前に、もっとやることがあるんじゃないか」という声なんじゃないか。つまりわたしは、自分の身体の声ではなく、どこかにいる「他人の目」に許可をもとめがちである。
これはもう、筋金入りである。
以前人事をやっていた時、わたしは土日も携帯をチェックし、新しい応募者がいないか、連絡が来たらすぐ返そうと常に戦闘体制だった。結果「いつもレスが早い」という評価は得たけれど、その分いつ何をしていても、いつでもキレのいいパンチを繰り出す準備をしなければいけない。歩きながらでもメッセージを返す。眠い目を擦ってでも、まず携帯を握る。
あの頃のわたしは、寝ていいかを身体にではなく、「レスの早いわたし」という評価に伺いを立てていた。そうして許可を他人に明け渡した結果、大理石のようにバッキバキに凝った首肩と、大変に仲良くなった。今も、まあまあお友達である。
夫は遊牧民として生まれ育った。遊牧民も実は、環境的には過酷だ。思い通りにならない自然の中で、生き物相手に暮らしている。雨がふりしきる中、放牧で一日中外にいることもあるし、マイナス四十度の世界で一日じゅう外に立って生き物を見ていたりもする。現代人からしたら非合理の塊みたいな暮らしだ。
ただその分すごいのが、身体感覚である。
人の気も、自分の体調も敏感に感じとるし、雨が降るかどうかも皮膚で当てる。明らかに体に悪そうなものは「なんかこれ、あんまり良くないと思う」と、理由もなく敬遠したりする。
そんな彼もかつて、軍隊という死ぬほど過酷な環境や、連日の夜勤などを経験し、己の身体の声を無視し続けた結果、壮大にぶっ倒れた経験がある。だから余計に「体の声を聞くって大事」というのがあるのかもしれない。なので、夫はよく昼寝をしたりしているし、腹が減れば食う。夜もさっさと寝る。
以前、21時頃に渋谷のドンキホーテに行った時は、帰ってから眠れないほどに身体が興奮反応を示してぐったりしていた。野生的な人間からすれば、あのギンギンに輝く街は、刺激が強いのかもしれない。
そういう意味では、夫は極めてシンプルな生命体のように見えるし、その何気ない一言で、「そっか、そうだよね」と思うことがしばしばある。
「寝たらいいじゃないか」も「食べたらいいじゃないか」も、「疲れたら休めばいいじゃないか」という言葉も、身体に正直な台詞なのだった。
そういうわけで、遊牧民夫の影響か、最近はわたしも欲求を大事にしてあげることが、だいぶ上手になった。密かに、「欲求の放牧」と呼んでいる。
眠いと感じたら、それは身体が出しているサインだから、10分でも寝る。疲れたと感じたら、明日の仕事だのあれやらなきゃだのをいったん置いて、寝る。なんでわたしばっかり、と思ったら、手伝ってと言ってみる。甘いものが食べたくなったら、ちょっとでも食べる。大量に行き交うグループLINEに辟易したら、今日は無視して、次の日の朝すっきりした状態で見る。
檻の中に大層大事に閉じ込めてきた欲求ちゃんを、ときどき外に出して、「ほいほい自由に草でも食べてきな〜」とばかりに、大事にしてあげるのだ。
夫に「今日は眠かったからお昼寝をしたよ」といえば、「え〜いいことだねぇ」と褒めちぎってくれる。身体の声をちゃんと聞いてあげられたことがもう、ハナマルということなのだろう。昼寝するだけで褒めちぎられる世界線がどうやらあったらしい。
極論だけど、だいたいのことは、命に関わらない。上場企業で管理職の頃は「今わたしがやらねば誰がやる!」と思ってがむしゃらにやっていたけど、今思えば、あそこまで身体に鞭打ってやらなくてよかったことがほとんどだし、誰かに任せてもどうにかなったことがほとんどだ。
その自分も否定していないけど、少しゆるめてあげてもよかったな、ということは振り返れば無数にある。
というわけで、現在20時。もう眠い。眠いです。さっき電話した夫も「眠くなっちゃった」と言っていた。夜にちゃんと眠くなれるっていいことだよね。ということで、もう少ししたら寝ます。寝たらいいじゃないか。
知らんけど、うちの王がそう言っている。

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