旧T教会信仰2世|22年の信仰から目が覚めた時、絶望するのか(笑)(はじまりと結論編)
こんにちは、Rです😊
お読みくださりありがとうございます。
皆さん、信仰しているものは何かありますか?
今日は、人生をほぼ捧げてきた信仰生活について、私なりの結論をお話ししたいと思います。
さて、宗教は私たち人類にとって必要なのでしょうか?
私は、旧T教会の信仰2世でした。
信仰2世とは、親が信仰しており、その影響で入信した子のこと。
信仰1世は自ら信仰を始めた人、祝福2世は信仰している両親から生まれた子供たちを指します。
私の信仰の始まりは、17歳のとき。
反抗期真っ只中の私に、母が泣きながら信仰を勧めてきたのがきっかけでした。(ちなみに父は厳格な創価学会員で、私が14歳のときに突然の病で他界しました。)
そこで私は「救世主メシア」という存在を知ります。
堕落した人類はメシアを通して信仰を捧げ、血統を変えなければ救われない。そしてそれによって、神様(教祖:御父母様)を“解放”するという教え。もちろん、愛・感謝・幸福・平和を説いています。
(信仰者の皆さま、ざっくりすぎてごめんなさい。
教えとしては愛に満ちた宗教でしたし、優しくて純粋で素敵な信仰者さんがたくさんいらっしゃいました。)
ただ、絶対服従・犠牲的愛ーつまり自己犠牲が根本にあるため、つらいと感じる方も多いのでは…
最初は「へぇ、そんな物語みたいな話があるんですね」と、よく分からないながらも、
「信じるか信じないかはあなた次第!」
と自由な選択を与えられたことで、
「今を逃したら、私は救われないかもしれない」という危機感にさらされたのが始まりだったように思います。
結果、信仰人生いろいろありました(笑)。
幸せも感じましたし、救われた気持ちにもなりました。
一人でも多くの人を救わなければという使命感とは裏腹に、
信仰者としての器が足りず、泣きたくなったり、
この世を去ってしまいたいと鬱状態になったこともあります。
そして私は、いわゆる合同結婚式といわれる祝福結婚をし、家庭を築きました。(まさかのアレです笑!)
可愛い3人の子供にも恵まれ、熱心な信仰者である義父母との仲も良好。
よくある“幸せな信仰家庭”となったのです。
が、あることがきっかけで目が覚めるのです。
(それはまた追々…)
「あ、これは真実と違うかもしれない!!!
本当に大切なのは、宗教という“カタチ”ではなく、もっと深い精神世界なのかもしれない。」
まさに、これが「青天の霹靂」か‼
と
信仰生活に身を捧げてきた自分の人生が、まるごと否定されたかのような、ふるえるような衝撃。
今まで信じてきたものは一体何だったのか。
信仰心で臨んだ結婚に意味があったのか―。
築いてきた“私”という理想像がすっかり吹き飛んだ真っ白なスペースに、
私はひとつ、またひとつと、自分に立ち返る疑問が浮かび上がってくるのです。
結論。
→はい、絶望です(笑)
…この時は、ですが(笑)
あれから約4年。
不思議と「後悔」という文字は浮かび上がってきませんでした。
ただ、人生とは何なのか?
この世の世界とは?
神様とは?
生きる意味とは?
死後の世界は?
自分とは何者なのか?
理想の世界とは?
善悪とはそもそも?
宗教は必要なのか?
そんな問いを抱えながら、自分探しの旅が始まりました。
そして、手探りながらも、私なりの最終的な結論にたどり着いたのです。
(…結論編なのに、肝心の“最終結論”を書いてなくてごめんなさい。話が長くなってしまうので、また気が向いたときに綴りますね。)
つづく(はず笑)
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
宗教の話って、書いているとどうしても重くなりがちですね(笑)
でも私の場合、真面目な話というよりも「人生って、何でもアリだよねっっ!」というスタンスなので、どうぞお気軽に楽しんでいただけたら嬉しいです。
私は普段、ほぼテレビを見ないのですが、昨日たまたま地上波?がついていて、旧T教会に関するニュースが目に入りました。
もしこの記事を読んで、不快なお気持ちになられた方がいらっしゃいましたら、心よりお詫び申し上げます。
そして、もし何か感じることがあれば、「好き」やコメントでそっと教えていただけたら、とても嬉しいです。
今日の記録が、どこかで誰かの“優しい余白”になりますように。
