ボロを生きる 2025.04.27
生活雑誌をめくる。
著名な人の住まいの紹介。
アンティーク家具、世界各地で集めた調度品。
そんな生活にあこがれていた。
けれど、ほんとうにそうなのか?
祖父の家をおとずれる。
米のとぎ汁を植物にかける。
不織布マスクを洗ってもう一度使う。
テーブルかけは、新聞のインクで汚れている。使い込まれた布に、生活の手がべったりついている。こちらの方がよい。
わたしは、部屋が片づけられないので「だらしがない」。お風呂に入らないので「きたない」。食べ方が美しくないので「行儀が悪い」と言われてきた。
それから、タイツや下着をボロボロになるまで使ってしまうことを、どう表現したらよいものかと長年思ってきた。
新しいものより、すり減ったものの方が、なぜか安心できた。けれど、社会にそぐわない価値観であることも分かっていた。この国は、クリーンで、汚れていなくて、猥雑ではないものを好むから。
だから、わたしはときどき、自分の生を恥じる。けれど、洗濯機にマスクが放り込んであるのを見た時、破れたタイツをまた使う時、生活とはむしろ、泥臭い知恵だと思う。
わたしは日本の「ボロ」という考え方が好きだ。
昔、お母さんが、何度も服に穴を開けるわたしのズボンを、色とりどりの布でつくろってくれたことがあったから。
生活とは、つきはぎだらけ。
破れたり、つくろったり、重ねていくうちに、
それが、味になるのだと思う。

