ともちゃんとわたしと多様性
小さい頃、季節の野の花が咲く、周りが緑いっぱいの団地に住んでいた。
団地と言っても、1棟だけしかない、4階建の小さな団地だった。坂の途中にあるその団地は、他の家と離れていることもあり、団地に住んでいる子どもたちは、いつも学年関係なく、一緒に遊んだ。
春には桜の木になるさくらんぼを取って食べた。ツツジが咲けば蜜を吸ったり、色水を作っておままごとをした。夏には夜、声を掛け合って団地の下でみんなで花火をした。秋には空き地で焚き火をして、焼き芋を食べた。冬には雪合戦をして遊んだ。
同じ団地というだけで、必ず気が合う子ばかりというわけでもなく、喧嘩したり、仲直りしたりを繰り返しながら遊んだ。感情をぶつけ合う様はまるで兄弟のようだった。
その中に、一際大きな体型をした女の子がいた。名前はともちゃん。物心ついた頃からともちゃんはいた。ともちゃんは、みんなとも遊んだし、わたしと2人でもよく遊んだ。追いかけっこしたり、ブランコに乗ったり、滑り台をしたり。仲良く遊んでいた。
しかし、ともちゃんはたまにわたしに意地悪をした。ひどい!と思って悲しい気持ちで帰った次の日には、必ず優しくしてくれて、時にはおもちゃのかわいいブローチをくれたりして、わたしの機嫌を取った。単純なわたしはすぐに機嫌を取り戻し、また元のように仲良く遊んだ。
ともちゃんに意地悪をされたり、叩かれたりした時は、母に泣きながら訴えた。その度に、母は怒り、わたしを連れてともちゃんの家まで行って、文句を言った。普段挨拶しても、愛想の良くないともちゃんのお母さんが、その時ばかりは、平身低頭、平謝りをした。だが、ともちゃんはその後ろに隠れて、口を真一文字にして、わたしを睨みつけ、決して謝らなかった。
小学生の中学年になり、学校の友達と遊ぶようになり、行動範囲が広がってからは、ともちゃんや、同じ団地の子たちとは自然と遊ばなくなっていた。ともちゃんは、団地の階段の踊り場で、じっとこちらを見ていることもあったが、気にならなかった。もうわたしには、違う世界が出来たから。
小学校5年生の時にもっと広いマンションに引っ越すことになった。自然いっぱいの団地は大好きだったが、自分の部屋をもらえると言われて、気持ちはすぐにそちらに向いた。赤ちゃんの頃から育った団地を出る時が来るなんて。寂しさと嬉しさと不安が入り混じった複雑な気持ちになった。
引越しの当日、大きなトラックに荷物が次々と運びこまれた。わたしたち家族もタクシーで、移動することになった。車に乗り込むと、団地のいつもの踊り場に、ともちゃんの姿が見えた。何かを持って、意地悪そうな顔をしてニヤニヤしながら、わたしを見ている。
あ、あれは、わたしの大切なバレーボール!当時、わたしはバレーボールにハマっていて、1人で外でバレーボールをしていた。そのボールを持って、ともちゃんはニヤニヤしている。どう?盗んでやったわよ。悔しいでしょ?と言わんばかりに。
そこで、わたしはハッと気づいたのだ。しっかりと。
ともちゃんは、もう成長することはないのだと。身体ではなく、精神的に。マジマジと姿を見ると、小さな子どもでも、わたしと同じくらいの子どもでもなく、大人だった。いまさら気づいた。それは、わたしが成長した証だった。
わたしはそこで初めて、ともちゃんがかわいそうだと思った。違うよ、ともちゃん。もうわたしは引っ越すんだよ。もうここには戻ってこないんだよ。
でもそんなこと、きっとともちゃんにはわからないんだな。
そのボールは、おせんべつとして、ともちゃんにあげるね。どうか元気でね。さようなら。
わたしは心の中でそう呟き、見えなくなるまでともちゃんを目で追った。
あの時、明らかに大人の姿をしたともちゃんを、誰も仲間はずれせずに、一緒に遊んでいた。普通に。親たちも自然とそれを受け入れていた。意地悪をされたら、忖度なしに、きちんと文句を言っていた。決して蔑んだり、不平等に扱ったりしていなかった。
今考えると、すごいことだなと思う。親も、少なくともわたしたちの前では、一度もともちゃんが、他の人とは違うなどとは言わなかった。わたしが大人になってから、実は色々あって大変だったのよ〜。と言っていたけれど。
今は発達障害だなんだと、境界線をはっきり区切って、他の子と違う子は敬遠されがちな世の中だけど、あの頃のように、そんな子もいるな。ぐらいで、ぶつかったり、喧嘩しながらも、自然と遊んでいた時代の方が良かったような気もする。今は多様性の時代というけれど、昭和の方が、よっぽど多様性の時代だったように思う。小さい頃、色んな人と出会い、遊んだり、暮らしたりしたことで、わたしは社会への耐性が身についたように思う。色んな人がいるよね。でもお互い様だよね。みたいに。
周りと違う人は排除する。みたいな世の中が変わっていけばいいのに。と最近特に感じる。次男がADHDという発達障害だから、余計にそう思うのかもしれない。
子どもの心は純粋で、フラットだ。だんだん差別をするようになるのは、親が子どもの前で、そういった言葉を言ったり、態度をするからだと思う。そう考えると、うちの両親は素晴らしかった。
きっとともちゃんはみんなと一緒に遊べて楽しかったんじゃないかと思う。
ともちゃんはその後、何年か後に糖尿病が悪化して、亡くなったと母から聞いた。
たまにともちゃんを思い出す。わたしがいなくなった後、寂しくなかったといいなと願わずにいられない。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートよろしくお願いします!