月給=労働Unlimitedプラン
月給とは何かと改めて考えると、かなり歪んだ仕組みだと思う。
少し穿った見方かもしれないが、日本の月給制とは、
「労働 unlimitedプラン(定額使われ放題)」
というパッケージ商品を、会社に提供させられる契約にも思える。
日本ではそれが当たり前の顔をして存在している。
重要な雇用契約であるはずなのに、業務内容も、時間も、負荷も、責任も、期待値も、曖昧なままにされる。
主要先進国では、職務内容や職責、労働時間が先に定義(Job Description)され、報酬はその条件に対する対価として決まるのが標準だ。
一方、日本の月給は報酬ありきで、肝心な仕事の中身が後回し(曖昧)にされる。
それでも長いあいだ、この仕組みは「安定」という言葉で正当化されてきた。
しかし、今後は20歳前後から働き始め、70歳近くまで現役で働く未来が見えてきている。
約50年!、半世紀!!ものあいだ、このunlimitedプランの労働収入だけで生きていく衝撃。
冷静に考えれば、これはかなりハードな人生設計だ。
50年という月日はとても長い。
体力も、集中力も、価値観も、50年間ずっと同じではいられない。
それでも月給制は、「会社に所属し続けること」を前提に、人生の大部分を静かにロックしていく。
月給制が厄介なのは、契約が曖昧なので、使われ方が際限なく拡張されるところにある。
仕事ができれば、仕事が増える。
責任を引き受ければ、次の責任が乗ってくる。
断らなければ、「できる人」として常に呼び出される。
だが、報酬はどうか。
評価基準は曖昧。昇給は微々たるもの。
つまり、
使われ方は unlimited
収入は capped(上限あり)
という、かなり一方的な搾取構造になりやすい。
月給とは、時間や成果ではなく、端的に言うと、自分という「存在そのもの」を売る契約だ。
今日は忙しいから残って。
今期は大変だから我慢して。
君には期待しているから。
こうした言葉が成立するのは、個別の仕事ではなく、人そのものをまとめて契約しているからだ。
言い換えれば、会社にとって都合のいい自分という肉体を、丸ごと差し出している状態(unlimited)でもある。
ここで、あまり語られてこなかった前提がある。
労働力という商品はナマモノだ。
保存はきかず、加齢とともに確実に価値が落ちていく。
それをUnlimitedで使う契約は、どう考えても無理がある。
体力も、回復力も、集中力も、年齢には抗えない。
それでも月給制は、労働力が半永久的に同じ価値を保つかのように設計されている。
ここに、構造的な無理がある。
若い頃は、この矛盾を感じにくい。
体力で誤魔化せる。
将来の昇進や報酬を信じられる。
「今は投資期間だ」と自分を納得させられる。
だが、年齢を重ねると、責任は増え、裁量は減り、回収フェーズが見えなくなってくる。
それでも契約は続く。
Unlimitedプランだからだ。
月給が悪なのではない。
問題なのは、月給という仕組みを疑わないことだ。
月給は便利だ。
管理する側にとっては、(会計勘定でほぼ固定費だから)特に。
だが、便利さの裏側で、個人の時間、体力、選択肢は静かに削られていく。
「みんなやっているから」
「これが普通だから」
そうやって思考停止しているうちに、人生の主導権は、少しずつ会社側へ移っていく。
月給という労働Unlimitedプラン。
定額使われ放題。
For foreign readers:
Gekkyu is not a Salary for Japanese, but a modern form of a slave contract.
