移動距離は、人生の解像度だ。アメリカ帰りの僕があえて片道1.5時間のバイトを選んだ理由
今年2月、僕はアメリカにいた。サンフランシスコの風に吹かれ、サイバートラックに揺られ、新しい人や価値観に触れ続けたあの数週間。そこで確信したことがある。
「移動した距離の分だけ、人生の解像度は上がる」ということだ。
帰国後、日常に戻った僕は、自分の中に一つのルールを決めた。「効率」や「近さ」で選ぶのをやめて、とにかく移動しまくろう、と。
①あえて「遠く」へ行くという選択
住んでいる場所の近くにも、バイト先はいくらでもある。けれど、僕が選んだのは片道1.5時間かかる京都の、とある高級唐揚げ店だった。
往復3時間。タイパ(タイムパフォーマンス)重視の世の中からすれば、それは「無駄」に見えるかもしれない。でも、僕にとってこの時間は、日常から一歩外に踏み出し、新しい自分に会いに行くための大切なプロセスだ。
何より、「いつもの生活圏内にいるだけでは出会えない誰か」に会うための越境なのだ。
②唐揚げと、写真祭と、二拠点生活
今日、京都の厨房で出会ったのは、想像以上に刺激的な大人たちだった。
一緒に働いたアルバイトの女性は、京都と東京を股にかける「二拠点生活」を送るクリエイターだった。彼女から聴く二拠点のリアルは、将来、自分の地元と今いる場所を繋ぎたいと考えている僕の心に、新しい火を灯してくれた。
さらに、彼女は今開催されている世界的な写真祭『KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)』のスタッフでもあった。ひょんなことから、世界と繋がるその写真祭のパスポート(チケット)を譲り受けることになった。
もし僕が、自宅のすぐ駅前でバイトをしていたら。
きっと今日の僕は、二拠点生活のワクワクを知ることも、写真祭への招待状を手にすることもなかっただろう。
③「動いたもん勝ち」の人生を
近くで済ませるのは楽だ。でも、楽な道には「想定内の景色」しか転がっていない。
あえて遠くへ行き、不便を楽しみ、新しい場所に身を投じる。その先にある「不意打ちの出会い」こそが、僕の人生をより鮮やかにしてくれる。
11月に地元のマラソン大会を走るのも、自分の知らない限界へ自分を運んでいくための移動だ。
人生は楽しんだもん勝ち。そして、動いたもん勝ち。
これからも僕は、このフットワークの軽さを武器に、今いる場所から一歩外へ、そして日本から世界へと、自分の境界線を広げ続けていきたい。
